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先に到着したはずの神託の盾兵の姿はもちろん、魔物の姿もマルクト兵の姿もまったく見当たらないのである。ガランとした甲板に、唯一アリエッタがいつも従えている魔物だけがいた。その後ろにはピンクの髪が覗き見えているから、そこに自分たちを追い越して行ったアリエッタがいるのだろう。
軽率なのか豪胆なのか、敵艦に降り立ったリグレットが大声を上げる。
「これはどういうことだ。アリエッタ」
リグレットの叱責にアリエッタは泣きそうな顔で姿を現した。胸の前で抱きしめた人形が奇妙な形に歪んでいる。
「嘘吐き」
それはともすれば風に吹き飛ばされてしまいそうなほど小さな呟き。
幼き少女―――実年齢はともかく、アリエッタの見た目は人々が思わず同情したくなるには充分すぎるほどに幼い―――と一昔前なら『美少女』では、最初から勝敗は決まっているようなものである。
年増が新人の少女をいたぶっている、というのはリグレットを除くそこにいるすべての人間が抱いた感想だった。
「イオン様、誘拐されてなんていないです。トリトハイム様の言ってたこと本当でした。誤解しているのはモース様です」
アリエッタの発言にどよめく神託の盾兵たち。
統率の取れなくなりつつある部下たちに、リグレットは思わず舌打ちをした。これ以上余計なことを言うんじゃない、とアリエッタに向ける視線がきつくなる。
「何を言っているのだ」
「トリアハイム様言ってたです。『イオン様に直接確かめてみなさい』って。だからアリエッタ、イオン様に聞いてみたです。そしたら・・・」
ついに泣き出してしまったアリエッタ。
その場にいる神託の盾兵すべての同情票を勝ち取ったアリエッタと、部下たちから軽蔑と不信の目を向けられたリグレット。両者の明暗が決した瞬間といってもいいだろう。
タイミングを見計らったように魔物の影から、イオンとアニスとジェイドが出てくる。
「泣かないでください。アリエッタ。僕はわかっていますから」
目的の人物の思わぬ登場に、アリエッタの存在も今までのやり取りも忘れ、いきり立つリグレット。
場もわきまえず死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドとの手合わせを望むラルゴ。
疑心暗鬼な神託の盾兵たち。
泣きじゃくるアリエッタと、それを慰めるイオンとアニス。一応アニスはトクナガを巨大化させて戦闘態勢ではあるが、見た目が見た目なだけにそれが武器だとわかっていても緊迫感はない。
イオンを背に庇ってはいるが丸腰のジェイド。
一方リグレットやラルゴを始めそれぞれの得物を手にしている自分たちは、無抵抗な人間に武器を向けているようにしか見えない。大変居た堪れない気分になっている神託の盾兵たちは多いことだろう。ジェイドたちが戦闘準備万端であることだとか、気配を殺して様子を窺っている人物がいることだとか、そういったことにまったく気付いていないのだから、最初から彼らに勝機はなかった。
物陰に隠れ登場の機会を窺うルーク・ティア・ナタリア。ついでにミュウ。
今はまだルークたちと共闘する様をラルゴとリグレットに見せるわけにはいかないと、ジェイドに不参加を言い渡されたアッシュはルークが心配でこっそり覗き見中である。
一触即発の緊張した空気の中、アリエッタの嗚咽がやけに大きく響いていた。
そう短くはない時間がただ過ぎ去っていく。
それは神託の盾兵たちが己の置かれている立場を考えるのに充分な時間だった。
「導師イオンがマルクト軍に誘拐されたから奪還して来い、って命令だったけど・・・・・・違うのか?」
「アリエッタ響手が言っていることが正しいとすると、マルクトによる導師の誘拐はモース様の誤解で、導師がここにいらっしゃることはトリトハイム様もご承知とのことだが・・・・・・」
一般兵の間にリグレットやラルゴの命令、つまりはモースの命令に素直に従っても大丈夫なのだろうか? という空気が流れ始める。
部下たちの雰囲気にリグレットは舌打ちを一つ。
彼らは当てにできそうにない。元々使える人材だとは思っていなかったのかあまり気にしてはいないようだが、痺れを切らしたリグレットは自ら導師奪還に乗り出した。
リグレットの銃が丸腰のジェイドに向けられる。ちょっとずれたら導師に当たるんじゃないだろうか、と心配するのはそれを見た一般兵たちに共通する思いだった。
ジェイドが槍を体内にコンタミネーションしていていつでも取り出せることだとか、実は凄腕の譜術士であることだとか、そういう情報を持ち合わせていない一般兵にしてみれば、無抵抗な人間に銃を向けたのだから、リグレットの評価は下がる一方だった。
「ちょっと、ちょっと、何やってんのさ」
空から降ってきたのはシンクだった。
それは引き金に添えられたリグレットの指に力が込められようとするまさにその瞬間。絶妙のタイミングだった。
「マルクトと戦争だなんて、僕はイヤだからね」
リグレットとジェイドの間でシンクは大仰に肩を竦めてみせた。
緊張の糸が切れてか、どこからともなく「ほう」と安堵の息が漏れる。
「そのようなことは預言(スコア)に詠まれていない」
「だから、だよ。ダアトとマルクトの間で戦争が起こるなんて預言はない、ってことは戦争が起こらないように努力するってのが、正しい信者ってもんなんじゃないの? 何やったって預言通りになるってんだったら、最初っから教団も教義も必要ないんだからさ。教団があり教義が存在するっていうのはそういうことだろ」
正式な手続きを経て導師に同行しているマルクト軍を誘拐犯扱いし、無抵抗の人間―――たぶんそれなりの地位のある軍人―――を射殺したなんてことになれば、今すぐ戦争は起きても不思議ではない。よしんば即開戦とはならなかったとしても、二国間のしこりの一つになるだろうことは一般兵でも容易に想像できた。
リグレット師団長は預言にないことは起こらないと言っているが果たして本当だろうか? シンク参謀総長の言うように預言に沿った生き方を教団が教義に掲げるという事は、努力しなければ預言は現実にならないということではないか、と。そしてここで自分たちがするべき努力がどのような行動であるか、敬虔な信者でもある神託の盾兵たちにはわかっていた。
未だ銃を掲げたままのリグレットに背を向け、シンクはジェイドたちの方へ向かい歩き出す。リグレットはいつ発砲してもおかしくない状態なのだが、ここで発砲したら神託の盾兵すべてを敵に回すという事が理解できたので思い止まっているのか、あるいはシンクの言葉を理解するのに時間が掛かり行動できないでいるだけなのか。
銃口に背を向けるなどという無謀とも思えるシンクの行動であったが、銃弾など発射されてからでも避ける自信があるので彼の歩みに躊躇いはなかった。
そして撃ちたくとも撃てないというジレンマに奥歯を噛み締めるリグレットは、部下の信頼が既に費えていることに気付いていなかった。
「で、僕としてはこの場をどうにかして穏便に納めたいんだよね。何かいい方法はを考えてくれないかな? そういうの得意でしょ」
貴方も神託の盾(オラクル)の参謀でしょう、というジェイドの思いは置いておいて。
「イオン様」と背後に目配せすれば、導師イオンは「そうですね」と少しだけ考えるふりをする。
「導師の権限で破門にしましょう」
導師の言葉をどれだけの人間が瞬時に理解できただろうか。少なくとも破門を言い渡された二人は己のことであるとは理解できていないようである。
「ふむ」と小さく頷いたジェイドは場にそぐわない明るい声で敵である神託の盾兵たちに話しかけた。
「みなさ~ん。このお二人をご存知ですか?」
ジェイドの突然の発言に虚をつかれる神託の盾兵たち。それはリグレットもラルゴも同様だった。
しかし一般兵の中にも察しのいい者はいるものである。
「教団の裏切り者」とか「脱走兵」とかそんな声があちらこちらで囁かれる。
つまりリグレットとラルゴは教団を裏切り、導師に仇なす者。自分たちは彼らに騙されていただけで、導師やマルクトに敵対するつもりはないのだ、と。
できの悪い生徒を誉めるように、ニッコリと笑い手を叩くジェイド。ジェイドの本性を知らないのだからその笑みの意味に気付ける神託の盾兵などいはしないだろう。それよりも自分たちの活路を見出してくれた恩人扱いである。
「はいは~い。では皆さん。導師襲撃犯の逮捕に協力してくださいね~。と言いたいところですが、危ないですから離れていてください」
一般兵を退避させ、リグレット捕獲に乗り出すジェイド。
「教官が教団を裏切っていただなんて」
ティア参戦。ナタリアは相変わらず「微力ながらお手伝いいたしますわ」と言いつつラルゴを攻撃しているのは何故だろう。ティアの加勢であるならば攻撃相手はリグレットだろうと思いはしても突っ込める強者はいなかった。
この時点でリグレットを切り捨てればラルゴにも活路はあった―――導師は誰を破門にしたか明言していないので、自分もリグレットに騙された被害者だと言えばそれを否定することは難しい―――のだが、リグレットを同志と認識しているラルゴにはそれはできなかった。もちろんジェイドと戦ってみたいという思いもある。こんな時に自分の趣味を優先させるのだから、ただの戦闘馬鹿だと思われても仕方がないだろう。
ルークとイオンは相変わらずオロオロしていた。
この二人は台本を読んだのか、とは物陰で見物中のアッシュの抱いた感想だった。
アニスとアリエッタはイオンとルークの護衛をしつつ、やはり見学中の一般兵が巻き込まれないように周囲に対する警戒を怠らなかった。
ルークは自分も参戦するつもりだった。それができなくても、一般兵を守るぐらいのことはするつもりだった。しかし「ルークが参加するとアッシュがしゃしゃり出てきてしまいますので、しっかり見張っていてくださいね」とジェイドに言われていたアニスが、戦闘開始と同時にトクナガでルークを捕獲したため、彼は今回も見学組に回されてしまったのである。
「何、高みの見物を気取っているのですか。貴方は手伝ってくださいね。参謀総長殿」
「仕方ないなぁ~」
シンク参戦。
ルーク・アッシュ・イオン・神託の盾騎士団の一般兵たちが見守る中、ティア・シンク対リグレット、ジェイド・ナタリア対ラルゴの戦いが始まる。
アニスとアリエッタとミュウはいつでも参戦できる状態で待機していた。
数十秒後、勝敗は呆気なく決した。
死ぬまで鍛錬を怠らなかった人間が若い肉体を得たのである。はっきり言ってその戦闘能力は反則と言われても仕方がないものだろう。シンクは己が闘う必要なんてなかったのではないかと思ったが、ティアが詠唱を終えるまでのリグレットの足止め役として駆り出されたのだろうと気付いていたので文句は言わなかった。棒術でも倒せたということは言わぬが花というものだろう。
封印術(アンチフォンスロット)を使う隙をラルゴに与えず、二人を捕らえることに成功したジェイドたちは、リグレットとラルゴをタルタロスの牢に収容。
リグレットとラルゴはダアトに護送後軍事裁判に掛けるので今回のことは胸の内に収めてほしい、というシンクの申し出をジェイドは快く承諾し、罪人の護送にも協力することを申し出た。タルタロスは現在イオンとルークをバチカルに送り届ける任務の真っ最中なので、先にキムラスカとの国境へ向かわなければならなかったが、タルタロスをキムラスカ領内で走らせるわけにもいかないので、国境で下船後艦の指揮権をシンクに預けるということで話がまとまったのである。この遣り取りがすべて事前に決まっていたことで、今ここで決定したように見えるのは目撃者に選ばれた神託の盾兵たちに対するパフォーマンスでしかない。
しかし困ったことに戦闘中にリグレットが発砲した弾が操縦桿に当たりタルタロスは走行不能であることが直後に判明。修理はそれほど大変ではないのだが、修理できる人間は第一陣と共に避難してしまっていたのだ。
「困りましたねぇ~」
台本にはない出来事。困った時は困った顔をして欲しいというのがジェイド以外の共通の思いである。
「アリエッタ、迎えにいってくるです」
アリエッタが整備士を連れてきてくれると言うので、当初の予定より早かったがタルタロスをシンクに預け、ルークたちは徒歩でバチカルへ向かうことになった。もちろん全行程徒歩で移動するなんて馬鹿な真似をするつもりはなく、セントビナーで馬車を用意するまでの徒歩の旅である。
「イオン様を歩かせるんですか?」
アニスは導師守護役として立派に成長していた。
ルークとナタリアを歩かせることにはアッシュも不満そうである。
「お友たちに乗っていくといいです」
アリエッタの提案に目を輝かせるルークとイオン。ナタリアも心なしかワクワクしていないだろうか?
徒歩の方がまだマシだ、とアッシュとアニスは思う。
結局、アリエッタという通訳がいない状態では不測の事態に対応できないだろうということで、魔物に騎乗することは却下となった。
「通訳なら僕がいるですの~」
ミュウの提案は華麗に黙殺された。
「まあまあ、イオン様には貴方のトクナガに乗っていただきましょう。ルークもご一緒にどうですか?」
タルタロス甲板上での苦い経験からか、謹んで辞退するルークだった。
ところで、そのころガイはどうしていたかというと。
タルタロスを無事発見することができたガイは艦が停止するまで並走していたようである。たぶん馬などを使って追いかけてきたのだろう。減速中であったとはいえ人間の足でタルタロスに並走は不可能だと思うのだが、パーティー内最速を誇るガイならありえるかもしれないとルークだけが考えていた。
タルタロスが完全に停止し、マルクト兵たちが出てきた時に昇降口(ハッチ)から乗り込むことができたのならよかったのだが、ガイがジェイドたちと知り合いであるということを知らない兵たちが、部外者がタルタロスに入ろうとするのを黙ってみているはずがない。力尽くで押し入ることもできず、ガイは死角になる場所から甲板によじ登るしかなかった。それに思っていた以上に時間がかかってしまったのだろう。ガイが甲板にたどり着いた時、そこは静かなものだった。
甲板でのゴタゴタが一段落し、艦内ではリグレットとラルゴを牢に閉じ込めたり、こちらに協力的になった神託の盾騎士団の一般兵たちに事情を説明したりしていたのだが、ガイは知る由もなかったので、甲板の片隅で自分の見せ場の訪れを今か今かと待ち侘びていた。
今ごろルークたちは牢の中だろうか?
登場のタイミングはリグレットがイオンを連れて戻ってきた時がいいだろうか、ルークたちが非常昇降口(ハッチ)をから出てきたところがいいだろうか、それともピンチに陥った時に颯爽と登場するのがいいだろうか。
かつてと同様に華麗―――と思っているのは本人のみである―――に参上し、「ガイ! よく来てくれたな!」と満面の笑顔で抱きついてくるルークを想像し、一人悦に入っていたのだ。
ガイは色々なことを失念していたようである。
彼の幸せな夢はすべての昇降口が開いた瞬間に終演を迎えた。
昇降口から出てくるのは神託の盾兵ばかりである。
彼らは一縷の隙もなく整列し何かを待っているようであった。
ここで漸くガイは物語が自分の記憶とは違う道筋を歩んでいたことを思い出すのである。
六神将の三分の二が味方だったなだとか、リグレットとラルゴに今のルークたちが捕まるはずがないよなだとか、イオンの身体の負担になるようなことをさせるはずがないよなだとか。
最後に昇降口から出てきたのはガイが待ち侘びた人物だったが、若干名余計な人間も一緒だった。
「ダアトまでの道中、お気をつけください。ローレライとユリアの加護がありますように」
「はっ」
イオンの言葉に頭を下げた兵たちは、隊列を崩すことなく北西へと向かって歩きだした。
登場のタイミングを失ったガイはどんな顔で出て行けばいいのだろうと頭を悩ませるが、いつまでもこうしていては置いて行かれかねなかったので、かつてと同じように甲板から飛び降りた。
空中で一回転。着地も完璧である。
「みんな。無事だったか」
ジェイドは額に手を当ててあらぬ方向を向く。
ティアは大きな溜息を一つ。
アニスは「何してんの? ガイ」と呆れ顔だ。
ナタリアは「お見事ですわ」と手を叩いて喜んでいる。
イオンはガイが甲板から飛び降りてきたことにはまったく触れず「お久しぶりです」と嬉しそうに挨拶した。
ルークが「ごめん」と謝ったのは、そういえばガイの見せ場だったな、と申し訳なく思ったからなのだが、ルークが謝ったことでアッシュが切れた。
「貴様、よくも」
抜刀し追いかけられる理由が思い当たらないガイ。突然始まった鬼ごっこを羨ましそうに眺めるルーク。
ジェイドは溜息を一つ吐いて無視することにしたようである。
「楽しそうですし、置いていきましょうか」
歩き出した一行を慌てて追いかけるアッシュとガイ。
せめて馬を逃がしていなければ、ガイの評価はもう少し上がっていたかもしれないが、それももう後の祭だった。もしかしたら最初から馬などなかったかもしれないが、とにかく身一つで合流した―――それもすべてが終わってからである―――ガイに周囲の反応は冷たかった。
「使えねぇなぁ」
「使えない人ですねぇ~」
アッシュとジェイドの意見が珍しく一致した瞬間である。
感動の再会をイオンとアニスに先越されてしまい、悔しがるアッシュ。その上再会の抱擁を交わそうと駆け出しても、それさえミュウに先越されてしまったのである。
「ご主人様ですの~」
アッシュの足元にいたミュウはミュウアタック並み勢いでルークの胸に飛び込んでいったので、人間の足ではそれに敵うはずがなかった。
ルークも久しぶりの再会に嬉しそうにミュウの頭を撫でている。ルークが嬉しそうなのでしばらくは我慢していたアッシュだったが、まぁ数分とはいえ我慢できただけ上出来というべきだろうか。ティアの一撃で地面とお友たちになる運命が待ち受けているとも知らずに、ミュウの耳を掴んで後ろに放り投げたのだった。ティアとナタリアにボコられた理由がミュウのことだけではないということをアッシュが知らないままでいられたことは、幸だったのか不幸だったのか。
アッシュが戦闘不能に陥ってオロオロするのはルークだけである。
「とりあえずレイズデッドか?(でも、治癒術が使えることは隠しておけってアッシュが言ってたし)」
ライフボトルという選択肢を思いつかないあたりがルークらしいと言えば、らしいと言うべきだろうか。
実はナタリアがこっそりリヴァイブを唱えた後のティアとナタリアの奥義だったのだが、ルークはそのことに気付いていないので、地面と仲良くしているアッシュを心配してその傍らにしゃがみ込んで動こうとしなかった。ルークの意識が自分にだけ向けられている状況が嬉しいのでアッシュは戦闘不能のふりをしているのである。
「いつまで寝たふりをしているおつもりですの? そんなに地面がお好きなのでしたら、今度はアストラル・レインをお見舞いして差し上げましてよ。アッシュ」
それ秘奥義だから。もうリヴァイブの効果切れているから。
さすがにアッシュもこれ以上戦闘不能のふりをしているのはヤバいと思ったらしい。
一方アッシュを地面に沈めて満足したティアは、馭者との交渉を再開した。もっとも主に交渉をしているのはアニスである。
ジェイドにペンダントを買い戻してもらおうとしていたのだが、チーグルの森に行っていて不在。仕方がないのでイオン―――財布の紐はアニスががっちり握っていた―――に金を借りようとしたら、アニスが勝手に値段交渉を始めてしまったのだ。言い値で買い取るなんてアニス的にはあってはならないことである。馭者が「話がちがうじゃないか」と交渉には応じず別の買い手を探そうかと考えたところで、ティアから事情を聞いたジェイドが口を挟んだ。
「なるほど、そういうことでしたか。それで、私はそのペンダントをいくらで買い取ればいいのですか?」
眼鏡の奥で赤い瞳がキラリと光る。
馭者はアニスが提示した値段でペンダントを手放すことを快く承諾した。
ジェイドの笑顔に何かを感じ取ったようである。ルークは心配していたが、彼は意外と長生きできる性質(たち)なのかもしれない。
エンゲーブ村でローズの手作りシチューに舌鼓を打ちながらの作戦会議は、三国のトップクラスが終結しているとは思えないようなほのぼのとしたものだった。その光景を目にしたエンゲーブの人々は我が目を疑ったが、誰に言われるでもなく沈黙を誓ったようである。一応ジェイドがエンゲーブの人々に対して緘口令を発令したのだが、必要なかったのかもしれない。
導師が行方不明という情報を耳にしているものはいなかったが、アニスはモースから導師の行動について逐一報告するよう命じられていたので、ダアトを発つ前に『イオン様に誘っていただいたので、ちょーっと一緒にお出掛けしてきま~す。信頼できる軍人さんが付いていますので、心配しないでくださいね。目的地に着いたらまた連絡します。お土産楽しみにしていてくださいvv』などという、これは報告書と呼んでいいのか頭を抱えたくなるような手紙をなるべく遅く届くルートでバチカルに送ったので、そろそろイオンが外出したことをモースが知っていてもおかしくはないころだった。
アニスの名誉のために彼女はまともな報告書も書けるようになったということを明記しておこう。このふざけた報告書はモースに対する嫌がらせが半分、頭の弱い小娘だと思わせて油断させるためが半分である。アニスの演技の賜物かそれともモースが浅はかなだけか、彼女が二重スパイであるとは欠片も疑われてはいないようである。
ルークたちがバチカルを発つ直前のヴァンにイオンのダアト不在を知っている様子は見られなかった。
モースの方はどうだっただろう、とナタリアに視線で問うが、ナタリアは大きく頭を振った。
「城に来た直後からモースはお父様と執務室に篭りっきりでしたわ」
王女である自分と対面した時の挨拶もお座なりであった、とナタリアは憤慨した。
モースはナタリアが王家の血を引かないと知っているからそういう態度なのだろう。しかし預言によって王女となったナタリアに王女に対する敬意を払わないということは、預言を蔑ろにしていることと同意であるとは思わないのだろうか? 何よりも預言通りであることを求める男の矛盾した行動。それこそが預言がいかに脆いものであるかの証明であるように思えてならなかった。
モースがイオンの不在を知れば、キムラスカ国王とのユリアの預言に関わる大事な相談事の最中であったとしても、優先順位は入れ替わるだろう。そしてモースからヴァンに、ヴァンから六神将に導師探索の命が下されるはずである。あるいはヴァンを通さずモースが神託の盾(オラクル)騎士団に直接命令をするか。
もっとも現在六神将の一人である鮮血のアッシュは導師と共にあり、特務師団員はそのことを知っていたので、モースあるいはヴァンから命があったとしても、命令の真偽を確かめることに優先しモースの指示する場所を不用意に襲撃したりはしないだろう。特務師団員に師団長の言葉よりモースの命を優先させる者などいないとアッシュには確信を持って言えた。
妖獣のアリエッタ、疾風のシンク、死神ディストとその配下についても同様である。
ヴァンの命令に無条件に、あるいは多少の疑いを持っていたとしても従うのは魔弾のリグレットと黒獅子ラルゴの二人とその配下のみと考えてよい。しかしその二人こそが問題だった。
「全然違う場所を報告しちゃいましょうよ」
アニスの提案にジェイドが異を唱える。
「そろそろ彼らにも自分たちが誰を相手にしようとしているか、教えてあげてもよい頃合です」
何を企んでいるのだろうか。
どうせ碌でもないことを考えているに違いない。
賢明にも誰も声に出すことはなかったが、それはルークとイオンを除く全員の共通する認識だった。
タルタロスはかつてと変わらぬルートでカイツールを目指していた。
エンゲーブでルークと出会わなかったとしたら、六神将の襲撃に遭い艦を失うことがなかったとしたら、ジェイドはタルタロスでバチカルに乗り込んだのだろうか。そんな真似をすれば和平の成立の支障になるは思わなかったのだろうか。
知識も常識も足りなかった当時のルークは気付かなかったが、今の彼は違う。そして知らないことを聞くのが恥ずかしい、などという下手なプライドが邪魔をすることもなくなっていたので、わからないことは素直に聞く、仲間たちになら聞いてもいいのだと思えるようになっていた。
「いや~お恥ずかしい限りです」
それは導師の安全を考慮しての選択であったのだが、戦艦で敵国に乗り込むということが和平の使者としての配慮に欠けていたことはジェイドも認めざるを得ないことだった。なので、かつての残りの人生―――ジェイドは残りの生を主に研究者として過ごしてはいたが、世界を救った英雄の友であり、各国の上層部とも顔見知り以上となっていたため外交の仕事にも携わっていた―――と今回のやり直してからの七年間で磨いた外交官としての常識は、タルタロスでの移動はカイツールの砦までが無難だろうとの結論を出す。そこから先は馬車―――キムラスカ側に用意してもらえれば良いが、無理でも民間の物を使うべきだろう―――を仕立てて、とも。もっともこちらの予想通り襲撃があれば、タルタロスでカイツールの砦まで行くことはできない。早々にタルタロスを降りることになるだろうこともジェイドにとっては想定の範囲内のことだった。
そして予想通りと言うべきか、襲撃者はかつてと同じく空から現れたのである。
注意すべきはリグレットとラルゴ、そしてその配下の神託の盾(オラルクル)兵のみだった。こちらの被害を最小限に抑えることと、アッシュの真意をヴァンに悟られないようにすること、それがこの襲撃で気をつけなければならないことである。
「前方二十キロ地点上空にグリフィンの集団です。近づいてきます」
客室に響く艦長の声に焦りはなかった。
「ふむ、予定通りですね。―――タルタロスを停止させた後、総員はすみやかに退避してください」
続いて響くジェイドの声も落ち着いたものだった。
「行くぞ」
久しぶりの二人きりという時間を満喫していたアッシュとルークは、名残惜しそうに距離を取ると、素早く身支度を整え始める。
アッシュはマントのフードで髪を隠すと、素顔を隠すための仮面を付けた。
それを残念そうに見つめるのは、真剣を背中に括り付けようと悪戦苦闘中のルークである。
「護身用として以外では使うな」と言ったところで無駄なのだろう。
先に自分の支度を終えたアッシュは、この剣がルーク自身を傷付けることがないよう祈りながらそれを手伝ってやる。だから知ってしまった。ルークの身体がわずかに震えていることに。
突然手が止まったアッシュに、自分が震えていることに気付かれたことにルークも気付いたようだった。
「大丈夫だから」
久しぶりの人間を相手にする実戦に対する緊張と恐怖。それでも気丈に笑ってみせる半身が誇らしくて、アッシュは思わずその背を抱きしめていた。
その暖かく力強い腕にルークは緊張の糸を解く。
どちらも離れ難く、第一陣到着の放送が艦内に流れるまで二人はその姿勢のままであった。
タルタロスの甲板に降り立ったアリエッタは開口一番「ごめんなさい」と頭を下げた。
リグレットとラルゴを止められなかったことに対する謝罪だった。
シンクも言葉尽くしてくれたのだが、二人は止まらなかったのだ、と。
ちなみにディストは現在行方不明らしい。
「おやおや、一人だけ楽をするつもりでしょうか? これは躾け直す必要があるようですね」
ディストの運命やいかに? 暗雲が立ち込めていることはまず間違いないだろう。
ここで各師団の動向を確認しておこう。
第一師団は師団長ラルゴの命を受け、導師イオン奪還のために出陣した。移動用の魔物はアリエッタと第三師団員たちの制止を振り切っての無断借用である。
第二師団は行方不明の師団長ディストを探索中である。それがディストの狙いだったわけではないとは思うのだが・・・・・・真相を知るのはディストだけだった。
第三師団の団員たちの通常任務は魔物を軍事用に訓練したり魔物の世話をしたりすることなので、実戦へ参加することはない。そのためその戦闘能力も他の師団に比べると著しく低いものだった。それが災いし今回は厩舎に強引に押し入った第一と第四師団の団員たちに魔物を強奪されてしまったのである。これを機に彼らが戦闘訓練に積極的に参加するようになったというのはまた別の話だった。アリエッタは手塩にかけた魔物たちを取り戻すために単独で第一・第四師団を追いかけていった。
第四師団は師団長リグレットの命を受け、第一師団と共に導師イオン奪還のために出陣。
第五師団はダアトを空にするわけにはいかないと、シンクがリグレットとラルゴを言い包めて警護のためにダアトに残した。団員たちに一通りの指示をした後、アリエッタに借りた魔物を使いシンクもまたリグレットとラルゴを追った。ダアトに残るよりもタルタロスの方が楽しそうだから、というのはどこまで彼の本音だったのだろう。
第六師団はヴァンに嫌われて以来辺境警備に従事していた。今回のことも師団長であるカンタビレの耳には届いていないと思われる。
特務師団はダアトを立つ前に導師イオンとアッシュから事情を聞かされており、モースやヴァンが何か誤解しているとラルゴやリグレットに訴えたのだが取り合ってもらえず、とりあえず現状をアッシュに報告するために導師奪還部隊に加わったのだった。
そうなることは予想済みであったとはいえ、皆の心中は複雑だった。特にアッシュ、ティア、ナタリアの三人は苦虫を噛み潰したような表情になる。
「さあさあ皆さん。パーティーの始まりですよ。忠告を無視したらどういう事になるか教えてあげましょう」
「そうですよ。ちょ~と、痛い目に遭えば考え直すかもしれないじゃないですか」
ジェイドとアニスが楽しそうなのは、ディストとアリエッタが改心(?)済みだからだろうか。
第一・第四師団に追いついたアリエッタは、魔物たちにダアトに戻るように命じた。乗り手の命令とアリエッタの命令の違いに混乱する魔物たちの統率は乱れ、失速していく。特によく訓練された魔物ほどそれは顕著だった。そのためラルゴとリグレットが乗る魔物は他団員たちから見る見る引き離されていった。それでも振り落とされないのは流石と言うべきか。
タルタロスに到着した第一陣は一般兵のみだった。彼らはタルタロス到着と同時に自分を運んできたグリフィンたちにより昏倒され―――乗り手がいなくなった魔物たちはアリエッタの命令に従順だった―――ジェイドが退避を命じておいたマルクト一般兵に護送されタルタロスを下船させられた。一部の事情を知る神託の盾(オラクル)兵―――特務師団員たちは自主的に撤退している。その時たまたま隣にいた他の師団に所属する同僚を強制的に連れて降りる者もいた。
現在上空に待機しているのは、リグレットとラルゴ、それから第一陣から漏れた憐れな神託の盾兵数十名だけだった。
「彼らには目撃者になっていただきましょう」
ジェイドが何を企んでいるのか、薄ら寒いものを感じて一歩引くのはアッシュ・ティア・ナタリア・アニスの四人である。無事アリエッタと再会できたことを無邪気に喜ぶルークとイオン、それからミュウはジェイドの表情の変化に気付くことはなかった。ある意味幸せなお子さまたちである。
初めに意識を取り戻したのはティアだった。二度目となれば慣れたものである。
辺りを見回し、花の中に埋もれる赤毛と金髪を見つける。
「二人とも無事のようね」
見たところ外傷がないことに、ティアはほうっと安堵の息を吐いた。
その穏やかな寝顔に起こすのがかわいそうになる。
一晩ぐらい今の自分なら見張りをするのに問題はないのだけれど。
起きた時に盛大に文句を言われるか、拗ねられるか。
さて、どうしたものかしら。
思案顔で視線はルークとナタリアを行ったり来たり。
そうして目覚めるのは小さな小さな悪戯心。それはいったい誰に対するものなのか。
眠れる王子には目覚めの口付け(キス)を。
「何をなさろうとしていますの?」
いつのまに目が覚めたのか、ルークに向かって屈み込むティアの背後ではナタリアが仁王立ちしていた。
「だって、ナタリア。こういう場面ではキスって相場が決まっているでしょ」
ティアの言葉にナタリアは昔憧れた絵本の一節を思い出す。
物語の中で永久(とわ)の眠りについていたのは美しい姫であったのだけれど。
「ずるいですわ。わたくしを除け者にするというのでしたらアッシュに言い付けますわよ。それよりもジェイドの方がよろしいかしら」
たぶん効果があったのは後者である。
「ナタリアは右、私は左でどうかしら」
「名案ですわ」
果たして少女たちの企みは。
「・・・・・・つ、痛ぇ~。突然なんだよ、アッシュ」
頭に響いた痛みにルークが目を覚ましたことで空振りに終わる。
―――危ないところだったな。
「危ない、って何が・・・・・・って、おい、アッシュ。答えろよ」
ルークの問い掛けにアッシュが応えることはなかった。少女たちの追求が面倒で逃げたのだろう。
「まぁ、邪魔をしたのはアッシュでしたのね」
再会が楽しみですわ。
綺麗に笑った王女の顔を見ないですんだことは、アッシュにとって幸だったのか不幸だったのか。
もちろんティアに否があるはずはなくて。
唯一の味方であるはずのルークは、アッシュの身に迫る危機に気付いていなかった。
ちなみにルークの危機―――それを危機だと認識しているのはアッシュだけだ―――を教えたのはローレライである。
今回の計画開始以降、アッシュとルークの回線は繋ぎっ放しだった。正しくはアッシュが一方的にルーク側の状況を盗み見、盗み聞きをしていたというべきだろうか。堂々と任務放棄していることにジェイドはあからさまに嫌味を言ったが、「てめぇがいる艦(ふね)で万が一など起こるはずがないからな」などと本心なのか方便なのかわからない台詞で煙に巻いたようである。
「ツンデレが開き直ると、手に負えませんねぇ~」
開き直ったツンデレにジェイドは呆れ顔で、それでも「イオン様の警護は任せてくれてかまいませんよ」などと返していたが、どうせアッシュの耳には届いていないだろう。
ルークと五感を共有しているということは、彼のすべてを知ることができるということであったが、それは同時に本人の意識がない場合には何一つ知ることができないということで、アッシュは超振動の発動と同時に閉ざされた目と耳の代わりをローレライに求めたのだ。
ローレライの実況中継のおかげで危機一髪―――繰り返すが危機だと思っているのはアッシュだけである―――間に合ったのであるが、それは同時にアッシュ自身に死亡フラグが立った瞬間でもあった。現在のルークは既にレイズデッドを習得していたし、タルタロスにはライフボトルも常備されているので、戦闘不能はそれ程深刻な問題ではないのだが、それでもナタリアとティアのコンボの前に地面に沈んだアッシュは「何故教えなかったのだ」とローレライに捲くし立てた。
確かにローレライがもう少し気を利かせていてくれれば状況は変わっていたかもしれない。しかし現実では実況中継はルークが意識を取り戻した時点で終了していたので、アッシュにその後のナタリアの台詞を知る術はなかったのだ。
恐る恐る再会する必要がないということは待つ間は平穏に過ごせたということであったのだが、それは出会い頭に秘奥義をくらう危機に備えることができなかったということでもあり、ナタリアが予めリヴァイブを唱えてくれたことに感謝すべきかどうか非常に微妙な判断が要求される場面の訪れは、そう遠くない未来の話である。
「知っていたとして回避する術があったとは到底思えぬのだが」
アッシュの苦情に対してローレライの放った一言は、彼を再び戦闘不能に追い込む威力があった。
精神的なダメージに対してはレイズレッドもライフボトルも無力である。
初めての超振動に興奮気味なナタリア。
無事タタル渓谷にやって来られたことに安堵の息を吐くルーク。
渓谷の美しさに目を奪われていても周囲に対する警戒を忘れないティア―――立派な軍人になったものである。
ルークにとっては初めての外。そして彼女たちにとっては帰らぬ人を待ち続けた場所。
夜のタタル渓谷は三人にとって特別な場所だった。
月明かりに青白く光るセレニアの花。それはかつてとなんら変わらない風景であるはずなのに、抱く思いのなんと違うことか。
夜の渓谷を堪能していた三人であったが、いつまでもそうしているわけにはいかない。タルタロス組と合流するためにもあまりのんびりしているわけには行かなかった。
「夜道は危ないのではなくて」
などと言いつつも、実力的に全然不安がっていない三人は渓谷を出ることにしたのだが、その前に隊列決めで一揉めすることになった。
ルークは当然自分が前衛に立つつもりだったのだが、ティアがそれを止めたのである。
王族を前衛にするなんてとんでもない、などという軍事としての常識による配慮ではない。もちろんそういった常識は理解できているが、黙っていれば問題ないという強(したた)かさも同時に持ち合わせていたので、これは純粋に効率の問題だった。
ティアの武器はハヌマンシャフトである。あっさりとした見かけに反し物理攻撃力は高い。譜術攻撃力が低いのが難点だったが、第七音素枯渇状態にある今のオールドラントでは物功を優先させた方がいいと判断した上での選択だった。カジノで荒稼ぎしたのは誰だったのだろう。よくよく注意してみると、皆それぞれ最強に近い武器を所持しているのだから、いつの間に、とルークは思う。自分だけ木刀なのが恨めしい。それでも、木刀で前衛は心許ないと言われてしまえば返す言葉もないルークだった。
「俺もジェイドにコンタミネーションを教えてもらっときゃよかったな」
ルークがかつて宝珠をコンタミネーションできたのは偶然だった。そして第七音素のみで構成されているルークには、他の音素を含む物の体内収納不可能であるため、覚えたところで利用価値は少ないだろう。第七音素のみでできているローレライの剣や鍵であればコンタミネーション収納が可能であるかもしれないが、鍵はまだ地核を漂っている時期であるためこの地上に第七音素のみでできている武器はなかった。地上のローレライに強請れば嬉々として用意してくれるだろう。しかしルークは思いつきもしなかったようである。そういう意味ではルークはローレライの使い方が一番下手だと言えるのかもしれなかった。
「わたくしもティアも治癒術を使えますけど、使用する度にルークから第七音素を頂くのは面倒ではありませんこと」
第七音素減少を知ってから棒術を習得したティアが前衛、弓使いのナタリアが殿(しんがり)。ルークが中衛なのは彼がこのパーティーの回復役だからと言われてしまえば、ルークに反論の余地はなかった。実際はティアとナタリアが強すぎてルークの活躍の場は皆無だ。それでも背後から襲われた時が心配だと反論を試みたルークだったが、現在のティアのスピードがあればタタル渓谷の魔物程度問題ないだろうということで、彼女たちの意見は覆らなかった。どう頑張ってもルークに勝ち目はないのだ。結託した女性二人に口で勝てるモノなど某死霊使いぐらいなものだろう。いやマルクト帝国三人組ならば全員可能かもしれない。亀の甲より年の功とはよく言ったものである。
前線に立つティアは後方にも注意を払っていたが、実際にはそれは必要のない気配りだった。ティアが駆けつける前に、魔物はナタリアの拳の前に沈んだのである。
「弓術の弱点は懐に入り込まれてしまったら成す術がないということですわ」
ニッコリ笑ってパンパンと汚れてもいない手を払う。
この七年間でナタリアは体術も極めたようだった。
渓谷の出口にはかつてと同じで辻馬車がいたが、馭者が「漆黒の翼が出た」と騒ぎ立てることはなかった。何故ならば現在漆黒の翼は義賊ではなく、オリジナルイオンの手足となっていたからである。元々はアッシュが「意外と使える奴らだったな」とかつてよりも早くに接触を持ったのだが、そんな便利な人間をオリジナルイオンがアッシュだけに使わせておくはずがない。それでも導師時代はそんなに人使いは荒くはなかった。荒くなったのはレプリカ誕生後ファブレ家に避難してからのことだ。素顔で外を出歩くことができないオリジナルイオンにとってサーカスは絶好の隠れ蓑。アリエッタも猛獣使いとして時々参加し人間のお友たちも増えたようである。サーカスの地方公演のためという世界漫遊の合理的な理由もできて一石二鳥。しかしオリジナルイオンには好都合であっても―――恐ろしすぎて訴えることもできないだろうが―――漆黒の翼にとっては不都合がいっぱいだったようである。オリジナルイオンを暗闇の夢に残して漆黒の翼の三人が義賊をやるなんて、そんな怖いことができるはずもなく―――羊の群れと狼を一緒にして放置するようなものではないか―――必然的に漆黒の翼は廃業に追い込まれたのだった。
なので、若い男女三人がこんなところで何しているのだろうと訝しがられはするが、その辺は「のんびりしていたら日が暮れちまったんだ」で誤魔化されてくれたようである。
馭者の未来が心配になったルークだった。
「近くの村まで乗せていってはくださいませんか?」
身なりのいい男女なので金は持っていそうだなぁ~と馭者は深く追求することはなく、近くの村までなのにかつてと同様の金額を要求してきた。
誰が支払うか、どうやって支払うかで揉める三人。
「こうなることがわかっていながら、何故誰も現金を用意していなかったのかしら?」
そんなことを言ったって、ない袖を振ることはできない。
ティアの母の形見のペンダント。ルークのシュザンヌが見立てたカフス。ナタリアが王から貰ったネックレス。などなど。
三人とも持っている物は高価な物ばかり。馭者としてはどれでもかまわないから早くして欲しい、と言いたいところなのだろうが、口を挟める雰囲気ではなかった。
「村に連れがおりますの。着いたらお支払いするということではいけませんか?」
かつて前払いでなければダメだと断られたこと知らないナタリアの提案に、やはり馭者は首を振るばかりだった。力尽くで馬車を奪い取るのと徒歩でエンゲーブまで行くのではどちらがよろしいかしら、などとナタリアが本気で考えている間に、ティアは自分のペンダントを馭者に渡し、村に着くまで預けておくのでそこで現金と交換するというのはどうか、と持ち掛ける。
「どうせお金に変えるつもりなのでしょ。村に着いたら私たちの知人に売ってくれればいいのよ。貴方の言い値で買い取ってくれるはずよ」
この提案に馭者が頷いた―――拒否できるような雰囲気ではなかった―――ので、無事辻馬車に乗ることのできた三人だった。
漆黒の翼がいないので、タルタロスとのニアミスがなければ橋を落とされることもなく、彼らはのんびりゆったり馬車での旅を満喫していた。
「言い値で買い取るだなんて、あんなこと言ってよかったのかよ」
馭者がいくら請求してくるかわかったものじゃない。彼らの仲間は王族だとか軍の上層部だといった地位を持っている者が大半だった。所持金のレベルが違うので、大抵の要求には応えられるだろうけれど。
ルークの心配にティアは「たぶん大丈夫だと思うわ」と意味ありげに笑うだけだった。
ティアの言った村にいる知り合いとはもちろんジェイドのことだ。ジェイド相手に言い値を言える一般人などいるとはティアには思えなかったのである。
そのころのタルタロス、というかエンゲーブ。
ルークがタタル渓谷にしたことを知ったアッシュは「さっさと迎えにいくぞ」とタルタロスを動かすように言ったが、ミュウと思われるチーグルが密猟者に捕まったらしいという情報に、ジェイドやイオンは「放っておくわけにはいきません」と密猟者に関する調査を開始した。
「そんなに迎えに行きたいのでしたら、お一人でどうぞ。しかし貴方がミュウを見捨てて自分を迎えに来たのだと知ったら、あの子はどう思うでしょうねぇ~」
ジェイドに笑顔で言われたアッシュはルークを迎えに行くことを渋々断念した。
ミュウ―――それ以外のただのチーグルであったとしても―――を見捨てたことをルークが知ったら軽蔑されるだろうか、とか思ってしまい欲望のままに行動することはできなかったようである。
それが正しいこととわかっていてもルークとの再会が遅れるという事にアッシュはイラついていた。
八つ当たりの対象は当然密猟者たちだ。ミュウも再会を遅らせた要因の一つであったが、ミュウに八つ当たったことがルークにバレたら嫌われる―――ルークがアッシュを嫌う可能性なんて皆無である。周囲の誰もがそう理解していた。その可能性を危惧しているのはアッシュのみである―――かもしれないと思うとそれもできず、鬱憤の溜まったアッシュは密猟者狩りで鮮血の名に相応しい大活躍をしてくれることだろう。
「今回は楽できそうですね」
ジェイドはもちろん確信犯である。
イオンとアニスはエンゲーブに待機。数名のマルクト兵を連れてジェイドとアッシュは密猟が行われていると思われるチーグルの森へ向かった。
密猟者グループはかつて住処を延焼で追われたライガクイーンがいた場所をアジトにしていた。
ジェイドの予想通りアッシュの大活躍で密猟者たちを捕縛。数匹のチーグルを保護。
身振り手振りで大樹へと導こうとする青いチーグルがきっとミュウなのだろう。ソーサラーリングを所持していないので何を言っているかわからなかったが、「きっと付いてこいと言っているのでしょうねぇ~」とかつて共に旅をした経験からかジェイドには推察することができた。
大樹の中でチーグルの長老と対面。仲間を救ってくれたことへの感謝と恩返しのためにチーグルを一匹同行させて欲しい、と長老は申し出た。かつてもそうだったがチーグル一匹に何が返せるとこの老チーグルは思ったのだろうか。仲間を危険に曝した罪の償いとして密猟者を森に招き入れる原因を作ったチーグルを選ぶあたり、恩返しと言うのは厄介物を押し付けるための方便ではないかと思えてならない。「罪の償い」と言われれば選ばれたチーグルもおとなしく森を出て行くしかないだろう。魔物も齢を重ねると狡猾になるようである。
そんな長老の思惑に気付いているのかいないのか、選ばれた青いチーグルは嬉しそうにソーサラーリングを受け取っていた。
「そんな顔をしていたらバレてしまいますよ」とジェイドは独りごちる。どうやらミュウはジェイドの説教コース決定のようだった。
「今回は貴方がミュウのご主人様、ということでしょうか」
アッシュとミュウは主従揃って嫌そうな顔である。
長老たちの目の前で揉めたりはしないが、後で大いに揉めることだろう。
「誰がてめぇの『ご主人様』だ?」
「ボクのご主人様はルーク(ご主人様)だけですの」
主従の意見は一致しているのに何故揉めるのか?
結局ミュウのご主人様はルークということで落ち着いた。
「同じ顔なんだ。わかりゃしねぇだろうよ」
再びチーグルの森を訪問することがあった場合、仕える主が変わっているのはまずいのではないかとの危惧―――アリエッタとの決闘フラグは消滅していたので、チーグルの森にもう一度来なければならない理由はないので危惧する必要はなかったかもしれない―――をアッシュは一蹴した。同じ顔であることに対するアッシュの気持ちはかつてと百八十度変わってしまったようである。
「ボクは間違えたりしないですの」
「てめぇはな」
アッシュはミュウをぐりぐりと地面に押し付けた。その行動がルーク同様照れ隠しであると気付くモノはどれ程いただろうか?
「ご主人様と同じですの~」
懐かしい痛みに涙を流すのは、嬉しいからか本当に痛いからか。ここにティアがいれば止めただろう。しかし彼女は現在エンゲーブに向かう馬車の中だ。有象無象の兵士たちにアッシュを制止する度胸はなく、ジェイドはミュウの扱いとはこんなものだと思っているので放置していた。しかしここでやるべきことなどそう多くはなく、捕らえた密猟者たちの護送を兵士たちに指示もしたし後はエンゲーブに戻るのみである。
未だ同じレベルで口論中の一人と一匹を残しで自分だけ先に帰ってしまおうか、とジェイドは思う。それでも一応声は掛けることにしたようである。
「はいは~い。主従漫才はその辺にしてそろそろ戻りますよ~」
「主従じゃねぇ!「ないですの」」
ツッコミどころはそこなのだろうか。
現在このファブレ家の家長はルークの母・シュザンヌである。クリムゾンがバチカルを離れベルケントに居を移してから六年強。今では立派な女主人だった。そこに夫や兄の言いなりだったころの面影はない。
クリムゾンのベルケント出向は預言にそう詠まれたからだった。ファブレ家直轄地であるベルケントの死守が、預言が彼に与えた役割である、というのが世間一般に知られている理由であったが、真実は妻の逆鱗に触れたためであるということを知る者は少ない。
預言は『ベルケントを守れ』と命じたに過ぎない。それは公爵家への立ち入り禁止を詠ったものではなかった。それにも関わらず、クリムゾンが公爵家の敷地内に入れるのは年に二~三回がいいところだった。一泊できる日となると更に少ない。
別にクリムゾンが薄情だということではないのだ。バチカルを追い出された―――クリムゾン本人は自分が追い出されたとは未だに気付いていないだろう―――当初は毎週のように、ここ数年も月に数度はバチカルを訪れては―――これは国王に謁見するなど公務である場合が多いのだが、純粋に妻と息子に会うためだけに来ることも間々あった―――その度に屋敷を訪ねてはいるのである。しかしアッシュやイオンたちといった本来ならファブレ家にいるはずのないモノが屋敷にいる時、門扉は硬く閉ざされけっして開くことはなかった。クリムゾンにとって不幸なことにアッシュが屋敷を訪れる頻度はクリムゾンよりも高いのである。
バチカルの屋敷への滞在を願うクリムゾンに、シュザンヌは険しい顔でこう言うのだった。
「いつまでバチカルにいらっしゃるおつもりですか? 早くベルケントにお戻りください。彼の地に何かあったらどうなさるおつもりですか」
彼女の言葉は預言遵守を信条に掲げる者にとって抗えるものではなかった。なので、今もあるはずのない危機に備えてベルケントを守っていることだろう。
ルークが屋敷から消えたことをクリムゾンが知れば、慌ててバチカルに戻ってくるに違いない。その時は「あなたは、ベルケントをしっかり守っていたのですか?」とでも言って差し上げましょう、とシュザンヌは思う。彼女は子供たち二人が屋敷にいないという鬱憤をクリムゾンで晴らすことに決めたようである。
ルークが応接室に入ると、そこにはシュザンヌとヴァン・グランツの姿があった。もちろん傍にはメイドも騎士も控えているので二人きりというわけではない。
ルークは、ヴァンの本心を知っても未だ師と仰ぐ男の姿に複雑な笑みを浮かべた。これからのことを思えばいつものような無邪気な笑顔はできなかったのだ。それでもヴァンとの接点が少ない今、ヴァンがルークの笑顔の意味に気付くことはないだろう。
紅茶一杯分当たり障りのない世間話をし、中庭で剣術の稽古という流れもまたいつも通りである。この時期既にダアトを発っているはずのイオンの話は出なかった。まだヴァンの耳に入っていないからなのか、あるいはかつてのように「しばらく訪れることは叶わない」と断らずともしばらくファブレ家訪問の予定はないから、しなかったのか。
「私は先に行く。支度が済んだらすぐ来るように」
いつか聞いた台詞だった。ヴァンが先に行く理由などないのだ。今ならこのヴァンの行動の訳もわかる。ガイとの秘密の会話のため、なのだろう。
ヴァンの消えた室内で、ルークはシュザンヌの心配げな眼差しを正面から受け止め力強く笑ってみせた。
「アッシュたちを迎えにいくだけです。ナタリアもティアも一緒なんだし、そんなに心配しなくても大丈夫です。母上」
「くれぐれも怪我のないようにね」
母の心痛はよくわかったが、ルークはアッシュに会えないことを己が我慢できるとは思っていなかった。
この世界に戻ってきてから、互いの半身に対する依存度は増すばかりだった。離れていても大丈夫だったのはローレライロードが開通する前のわずかな間だけである。それだって回線での会話は毎日の日課だった。直接会えない分繋いでいる時間は今よりも長かったような気がする。ローレライロードが開通してからは週に二・三度は直接会うようになった。その逢瀬は数分であったり、あるいは相手が寝ている時に寝顔を見るだけしか叶わなかったりすることもあったが、三日と空くことはなかったと言っても過言ではないだろう。一日空けば「久しぶり」という会話を交わし、二日空くと禁断症状が出てくる二人である。数ヶ月もの間互いの顔を見られないなど発狂するのではないか、という予想は大袈裟であると笑い飛ばせるようなものではなかった。
もっとも寝顔を見るだけで帰るのはアッシュだけである。ルークが同じ事をしようとしても熟睡しているはずのアッシュはルークの訪問に合わせて目を覚ましてしまうので、ルークは悔しいのか嬉しいのかよくわからない複雑な笑顔を浮かべるしかなかった。
「アッシュは任務で疲れているだろうから、寝顔だけ見て帰ろうと思ったのに・・・・・・」
「変な気を使うな。それに睡眠よりおまえに触れている方が疲れは取れる」
アッシュにとっては告白の意味もあったのだろう。しかしそれは遠回し過ぎてルークには理解できなかったようである。ルークは―――アッシュもだが―――第七音譜術士相手であれば触れることで第七音素の譲渡が可能だったので、「俺の第七音素がアッシュを癒しているのかな」と思い込んでいるのだから、アッシュはこの先も苦労しそうである。
「身体に気をつけて、皆さんの言う事をよく聞くのですよ」
まるで幼い子供に言い聞かせるかのような扱いが少々照れ臭くはあったが、自分を抱きしめるシュザンヌの手が震えていたのに気付いたルークは母の背に手を回し抱きしめ返した。
もし母がもっと強く主張したのであればルークも諦めただろう。しかし息子たちの気持ちを母もまたわかっていたので、心配はしてもそれ以上引きとめようとはしなかったのである。
さて中庭ではヴァンが一人所在なさげに佇んでいた。
希望していただろうガイとの密談は、ティーカップ片手に稽古を見学する姿勢のナタリアの存在があるため断念せざるを得なかったのだ。ちなみにガイはナタリアの給仕で忙しそうである。
「では、基本から始めよう」
ルークは右手で剣を構えた。左手で剣を持ったルークはかつてエルドラントでヴァンを打ち倒した時を遙かに凌ぐ実力者である。その実力を隠すためにヴァンの前では右利きのふりをしているのだ。ちなみに右手での実力はかつての旅の始まりの時と同程度であった。
「公爵家に入り込んでいたなんて・・・・・・裏切り者、ヴァンデスデルカ!」
すらりとした影が屋根の上に姿を現す。
「ティア!」
地上にいた四人はその影の正体に今初めて気付いたかのように、驚きの声を上げる。いや一名は本当に今気付いたばかりであるのだが。
「そんなところで何をなさっていますの?」
ナタリアが場にそぐわない程おっとりと声を掛ける。
「お願いナタリア、止めないで。公爵家を騒がせてしまったことは申し訳ないとは思うわ。でも、兄を野放しにしておくわけにはいかないの」
「止めたりなどいたしませんわ。理由はよくわかりませんが、ティアがそこまでおっしゃるのですもの。微力ではありますが、わたくしもお手伝いいたしますわ」
止める間も無く背後に控えていた騎士から弓と矢を奪い取る。騎士が所持していた弓がナタリアの愛弓であることなどヴァンは知る由もないので「ナタリア殿下、せめて理由ぐらい聞いてから協力するかどうかを決めてはくれまいか」と思ったようだが、ティアがヴァンに訴える間を与えるはずがなかった。
「覚悟っ!」
頭上目掛けて激しく振り下ろされる杖を防ぐことで手一杯のヴァンに、ナタリアが容赦なく矢を放つ。自分とヴァンを繋ぐ直線上にティアがいるため上手く狙いが付けられないことが歯痒いのか、王女には相応しくない舌打ちを一つすると、護身用の懐剣を取り出しナタリアはヴァン目掛けて走り出した。
少女たちの演技には見えない戦いぶりにルークは本気でうろたえていた。
「三人とも落ち着けって」
争いを止めて話し合おうと、ルークはヴァンとティアの間に割って入る。
そうして、予定通り超振動が発動した。
眩い光に一瞬目が眩む。数瞬の後取り戻した視界で確認したファブレ公爵家の中庭からはルーク・ティア・ナタリアの三人の姿が消えていた。
「納得の行く説明を聞かせていただきましょうか。ヴァン謡将」
ヴァンは首筋に冷たい感触に自分がかなり拙い状況に置かれていることを理解した。
ちなみにヴァンの首に剣を押し付けているのはジョゼット・セシルである。彼女は新白光騎士団(仮)の団長であった。
ヴァンが視線で助けを求めた先で、ガイが力なく頭を振った。
ルークたちが旅立った後のファブレ家では、ヴァンがシュザンヌの前に引き立てられていた。完全に罪人扱いである。
「王族二人を屋敷の外へ連れ去ったのは私ではない。自分は被害者だ!」とヴァンはさぞかし訴えたかったことだろう。しかし妹である時点で無関係で通すことは難しい。見ず知らずの女という事にしておこうか。襲撃者が妹であると知られていない今ならそれも可能であるかもしれない。妹がこのまま何処かへ姿を眩ませてくれればいい。自分の計画が実現すれば、もう逃げ続ける必要はなくなるのだから、逃亡生活はそう長くなることはないはずだ。
怒れるシュザンヌを前にヴァンはそんなことを考えていた。今何故自分が罪人扱いされているかわかっていないようである。
「自分を狙った襲撃者が原因でルークとナタリア殿下が・・・・・・」と原因を作ってしまったことと、守りきれなかったことを咎められているのだろうか? しかしあそこで超振動が起きるなど予想できるはずがないではないか、と。
シュザンヌの自分に対する扱いを理不尽な言い掛かりであるとヴァンは解釈していた。溺愛する息子とこの国の王女。その二人が突然屋敷から姿を消したのである。彼女の混乱も仕方がないだろう。
ヴァンは内心の感情を悟らせないよう神妙な顔付きでシュザンヌに対峙していた。
場所は間違いようもなくいつもの応接室である。
テーブルの上にティーカップがないだけで、染み一つ、皺一つないテーブルクロスはいつものようにその白さを誇っていた。
ヴァンは公爵家に相応しい豪奢な、しかし品の良い椅子に腰を掛け、テーブルを挟んで向かい側の席にはシュザンヌが座っている。
いつもの光景。
いつもと違う所は彼女の息子と同じ翡翠がヴァンを鋭く睨んでいることと、周囲に控える白光騎士たちが全員抜刀していることだろうか。
入り口付近の壁を背にして立つガイがヴァンの視線に気付き、大仰に肩を竦めた。その目が「余計なことは話すな」と命じている。
シュザンヌは何も言わず、ヴァンの出方を待っているようだった。
数分の沈黙がヴァンには何時間にも感じられた。そして耐え切れなくなった。
まずは「襲撃者に見覚えはない。自分が何故狙われたかわからない」と言ってみる。
襲撃者が「ヴァンデスデルカ」とヴァンの名を呼んだことを失念しているのか、その名とヴァンを結びつけることができる者はこの場にガイしかいないと思っているからなのか、これで誤魔化せると思ったようである。
パチリとシュザンヌの手元で扇が鳴る。
「貴方は彼女の名を呼んでいたと聞いておりますが。それに、ティアさんと貴方の関係をわたくしが知らないとでもお思いですか?」
ヴァンの知らない人物発言はこうしてあっけなく瓦解した。
「妹は何か誤解しているのだ。お二方を巻き込んでしまったことは申し訳ないが、あれは事故であって、妹も彼らを連れ去るつもりなどなかったはずです」
ヴァンにティアを切り捨てることはできなかった。シスコン髭オヤジはどうにかして妹が咎められることがないよう尽力するのが自分の役目だと信じて疑っていなかったのである。
しかし今罪を問われているのはヴァン自身であって、ティアではない。
見当違いのヴァンの熱弁は続く。あまりの的外れっぷりにシュザンヌは小さく嘆息した。
「命を狙われるほどの誤解とはどのようなことか、聞かせていただきましょう」
どんなに口調が丁寧であってもそれは逆らうことの許されない命令に他ならない。降嫁したとはいえ彼女の中に流れる王家の血は顕在だった。
教団の機密、家族の問題、そんな言葉でシュザンヌを煙に巻くことはできないだろう。そもそもこの二つが両立する状態こそ公私混同も甚だしい。
「教団の機密とおっしゃるのでしたら、正式に教団に問い合わせましょうか」と言われヴァンは焦った。教団に秘密で動いている身としては問い合わせなどしてもらっては困るのだ。
さりとて家族の問題だから不問にして欲しいなど王族二人が行方不明の状態で言えばシュザンヌの神経を逆なでするだけである。それが可能にするには二人が無事バチカルに帰還する必要があった。
ヴァンは「お二方を探しに行きたいのですが」と申し出てみた。己が二人の帰還に貢献すれば妹の罪を軽減することもできるだろう。それと同時にこの場を辞すこともでき一石二鳥であるとヴァンは考えたのだ。
しかしヴァンの思惑を知っているかのように、シュザンヌはそれを一蹴した。
「二人の捜索は我が家の者にやらせております。ヴァン謡将のお手を煩わせるまでもありません」
シュザンヌの表情が一変するのはこの直後だった。先ほどまでの息子と姪を心配する母親の顔から、ファブレ家の家長として白光騎士団を束ねる者の顔へ。
代々ファブレ家の私兵は白光騎士団と呼ばれ、それを指揮するファブレ家の家長の名と共に戦場での活躍はヴァンの耳にも届いていた。しかしそれも家長がクリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレであったころの話であり、シュザンヌに代替わりしてから白光騎士団が戦場で活躍する機会はなかったはずである。はずなのだが、ヴァンは自分の認識の甘さを今まさに身をもって体験させられていた。
ヴァンは軍人であった。軍人の性(さが)が彼女には逆らってはならないと忠告している。呑み込む唾などありはしないのに喉が上下した。ありもしないティーカップの幻が見えるのはここがファブレ家の応接室であり、その白いテーブルクロスの上にはティーカップが鎮座しているのが常であったからだろうか。
他人(ひと)はそれを現実逃避と呼ぶ。
「お疲れのようですわね」
扇で隠された口許に笑みが見えたのはヴァンの見間違いであろうか?
「ガイ。ヴァン謡将を客間に案内してあげてください」
口調も台詞も公爵夫人のそれそのものであるというのに、ヴァンは「ひっ捕らえて、牢にでも入れておけ」と言われているような気分だった。
「ティアさんのことはわたくしもよく存じております。彼女は確証もなしに武器を向けるような人間ではありません。そのことは兄である貴方が一番よくわかっていらっしゃいますでしょ。それが誤解だというのであれば、貴方の方に誤解を受けるような落ち度があったということではありませんか。理由をお話いただけない以上、わたくしにはそれが彼女の誤解なのか、貴方が本当に妹を裏切っているのか判断することはできません。そんな状況で貴方を自由にしてしまったとあっては彼女に申し訳が立ちませんわ。貴方には彼女が戻るまでこのファブレ家に滞在していただきます。よろしいですわね」
口調は確認であっても、それは既に決まったことを通達されているに過ぎない。
ヴァンに逆らう術はなかった。
「ヴァン謡将」
ガイがヴァンの座る椅子を引き、起立を促す。
退出の挨拶さえ満足にできたか判らぬまま、ヴァンはガイに伴われて応接室を後にした。
初めて通されたファブレ家の客間でヴァンは所在なさげに立ち尽くしていた。
ティアが突然襲ってきてからこれまでの展開がヴァンの予想を遙かに超えていたため、色々と処理できないことが多すぎていっぱいいっぱいなのだろう。
フッとガイが笑い声を漏らす。聞かれたとしても別に構わなかったのでガイは笑いを我慢しなかったのだが、ヴァンの耳には届いていなかったようだった。
「悪いな、ヴァン。奥様のご命令なんでね。鍵は外側からかけさせてもらうぜ」
そこは確かに客間の名に相応しい造りをしていた。しかし窓が嵌め殺しであったり、廊下側からも鍵をかけることが可能であったりと、牢と同じ目的のために作られた部屋であることは明らである。
「くれぐれも余計なことをしたり言ったりしてくれるなよ」
ガイはヴァンに背を向け室内をゆっくりと闊歩する。コツ、コツと彼が拳の裏で壁を叩く音がやけに大きく室内に響く。それはまるで壁の強度をヴァンに示しているかのようでもあった。
逃げようなどとは思うな、と。
しかしそれさえもヴァンにはどこか遠い世界の出来事のように眺めていた。いや目に映っているか怪しいものである。
室内を半周、そしてガイは中庭に面した窓のカーテンを開けた。
「ペール」
ガイが自分以外に向けた声に、ヴァンは初めて意識を他に向けることができた。
ガラス窓の外、先程事件の起きたばかりの中庭にその人物はいた。
ペールギュント・サダン・ナイマッハ―――かつて左の騎士と恐れられたアルバート流シグムント派の使い手である。幼き頃己の父と肩を並べるこの男に父に向けるのと同等の憧れを抱いていたことを思い出す。庭師の姿をしていてもその眼光の鋭さに衰えは見られないことに、安堵したのかそれとも恐怖を覚えたのか。
『何ですかな。ガイラルディア様』
ペールギュントの声は聞こえなかった。ただ唇の動きがガイに、そしてヴァンにその言葉を伝える。だから聞こえるはずのない声が、若き日の、幼き頃に聴いたペールギュントの声そのままにヴァンの耳には聞こえていた。
「ヴァンを見張っていてくれ。俺の目的の妨げになるようであれば・・・・・・、わかっているな」
『御意に』
ペールギュントが恭しく頭を下げる。
その芝居がかった動作にこれは現実ではないのではないかと錯覚する。
ヴァンは気付いていないようだったが、それは錯覚ではなく願望だ。
丸腰の年老いた庭師に敵う気がしないのは何故だ。窓が開かず壁が厚く扉に鍵が掛かっているとはいえ、ここは公爵家の客間に過ぎない。こういう部屋に監禁される者は脱獄など考えたりしないのが普通であったから、その程度設備で充分なのだ。それ故ヴァンほどの手練であれば抜け出すことなど容易いはずなのに、脱獄不可能な牢獄にしか思えないのは何故だ。
「何か必要なものはあるか?」
部屋を出て行くガイが振り返ってヴァンに問う。
「水を・・・・・・」
自分で言った言葉に、ヴァンは喉が渇いていたことを思い出した。
それはティアが決意を胸に外郭大地に赴いた日であったり、導師イオンがマルクトの要請でダアトを出奔した日であったり、エンゲーブ村で食料盗難が相次ぐようになった日だったり、するのだが、それらがレムデーカン・レム・二十三の日から始まるルークの旅に関わってくることなど、かつては誰も知る由がないことだった。
しかしそれもすでに同じ道をたどることのない未来の記憶でしかない。
かつての道が預言通りの道であったのだとすれば、彼ら、彼女らは既に預言を覆していると言ってもいいだろう。
ティアはもう何年も前から外郭大地で暮らしていたし、今のイオンは誰にも何も告げずにダアトを出立したりはしないだろう。ライガの森は炎上していないのだから当然エンゲーブで食料盗難など起こるはずがない。そうミュウもまたローレライにより選ばれたモノの一人、いや一匹だったのである。
それでも彼ら、彼女らには同じでなければならないことがあった。そして同じであっても違うことを望んだ。
かつてと同じようにルークと旅をしよう。しかしかつてとは違ってその眼を涙で濡らさぬようにしよう。いや、嬉し涙ならよいのだ。笑いすぎて涙が出るというのならばいくらでも泣かせてやろうではないか。
それぞれの場所でそれぞれの物語が始まる。その物語が一つになる日を夢見ながら。
まずはブタザル、ではなくミュウの物語から始めるとしよう。
ミュウが生まれたのはルークが誕生した以降のことだ。なので、彼には生まれた瞬間からかつての記憶を所持していたようである。もっとも自身が生まれた時間からやり直しているらしいと気付いたのは自我が芽生え始めたころだった。
ミュウはご主人様に会いたかった。しかし今の時点でそれは難しかった。ご主人様はきっとバチカルにいるだろう。バチカルまで行くことができればご主人様に会えるかもしれない。ご主人様に会いたい。その一念でミュウは森を飛び出した。
魔物の思考は単純だった。今のルークに自分の知るご主人様ではない可能性など欠片も考えてはいなかった。森の仲間たちに自分と同じような記憶を有しているモノなど一匹もいないというのに、ルークは、ルークたちは自分と同じであると確信していた。
時として野生の勘は理論を上回る。ミュウの勘は正しかったのだ。
そうしてミュウはエンゲーブにやってきた。この小さな身体で歩いていくにはバチカルは遠すぎる。世界の食料庫であるエンゲーブ。ここの作物がバチカルでも食べられていることをミュウは知っていた。バチカルに輸出される作物の便に乗せてもらおうと思ったのだ。密航も考えた。しかし行き先を間違えてしまっては本末転倒である。キムラスカに運ばれる荷はどれかと、ミュウは一生懸命村人に尋ねた。しかしミュウにはソーサラーリングがなかったのである。それでは言葉か通じるはずがない。それでもミュウは頑張った。その結果村人たち、特に子供たちの人気者になった。最初は言葉で、次は身振り手振りで、そしてミュウは終に気付いたのである。字を書けばよいということに。
子供たちを集めて―――本当は大人が良かったのだが、農作業に忙しい大人たちはミュウの相手をしてはくれなかったのだ―――ミュウは棒切れで地面に文字を書いた。
『バチカルに行きたいですの~』
ここはマルクト領だった。一生懸命なチーグルの願いを叶えてあげたいと思っても、子供たちにとってバチカルは遠すぎた。いやたとえ近かったとしても、キムラスカは敵国である。連れて行くことは不可能だった。子供たちにできることは、チーグルの願いを叶えてあげられないだろうかと、字を書くことのできるチーグルの話を自分の親に伝えることだけだった。
一方で人懐っこいチーグルがいるという噂はよからぬことを企む人間の耳にも伝わった。つまりは密猟者たちに、である。
そして翌朝、ミュウの前に現れたのは密猟者の方だった。
さてそのころのタルタロス。
ジェイドはかつてと同様タルタロスでダアト経由しバチカルへ向かっていた。
しかしかつてとは違って、導師は教団の総意を得てマルクトに協力していたし、護衛として導師守護役(フォンマスターガーディアン)のアニスだけではなく、特務師団長アッシュも同行させていた。
ジェイドはかつてのようにモースを筆頭とする反対派の目を気にして極秘裏にイオンに接触しようなどとはせず、正面から堂々と正式な手段で面会を求めた。ピオニーの親書ももちろん事前に準備済みである。モースとヴァンが不在の時を狙ってダアト訪問したのももちろん計画の内であった。
そのころモースとヴァンはバチカルに足止めされていた。もちろんバチカル組の仕業である。二人はダアトに戻るどころかダアトの様子を知る術さえない状態に置かれているのだが、もちろんそのことに気付かれるようなへまをするキムラスカ組ではなかった。
モースにはアニス、ヴァンには六神将がいたので、二人ともダアトに帰国できなくてもそんなに気にしてはいなかったのだが、アニスが実は二重スパイであったり、六神将のうちリグレットとラルゴ以外が既に寝返っていたりすることに、どちらも気付いていないあたりがこの二人が彼らに勝てない要因に違いないだろう。
ND2018・レムデーカン・レム・23の日。
ティアはファブレ公爵家の屋根の上にいた。
普通に中庭に通じる扉から登場していいとは言われたのだけれど、なんとなく前と同じな方が楽しそうだと思ったのだ。
「裏切り者、ヴァンデスデルカ!」
この一言は是非とも叫んでおきたい。そしてこの言葉は屋根から飛び降りながら放つのが一番相応しいような気がしたのだ。
朝食の席でティアがその話をすると、シュザンヌは女の子が屋根から飛び降りるなんてと一頻り心配した後で、梯子を準備するようガイに命じた。
シュザンヌの心配はルークとガイとナタリアの連携で一蹴されたのだ。
「ティアですもの。心配はいりませんわ。それよりも、わたくしもご一緒させていただいてはいけませんかしら?」
シュザンヌの説得よりも、ティアと二人で屋根から登場してみたいと言い出したナタリアの説得の方が大変だった。
ナタリアがヴァンを裏切り者扱いする理由は現時点では存在しない。少なくともヴァンはルークたちが知っていることを知らないのである。
「ナタリアの場合、飛び降りない方がいいと思うのだけど」
屋根の上から狙い打つ方が効率が良いのではないか、と。
そういう問題ではないと思うのだが。以前とは違い立派な軍人になったティアの指摘は、一弓使いに向けた言葉であるのなら正しいだろう。しかし王女に対する言葉ではない。
「それもそうですわね」
それに納得してしまう王女の方もどうかとは思うが本人はまったく気にしていないようである。それよりも屋根の上で弓を構える己の姿を想像しうっとりしていた。
まずはすっかりその気になっているナタリアを説得しなければならないようである。
いくらなんでもそれではヴァンに怪しまれるだろう、と。
ナタリアは多少無理があろうともヴァン襲撃に加担する気満々だったので、屋根からの登場は諦めてもすぐさま次の手を打ってくる。
「そうですわ。侵入者であるティアを攻撃するふりして謡将を狙うというのはどうかしら?」
「俺には当てないでくれよ」
「ルーク。わたくしを誰だとお思いですの?」
ランバルディア流弓術免許皆伝ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア王女様であらせられます。
ルークとガイはお互いの顔を見合わせ、深い深い溜息を吐いた。
ナタリアをどうやって思い止まらせようかと頭を痛めるルークとガイだったが、援護射撃は思わぬところからもたらされた。
「まぁ殿下。それはいけませんわ」
ナタリアとティアが友人同士であることは公にしてあるのだから、ナタリアがティアを攻撃するのはおかしいと、おっとりしているようでいて意外と鋭いシュザンヌが指摘する。
あからさまにガッカリするナタリアに同情してはいけない。ガッカリしているのは確かだが、彼女は諦めてはいないのだ。
「最初からヴァンを狙ったらどうかな」
ヴァン襲撃を諦めかけたナタリアの援護は意外な人物がした。いやもしかしたらこれ以上相応しい人物はいないかもしれない。シンクの参謀総長としての能力はオリジナルから受け継いだに違いないと思うのはこういう時だった。
「名案ですわ」
ナタリアがオリジナルイオンの手を取って飛び跳ねる。ナタリアにとっては唯一の味方であったが最強の加勢である。
「理由が必要よね」
「友の加勢をするのに理由など必要ありませんわ」
もうナタリアを止める手立てはないだろう。こうなった以上ヴァンに疑いを抱かせないための状況作りをするより他はない。
先ずは武器の調達が問題となる。ルークとヴァンの稽古を見学している王女の傍らに弓と矢があるとはどんな状況なのか。
パチンと王女の指が鳴る。
「大佐に教えていただきましたのよ」
エルヴンボウ―――いつの間に作ったのだろうか。セレスティアルスターが良かったというナタリアの希望は、今はまだ闘技場で目立つわけにはいかないため断念せざるを得なかったのだ。
「ティアが襲撃してきたらこっそり取り出しますわ」
再び体内に収納しようとしたが、その前にそれを取り上げる手があった。
「何をなさいますの?」
ジョゼットだった。
「これはお預かりいたします。殿下を護衛する騎士からお受け取りください」
コンタミネーション能力は隠しておくべきである、というのである。
その意見にはナタリアも納得したようで、「よろしくお願いしますわ」と愛弓を預ける。ここにいる人間が第三者であったならば、護衛の騎士から武器を奪い取る王女をヴァンが訝しがらないかと不安になりそうなものなのだが、ナタリアをよく知る者からしてみればそれはとても彼女らしい行動だったため誰も気に留めなかったのだ。
最後にうっかり殺してしまわないようにと念を押して、ナタリアの参戦は決定事項となった。
「擬似超振動は、ローレライがどうにかしてくれるんだったよな」
「うむ。しかとタタル渓谷に送り届けよう」
この場には人型を模したローレライも同席していた。この七年間で随分人間っぽくなったものである。
「本当に行くのですね」
シュザンヌはルークに思いとどまって欲しかった。すべて計画のうちで危険はないと聞かされていても彼女の心配は尽きない。それに寂しさが拍車をかけた。もう一人の息子も計画遂行中のためしばらく会う事が叶わない状態にあるというのに、ルークまでこの屋敷を出てしまうなんて、と。
ルークは母のその視線に弱かった。それでも、いくら母の頼みであっても今回だけは譲れない理由がルークにもあるのだ。
そもそもこの襲撃の本当の目的はそれなのである。
現在レプリカイオンやジェイドと共にキムラスカに向かっているアッシュとエンゲーブで合流すること。以前と同じことをしなければならない理由はなかったのだが、このことに関してはルークが「どうしても」と言ってきかなかった。
数日前いつものようにファブレ家を訪れたアッシュから「しばらくダアトを離れるから会いに来られない」と聞かされたルークは、もうそんな時期なのだと思った。
ティアがファブレ公爵家を襲撃した日。それはルークにとって忘れることのできない特別な日だった。そして再びバチカルの地を踏んだ日も、である。
ルークの始めての旅は二月半ほどに及んだ。今回六神将の襲撃がなく―――「なければいいな」と期待はしているが、「ない」という保証はない―――道中すべてタルタロスの使用が可能であったとしても、しばらくはアッシュに会えない日が続くことになるだろう。
ルークにはそれが我慢できなかった。
そしてローレライはルークのお願いにすこぶる弱かった。
ルークはアッシュに会いたいがためにティアと超振動を起こすことを望み、ティアは兄に一撃喰らわせたいとの思いからそれを了承したというのが事の真相である。
だからなんとしてでも超振動は起こさなければならなかった。
ティアの第七音譜術士(セブンスフォニマー)としての能力が低下している今、上手く超振動を起こすことができるか心配だったのだが、そこはローレライが力を貸してくれることになったのだから大丈夫だろう。
「わたくしも第七音術士の端くれです。ご一緒しても問題ないはずですわ。そうですわよね。ローレライ」
タルタロスにアッシュも乗船していることを知ったナタリアが自分も一緒に行くと言い出せば、ガイが黙っているはずがない。
「もちろん俺も一緒に行くからな」
しかしガイの希望はローレライ、ティア、ナタリア、ルークによってあっさり却下されることになる。
「定員オーバーだな」
「貴方は第七音術士じゃないから無理じゃないかしら」
「こちらのことを任せられるのはガイしかおりませんわ」
「『ガイ様華麗に参上』はやらなくてもいいのかよ」
四者四様に言われ、ガイはグッと言葉に詰まる。果たして誰の言葉が彼に同行を思い留まらせたのか、それはガイのみが知ることだった。
さて最後の確認事項も終わり、ファブレ邸では中庭の片隅ではいつものように青空お茶会が開かれていた。
本日の参加者はルーク、ナタリア、ティアの三人。ガイも傍にいるがヴァンの手前本日の彼は給仕役に専念していた。シュザンヌやオリジナルイオンが不在なのは、本日来訪予定の人物が原因である。本来ならティアも隠れているべきなのかもしれなかったが、来てから隠れればよい、見つかったのなら見つかったで、そのための理由は用意してあったので問題はない、と彼女はいつも通り穏やかな一時を満喫していた。
始まりの日に備え、ティアは数日前からナタリアの許に遊びに来ていたのだった。もちろんヴァンとモースには内緒である。どうしても秘密にしておかなければならないことではなかったから、聞かれたのであれば素直に答えただろう。ただどちらも訊ねなかったのだ。
公にはされていなかったがユリアシティの市長の孫でユリアの子孫というティアの出自は、キムラスカ王女の友人という立場を得るには充分であり、五・六年前からナタリアとティアは公式に友人付き合いをしていた。同年代同性の友人を欲したナタリアがダアトに表敬訪問した際にティアとの友人になること望み、ティアの出自を知った王がそれ許可したというのが対外的な説明である。もちろん八割以上真実であれば疑う者はいないだろう。
「ヴァン謡将がいらっしゃいました」
メイドの告げた言葉に、ルークはわずかに緊張した。
「大丈夫ですわ」
ナタリアの手がルークの握った拳に添えられる。ティアとガイが力強く頷く。仲間たちの笑顔がルークに勇気を与えてくれる。
ND2018・レムデーカン・レム・二十三の日―――この日にヴァンの稽古を入れたのはもちろん計画(遊び)の一環だった。
ファブレ家を襲撃したティアとの間で超振動を起こし、タタル渓谷に飛ばされてからバチカルに帰還するまでの旅を、踏襲しなければならない理由はなかったのだが、その方が楽しそうだと言い出したのは誰だったのか? ルークはタルタロスで移動中はアッシュと会うことができないと知ると迎えに行くと言ってきかないし、今回のイオンにはアニスだけではなくアッシュも付いていると知ったナタリアが自分も一緒に行くと言い出したため、台本は何度も書き直された。ちなみに己もと望んだガイの希望が素気無く却下されたのは、ガイの不幸属性が原因ではなく、ファブレ家に残された人々の安全のためにも必要なことだったからである。要するに公爵家の庭に残されるであろうヴァン対策である。たぶん、きっと・・・・・・。
「本当にやるのか?」
「当然でしょ」
「わたくしも協力いたしますわ。ティア」
ガイは明後日の方向を向いて「女って怖え~」とお決まりの台詞を呟いた。
ヴァン来訪の知らせに、ティアは屋根に潜む準備をし、ナタリアはテーブルを庭の隅に移動させる―――実際に移動させたのは当然ガイである―――と、ルークとティアに向かって「ここでお待ちしていますわ」と手を振った。ナタリアを守るように背後に立った白光騎士の得物が弓であることを明記しておこう。もちろんコレも台本に書かれていることの一つだった。