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「気心の知れた者の方がルークもやりやすいでしょう」
シュザンヌのこの一声でそれは決定事項となった。それは消滅すると思っている場所に貴重な戦力を割きたくないという国王の思惑とも一致していたので、反対されることはなかったのだ。女性のみで構成された今の白光騎士団の実力が国内で一・二を争うものであると知る者は国王とその周囲にはいなかった。ファブレ家の当主がシュザンヌに替わってから戦争は起きていないので、彼女たちが屋敷の外で活躍する機会は皆無だったのだからそれも仕方のないことだろう。
救援が目的である以上医療関係者を同行させることは必須である。治癒士が無力となってから一躍脚光を浴びるようになった医師や薬師は一般からボランティアを募った。彼らが実は医師や薬師のふりをした協力者であると気付ける者はまずいないだろう。ちなみにボランティアを称する彼らの正体は暗闇の夢である。表の顔はサーカス一味。実体は被験者(オリジナル)イオンの手足。その主な任務は諜報活動にある。変装などお手の物だ。
「あれって、イオンだよな」
そこに昨夜ヴァンによって誘拐されたはずの導師イオンが混ざっていることは公然の秘密だった。
ルークはまず救援部隊を二つに別けた。親善大使としての初仕事である。
救援部隊のアクゼリュス行きを阻止するために海上やらバチカルの入り口やらを見張る六神将がいる、なんてことはないので全員海路でも問題ないように思える。
対外的な理由にはヴァンたちの存在が大いに役立ってくれた。
和平の成立を阻止したい―――秘預言を知る者は心の中でこっそりと「和平」を「預言」に変換していた―――ヴァンは、ルークのアクゼリュス行きを邪魔しようとするだろう。救援部隊が一つではルークの居場所を彼らに教えているようなものである、と。
「でしたら、囮の部隊にはわたくしが・・・・・・」
「陛下にダメだって言われてんだろ」
諦めの悪いナタリア、ではない。ナタリアも今回自分が立つべき舞台がバチカルであることは充分承知している。これはナタリアのアクゼリュス行きを国王が反対していたことを民衆に知らしめるためのパフォーマンスだった。本当はインゴベルト本人とこのやり取りをしているところを見せたかったのだが、救援部隊の見送りに来たのがナタリアのみでは仕方がない。王の言葉を伝聞という形で見送りに集まった人々に教える。ナタリアとルークの会話は、アクゼリュス崩壊の報せやルーク・フォン・ファブレが行方不明であるという情報がバチカルにもたらされた時、王はこうなることを知っていたのではないかという疑惑を国民に抱かせるための布石となるだろう。
ジョゼット率いる白光騎士団は海路で、ルークたちと暗闇の夢は陸路でアクゼリュスに向かうことになった。もちろんどちらに親善大使が同行しているかなど公にされるはずがない。白光騎士団が厳重に警備する一団と、ほとんど一般市民のボランティアで構成された一団。何も知らぬ者が見たらどちらにルーク・フォン・ファブレが同行していると思うだろうか。つまり囮は海路組ということになる。
しかし真の囮は陸路組だった。
ルーク・フォン・ファブレが陸路でアクゼリュスに向かったという情報は、隠しているふりをしながら巧みに漏洩させた。もちろんモースが導師不在をダアトに隠すため吐いた嘘―――それが嘘だと思っているのはモースだけで実は真実である―――「導師は親善大使一行に同行した」という情報も、である。
アクゼリュス崩壊前にセフィロトに細工を施したいヴァンは、今頃必死になって導師を探していることだろう。
そしてもう一人、ヴァンが探している人物がいる。
オリジナルの人間と大地の消滅を望みながらも妹だけは例外だった男は、ティアのアクゼリュス行きを阻止しようとするはずである。預言の監視者であるティアは、鉱山の街消滅の預言を現実とするためにアクゼリュスにルーク・フォン・ファブレを導く使命を負っている、とヴァンは思い込んでいるはずだ。
ルーク・フォン・ファブレのいる所に目的の人物がいる。ヴァンがルークたちを追ってくる可能性は十分あった。
ルークたち―――実際に計画したのはジェイドであり、実行したのは漆黒の翼である―――はヴァンたちが陸路組に狙いを絞るように巧みに情報を操作していた。ヴァンたちの目を海路でアクゼリュスに向かった白光騎士団や、アクゼリュスという土地から逸らすことが真の目的だったのだ。つまりは崩壊までの時間稼ぎである。
「さあさあ、皆さん。そろそろ我々も出発しますよ。あんまりのんびりし過ぎて自然崩壊なんてことになったら目もあてられませんからね」
アクゼリュス崩壊は避けられない道なのだろうか?
時が近づくにつれルークの表情に陰りが生じることが多くなったのは気のせいではないだろう。
今回の計画では人命を犠牲にするつもりはない。アクゼリュスの住民はすべて避難済みだったし、ルークたちが時間稼ぎをしている間に、勝手に住み着いた人間たちを白光騎士団やマルクトが派遣した救援部隊が退去させることになっている。住民たちがアクゼリュスが崩壊するという話を信じずそこに残ることを望んだとしても、密入国や盗掘の罪で逮捕してしまえばいいだけの話だ。
「崩壊させなきゃダメなのかな」
誰に聞かせるともなしに呟かれた言葉。あるいは音にはなっていなかったのかもしれない。そんな小さな呟きであったとしてもアッシュにだけははっきりと聞こえていた。
アッシュは何も言わない。ただくしゃりとルークの頭を掻き混ぜただけだった。
こういう時容赦がないのはジェイドだ。すべては推測に過ぎないと前置きをして彼は自説を語った。
「パッセージリングの稼動寿命が約二千年であることをユリアは知っていたと思います。だからホド島やアクゼリュス消滅の預言を残したのでしょう。限界に近づいたセフィロトツリーを人為的に破壊することで、他のまだ使用できる、といっても数年から数十年程度だと思いますが、セフィロトツリーが連動して崩壊する危険を排除しようとしたのではないでしょうか。マルクトがキムラスカとの戦争に負けるとされたのもマルクト領にあるパッセージリングの寿命の方が短かったからだと思われます。貴方が超振動を使わなかったとしてもアクゼリュスは消滅したでしょうね。いえ、もしかしたら他のセフィロトツリーを巻き込んでいた可能性もあります」
前回のアクゼリュス消滅を気に病む必要はないと言いたいのかもしれないが、あまり慰めにはなってはいないようである。
「それに全セフィロトを一括操作するためにはアルバート式封咒を解いておく必要がありますしね」
外郭大地降下作戦のために必要なことだったと言われても、ルークは仕方がなかったのだと割り切ることはできなかった。それどころか今回もアクゼリュス崩壊は避けることができないと知り、落ち込む一方である。
そんなルークの様子に気付いているのかいないのか、いやジェイドのことだ気付いていないということはないだろう。それでもジェイドは「ただ」と常と変わらぬ口調で淡々と告げた。
「パッセージリングを破壊せずともアルバート式封咒を解く方法がないか、それとアクゼリュスを崩壊させずに魔界(クリフォト)に降ろすことができないかは検討する余地があるとは思います。すべては実際にアクゼリュスのパッセージリングとセフィロトツリーを見てみないことには始まりませんが」
この世の終わりとばかりに落ち込んでいたルークの顔に笑みが戻る。最初の落ち込みが酷かっただけにその変化は劇的だった。
前置きが長すぎるわ、とか。そんなにもったいぶらなくてもいいの、とか。前半いらねぇだろうが、後半だけで充分じゃねぇか、とか。そういう感想を抱くのが普通だ。
ルークのこの表情の変化が見たかったからじゃないのか、とうっかり思ってしまったガイは同類である。
そんなことを考えていたことがアッシュにバレて、ジェイドにやり返せない分も上乗せされてガイが追い掛け回されるのは、バチカルを出てからの話である。いかにアッシュが短気で沸点が低かろうともバチカルの街中で追いかけないだけの分別はあったようだった。
廃工場からこっそり出て行く必要もなければ、ザオ遺跡に寄り道をする理由もない。ルークたち陸路組の道中も今のところ問題なく進んでいた。
ルークは馬車の中だ。王族を乗せるに相応しい豪奢な物というわけにはいかなかったが、それは簡素な外観に反し乗り心地のよいものだった。シュザンヌの心遣いであると知っては、出発直前まで徒歩の旅を希望していたルークも承知せざるを得ない。アッシュが当然のように馬車に乗り込むのは、自身もまたここにいることをヴァンから隠したかったからか、それとも壁一枚でも己とルークを隔てる物があるという状況が我慢できないからか。後者であるような気がしてならないのは、外を歩くことを余儀なくされた者たちの共通の見解だった。
アニスはここにはいないことになっているイオンをルークと一緒に馬車に押し込める。「アニスも一緒に」とイオンは誘うがアニスは非常に残念そうな顔で辞退した。
バチカルから充分離れると、共にバチカルを出発した医療従事者たちは変装を解いて暗闇の夢に戻り、諜報活動と情報操作という本来の役目を果たすべく各地に散ってく。
こうなると陸路組はますますアクゼリュス救援部隊には見えなくなった。
仰々しい護衛を配しないことで「ここに親善大使はいない」ということをアピールしつつ、その一方でティアとアニスが素顔を曝して馬車を護衛することで、二人を知る者にルークとイオンがここにいるということを知らしめる。そういう作戦だった。つまりヴァンたちにだけわかるようにという配慮だ。その不自然さに気付くか気付かないかが勝敗の分かれ目だろう。いやたとえ気付いていたとしての、彼らに勝機がないことに変わりはないのかもしれない。
罠であるとわかっていても食いつきたくなるような魅力的な餌をチラつかせながら、一行はアクゼリュスへと向かう。
馬車を挟んで左右にティアとアニス。後ろにガイ。御者台にはジェイドが着いた。
ルークの護衛兼世話役として同行したガイが馬車に乗れないのは当然だったが、マルクト皇帝の名代であるジェイドが馭者を務めるのは本人が望んだからである。
「馬に蹴られたくはありませんから」
ジェイドの鋼鉄ザイル並みの神経も、二つの聖なる焔に温められた馬車の中では融け出すらしい。身体は弱くてもイオンの神経は鋼鉄ザイル以上の強度であるということだろうか。
ルークたちは何事もなくデオ峠の麓に到着した。砂漠越えの最中にヴァンたちの襲撃があるかもしれないと身構えていただけに拍子抜けである。
ザオ遺跡のダアト式封咒の解呪をヴァンは諦めたのだろうか?
「シュレーの丘の解呪に失敗したことで、計画を変更したのかもしれません」
シュレーの丘とザオ遺跡のパッセージリングに預言にはない命令を書き込み、本来アクゼリュス消滅のみで済むはずだった崩落にルグニカ平野の大部分とザオ砂漠を巻き込んだ。それが預言に支配された人間と大地の消滅を望んだヴァンの計画の第一歩だったはずだ。
彼が自分の計画を諦めたとは思えない。
だとすると。
「兄はアルバート式封咒の解呪する方法を知っているのではないでしょうか?」
「可能性はあります」
ヴァンはアルバート流剣術の使い手である。剣術と共に解呪方法が伝わっていたとしたら。
ヴァンの弟子でありアルバート流剣術を使う二人に目を向ければ、同じ動作で首を横に振った。自分たちは知らない、と。
超振動でパッセージリングを破壊する前にアルバート式封咒を解呪し、そこから各地のセフィロトに一斉崩壊を指示することができるとしたら。
「かつてよりも酷いことになるかもしれませんねぇ」
笑っている場合ではないだろう、と突っ込むモノはいない。
ヴァンが解呪方法を知っていたとしても、一斉操作などさせなければいいだけのことだ。
ジェイドにはヴァンを出し抜ける自信があった。そしてそれは仲間たちも同じだった。
それよりもパッセージリングを破壊しなくてもアルバート式封咒を解くことができたらいいと、ジェイドは思う。それが世界を救うために必要なことだったとしても、ルークに辛い思いはさせたくなかったから。そんなジェイドの思いに気付くことができたのはルークを除く全員である。それは皆がジェイドと同じ思いを抱いていたからに他ならなかった。
デオ峠の手前で、ルークたちは馬車から降りることになった。馬たちの手綱を解いて平野に放す。
「ありがとうですの~」
ミュウにこの場所からなるべく離れることを通訳させたが、果たしてどこまで伝わっているだろうか。
「動物には天災を予知する能力があると言われていますから、大丈夫だと思いますよ」
ここから先は細く険しい峠道だ。王族や導師であったとしても歩かざるを得ない。
「イオン様はトクナガに乗ってください」
「ありがとうございます。アニス」
今のアニスは導師守護役として相応しい気遣いができるようになっていた。そしてイオンにも自分の体力のなさを自覚し無理をしないだけの分別があった。
教官・・・・・・リグレットはここで待ち構えているのだろうか、と峠を見上げながらティアは思う。
広い砂漠で一台の馬車を探すよりも、他のルートの選びようのない一本道で待ち伏せた方が効率がいいのは確かだ。
「いると思いますよ。油断しないで行きましょう」
峠越えに臨むにあたり一番仕度に手間取っているのはアッシュだった。
今はまだルークたちがアッシュの正体を知っていることを、ヴァンたちに知られるわけにはいかないのだ。
共にいることはイオンの護衛という建前があるから問題ないだろう。
フードで髪を隠し、仮面で顔を隠す。ルークの隣を歩きたいという思いを押し殺し、トクナガに乗るイオンの前を行く。
細い山道では一列縦隊で進むことを余儀なくされた。先頭はガイ、その次にアッシュ、トクナガに乗ったイオンとアニス、ルーク、ティア、殿(しんがり)がジェイドである。
その人影に最初に気付いたのはガイだった。
ここで接触してくるだろうと予想していた場所と寸分違わぬ場所だったので驚きはない。
「アニスはイオン様を・・・・・・」
人目のない場所だったので、ルークに対して王族だからという気遣いはない。アッシュは不満そうであったが、リグレットの手前ルークを庇うような行動は控えなければならない。それが一番難しいのではないか、とアッシュをよく知るモノたちは思う。
「止まれ!」
銃声が峠に響いた。
もう止まっているし戦闘態勢なんだけど、と少々リグレットが憐れになってくる。
問答無用でやってしまおうかと思うが、残念ながら遠距離攻撃を得意とするナタリアは不在だった。
これぐらいの高さなら飛べるだろうか、とガイが思う。ジェイドは譜術の詠唱に入った。後は発動させるだけというところで待機中である。直ぐにでも突っ込んでいきそうなアッシュは、トクナガに守られたイオンがこっそり服の裾を掴むことでその行動を制止していた。そうでもしなければアッシュは止まらないだろう。
リグレットにも言いたいことはあるだろう。聞いてやらなければかわいそうではないか。
そんな同情たっぷりな視線を向けられていることに果たして彼女は気付いているだろうか。
「ティア。何故そんな奴らといつまでも行動を共にしている」
「教官・・・・・・いえ、リグレット。貴方こそ教団を、導師を裏切って何をしようとしているのですか?」
「人間の、意志と自由を勝ち取るためだ」
リグレットはヴァンの最終目的を知らないのだろうか? 死後に得た自由にどんな意味があると言うのだろう。それとも預言に捕らわれた人間には死を、そうではない人間には生きる権利を与えようとでも言うつもりだろうか。神にでもなったつもりか? いやヴァンはレプリカ世界の神になろうとしていた。なんて愚かで傲慢なのだろう。人間はどう足掻こうとも人間以外の何者にもなれないというのに。
「私は私の意志で行動しているわ。兄の狂気に捕らわれた貴方に自由を語る資格があるとは思えません」
「閣下に協力することは私の意志だ」
「その理屈が通るというのでしたら、預言に従うことを選んだのもまた人間(ひと)の意志、ということになるのではありませんか?」
「と、とにかく・・・・・・ティア、私たちとともに来なさい」
どもるリグレットに、誤魔化したな(ましたね)、とルークたちが思うのは当然だった。女性相手に口でも勝てるジェイドは流石である。
「リグレット、ヴァンは何をしようとしているんだ」
行く行かないで揉めている師弟の間に割り込んだのはアッシュだった。
ヴァンがやろうとしていることなど先刻承知している。それをあえて尋ねたのはリグレットがどこまでわかっていてヴァンに協力しているのかを確認するためだった。
「アッシュ。まさかおまえがその出来損ないと一緒にいるとはな」
髪と顔を隠していてもその声でそれがアッシュであると気付いたのだろう。リグレットの顔色が変わった。驚きと呆れがない交ぜになっている。
出来損ない、とリグレットがその一言を発した瞬間、アッシュの身に纏う雰囲気が変わった。幸い仮面で隠されて素顔を曝すことは免れたが、きっと仮面の下では般若のような形相でリグレットを睨みつけていることだろう。
まずい、とルークは思う。アッシュを止めなければ。
ルークを馬鹿にする発言にキレてリグレットに攻撃を仕掛けるのがアッシュであってはならないのだ。今はまだアッシュが己のレプリカに好意を抱いていることをヴァンに知られるわけにはいかない。
ルークは回線でアッシュを止めようとしたが、怒りに我を忘れたアッシュには届かなかった。
アッシュの右手が剣の柄に掛かる。
「インディグネイション!」
強烈な雷撃がリグレットを襲った。アッシュの我慢が限界にきていることに気付いたジェイドが逸早く譜術を発動させることで、アッシュの行動を誤魔化す。
それを皮切りにガイが崖を駆け上る。
「初っ端から秘奥義かよ。相変わらず旦那は容赦がないねぇ~」
口調は呆れているふうであるが、ルークを出来損ない呼ばわりされて怒っているのはガイも同様である。
ジェイドとティアは譜術の詠唱に入り、イオンの護衛であるはずのアニスまでもが巨大化させたトクナガに乗って崖をよじ登っていく。
皆が皆リグレットの答えをまだ聞いていないとかそんなことはどうでもよくなっていた。
ヴァンに騙されているとかいないとか、そんなことは関係ない。今の一言でリグレットの罪は死罪相当。それがルークを除く全員の判決だった。
「アッシュ」
参戦しようとしたアッシュはルークが止めた。
「大丈夫だから」
剣の柄を握る指を一本一本解いていく。
四人の一斉攻撃に防戦一方のリグレットはこちらの様子を気にかける余裕はないだろう。
「出来損ないなんかじゃないって、アッシュは思ってくれているんだろ」
「当然だ」
我慢する必要がないと思ったアッシュはルークがいかに素晴らしいかを語り続け、その言葉の一つ一つにルークは真っ赤になって照れながらも嬉しそうな笑みを浮かべていた。
一人蚊帳の外のイオンはその様子を微笑ましげに見つめるだけである。
この状況を制止できる人間は現在戦闘中で手が離せないはずだ。時と場を弁えないアッシュだったが至福の時間はそう長くは続かなかった。
「私たちだけに戦わせておいて、何イチャイチャしているんですか、貴方たちは」
いつの間にか戦闘は終了していたようである。リグレットはほうほうの態で逃げていったらしい。
「すごかったですよ」
崖の上の攻防の一部始終を見ていたイオンが感嘆の声をあげる。見逃したのは勿体無かっただろうかと残念がるルークに、ジェイドの嫌味は通じそうになかった。
「それでは先を急ぎましょうか」
もうヴァンたちが襲ってくることはないだろうと思ったアッシュとルークは、その後の道中は誰にはばかることなくべったりだっし、嫌味を言うのが如何に無駄である悟ったジェイドは呆れつつも見守る・・・・・・見て見ぬふりをすることにしたようである。
アクゼリュスはもう目の前だった。
人払いをするとヴァンたちが何をしようとしているのか単刀直入に聞いてきたので、ティアはどこまで話そうかと数秒思案した。
「詳しいことは故郷の機密に関わることですので、たとえモース様であっても申し上げることはできません」
ユリアシティは教団創設以来の機密事項。しかしそれでおとなしく引き下がるようなモースではない。理由を言わなければおまえを処分する、と。しかし処分なんて言葉で怯むティアでははかった。
「兄が、ヴァン・グランツがやろうとしていることはユリアの願いに反すること。ユリアの意志実現に必要だというのであれば、実の兄と刺し違える覚悟はありました。しかしあの場で事を起こしナタリア様とルーク様を巻き込んでしまったことは配慮がたりなかったと言わざるをえません。どのような咎めも受ける所存です」
ティアの言葉に嘘は一つもない。いや、ナタリアとルークを巻き込んだことは計画の内だったので、そこは少し真実と異なる。それでも彼女の凛とした態度はモースにそれが虚偽ではないと思わせるには十分だった。
「おまえは何者だ」
「私はユリアの意志を継ぐ者です」
ユリアの望みは預言遵守にあらず、預言を覆し世界を存続させることにある。
それがかつての旅でティアが出した結論だった。
ユリアの望みが預言遵守にあると疑わない、預言の行き着く先が世界の滅亡であると知らないモースがティアの真意に気付くことは不可能だろう。
ティアが預言遵守派であるとモースが誤解するように仕向けるための言葉選びは完璧だった。
「そうかそうか。おまえの兄のことは残念だったが、おまえとは上手くやっていけそうだな」
下品な高笑いを発しながら、モースはティアの肩をバシバシ叩く。
(このセクハラオヤジ! 汚い手で触らないでくれないかしら)
内心の殺意を笑顔で隠し、ティアは恭しく頭を下げて客間を後にした。
翌日、ルークたちは再び謁見の間に呼び出された。
インゴベルトはマルクト皇帝からの和平の申し出を受け入れること、その証しとしてアクゼリュスの救助を申し出た。
「アクゼリュスは数年前に廃鉱にしました。あの街は現在無人のはずですが・・・・・・」
そうきましたか、とジェイドは爆笑したいのを堪えて神妙な顔を作ってみせた。
「マルクト側の街道が使えない故、使者殿が知らぬのも無理なきこと」
最盛期より量は減ったとはいえアクゼリュスから出土した鉱物は未だ市場に出回っているのがその証拠である、と。
キムラスカ側からでなければアクゼリュスに行くことはできないということは、現在アクゼリュスにいる人間はキムラスカ側の街道を使って不法侵入した人間、つまりキムラスカ人である可能性が高いのではないだろうか。
そう考える者も少なくはなかっただろう。
マルクトのためと称して自国の民を救う、か。しかしその民は他国に密入国し盗掘を行う者。果たして救う価値のある人間だろうか。
ナタリアが敢えて沈黙を守っていたため、王に意見できる者はこの場にはいなかった。
「ルーク、行ってくれるな」
親善大使に任命されたのがルーク・フォン・ファブレだったことに秘預言を知らぬ者たちは王の真意に疑念を抱く。
アクゼリュスは人体に影響を及ぼす程濃い障気が観測された街。そのような場所に第三王位継承者に行っていただくわけにはいかない、とジェイドは恐縮しきった態度で辞退する。
「だからこそだ。ワシがマルクトとの和平を本気で望んでいることの証明となろう」
一体何を本気で望んでいるのやら。
インゴベルトはどうあってもルーク・フォン・ファブレをアクゼリュスに行かせたがっているのだと、その場にいる者たちに多少なりとも印象付けることができたのではないだろうか。
そろそろいいでしょう、とジェイドはそっとルークに目配せする。
「そのお役目、承りました」
「よく決心してくれたルークよ。実は、な。この役目、おまえでなければならないわけがあるのだ」
いつか聞いた台詞である。
かつてのように第六譜石の欠片を詠んでみろと言われるのかしら、とティアは身構える。欠けていて詠めなかった文章はティアの頭の中にきっちり入っていた。今ならあの欠片があそこで終わっていた理由もわかるというものである。いっそのことオールドラント滅亡まできっちり詠み上げてみようかしら。オールドラントの滅亡を知り慌てふためく彼らの姿を想像し、ティアはこっそりと笑みを浮かべた。
ティアの表情の変化に気付いたのは彼女の正面にいたナタリアだけだった。
(何か楽しそうなことを思いついたみたいですわね)
ナタリアはティアが何をしようとしているのか想像してみる。かつての記憶を頼りに今後の展開を思い浮かべてみればティアの思いつきは容易に推察できた。
(それはとても楽しそうな企みですけど、今はまだその時期ではないのではないかしら? でもティアが譜石を詠み始めたら止める術はないような気もしますし・・・・・・)
ここは自分が止めるべきだろうと、ナタリアは声を上げた。
「お父様! やはりわたくしも使者として一緒に・・・・・・」
身体は王の方を向いていたが、ナタリアの意識はティアに向けられていた。
(あぁそんなに残念がらないでくださいませ。わたくしも残念でならないのですから)
ナタリアの横顔にティアは誰にも気付かれないようにつめていた息を吐いた。
(ナタリアに感謝しなくちゃね)
ティアもそれをしては計画に支障をきたすことは理解できていた。それでも譜石を渡されたら秘預言すべてをぶちまけてみたいという誘惑に勝てなかったことだろう。
「それはならぬと申したはずだ」
有無を言わさぬ王としての言葉と態度に怯むようなナタリアではなかった。
「どうしてですか? 理由をお聞かせください」
「王命だ。ならぬものはならぬ」
どんな素敵なこじ付けを披露してくれるのか楽しみにしていただけに、拍子抜けである。
「それで、同行者は私と、あとは誰になりましょう」
ナタリアの暴走は聞いていて楽しいものがあったが、これ以上は計画の妨げになるのではないかと思ったジェイドが軌道を修正する。
(今はまだ我々が知っていることは秘密にしておく必要があることをお忘れですか)
眼鏡の奥の赤い譜眼が冷たく光る。ナタリアはやりすぎたかしら、と内心で舌を出したが、そこに反省の二文字はなかった。
「ローレライ教団としては、ティア・グランツを同行させたいと存じます」
モースがティアを同行者に推薦したのは、預言の監視者である彼女はどんな手段を用いてもアクゼリュスとルークを消滅させるだろうと信じているからだった。
「モース。僕も同行しようと思います」
和平の成立を見届けるために同席したイオンのこの発言に、導師を失うわけにはいかないモースは猛反対した。
「もう決めたことです。和平の成立を見届けるのが仲介役を引き受けた僕の役目ですから」
それが実状と異なっていたとしても、教団で一番偉いのは導師であるイオンだった。その決定を人目の多いこの場で覆すことはたとえモースであってもできることではなかった。
こうしてアクゼリュス救援のための使者にはルークを親善大使、同行者にジェイド・イオン・アニス・ティア・ガイの五人が選ばれた。もちろん実際に救援を行うのは兵士や医師である。そちらは白光騎士団を中心に特別部隊が編成されることになった。その編成のために一日時間をとり、出立は明日ということになる。第三位とはいえ王位継承者を旗頭にした救援隊にしてはあまりに早すぎる展開だった。
モースは怒っていた。
レプリカは人形。そこに意志などあっては困る。ただ言われるままに導師を演じ、預言(スコア)を詠めばよいだけである。
それがモースの求めたレプリカイオンだった。
しかし実際のレプリカイオンは意志を持ち勝手に行動してしまう。その行動はローレライ教団の導師として非の打ちどころがないものであるから、モースは導師の行動を阻止することができなかった。
マルクトの求めに応じてダアトを勝手に離れたこともそうだったし、今回のアクゼリュス同行の件もそうである。
謁見の間で己の意志を示したイオン。モースに導師の意志を覆す権限はない。
モースは導師がアクゼリュスに行けば確実に命を落とすと思っていた。しかし彼には導師を失えない理由がある。今回はかつて導師のスペアとして手元に残しておいたフローリアンがいないのだ。二人目、三人目のレプリカイオンが存在することはモースのあずかり知らぬことだった。
どんな手段を用いてもアクゼリュス行きを阻止するつもりのモースは、アニスを呼び出した。
「それは~どういうことですか~?」
誰が聞いているとも知れない場所で「イオンを監禁せよ」とは言えなかったのだろう。モースの説明は要領を得ない。
「え~と、とにかく、イオン様には今夜は教会に泊まっていただくようお願いすればいいんですね」
導師の宿泊先がファブレ家では監禁のしようがない。王城もしかり、である。かといって街の宿屋に導師を泊めるわけにもいかないので、ローレライ教団の教会が選ばれたのだ。
モースの思惑を察することは今のアニスにはそう難しいことではなかった。
教会の一室にでもイオンを閉じ込めて親善大使一行に加われないようにするつもりなのだろう。
出発時間になってもイオンが姿を現さないことを尋ねられたら、体調を崩して同行は難しいとでも言っておけばいい。導師の体が弱いことを知る者は多いので真実を知らない者にしてみれば疑う理由はないだろう。しかし仲間たちは別だ。イオンが同行することは計画の内であり、それを取りやめる理由は今のところない。
しかしまだモースのスパイのふりをしていなければならないアニスは考える。
(え~と、イオン様にはとりあえずモースの命令通り監禁されてもらって、その後は前回と同じようにあの三人組に攫ってもらえばいいよね)
翌朝、モースにイオンの居所を尋ねられたアニスはキョトンとして首を傾げた。
「イオン様は昨夜モース様の指示で場所を移されたのではないのですか?」
イオンのいる部屋の前で警備についていたアニスに、イオンを移動させると言って連れ出した男たちはモースの部下だと名乗った、と。
実際にはそんな人間は存在しない。
扉を開けたのはアニスだったし、イオンは自分の足で教会を出て、迎えに来た漆黒の翼と共に夜の闇へと消えていったのである。
しかしモースはアニスの思惑通り勘違いしてくれたようだった。
誰の耳があるともわからない状況だったのであいまいな表現を選んだのは自分だ。アニスに伝わった己の意思が「導師を監禁する」というところのみで場所に教会を選んだことまでは伝わらなかったのだろう。そこを誰かにつけ込まれた。
「ヴァンの仕業か・・・・・・」
「どうしてヴァン総・・・、ヴァン・グランツが」
指名手配犯に総長はまずいかなぁ~と思い、アニスは言い直す。
脱走兵として指名手配されたヴァン・リグレット・ラルゴの三人。しかしそこに彼らの犯した罪は明記されていないのだから仕方がない、とモースは思う。
「導師守護役(フォンマスターガーディアン)であるおまえには話しておいた方がいいだろう」
タルタロス襲撃の黒幕はヴァン。モースは六神将に導師探索を命じはしたが力尽くで取り返せなどとは言ってない。導師を取り戻した後彼らが導師をどうするつもりだったのか、想像するだに恐ろしい。そんな者であるとも知らずに彼らに大儀を与えてしまった自分に非がないとは言わないが、自分も騙されていたのだ。
白々しいモースの言い訳は、アニスの耳を通り過ぎるだけである。
自分に言い訳したって意味ないのに、とアニスは思う。
あぁ違うのか? 大詠師モースと導師守護役の少女が揉めていれば、こっそり様子を窺う者が現れるのが当然だ。柱の陰やら扉の隙間で聞き耳を立てている教団関係者へ向けてのアピールのためだろう。どこまでも保身に走るモースに、ダアトの未来に暗雲が立ち込めているのが見えるような気がするアニスだった。
そこへ出発時間が迫っているのに姿を現さないイオンとアニスを心配したティアが現れた。
モースは再びそれが真実であるかのように自信たっぷりに自説を語る。
「それは確かなことなのでしょうか?」
「証拠はない。しかし他にこんなことをする者がいるとは考えられん」
「そうですか」
俯いたティアの口許に笑みが浮かんでいることに気付けるのはアニスだけだ。
モースの出した結論はこちらの予想した通りだった。ならばこの先もまたしかりであろう。
今のモースに信託の盾(オラクル)騎士団に命を下すことは難しかった。それが導師探索という命令であれば尚のことだ。一度煮え湯を飲まされた兵たちはモースの命令の真偽を他の詠師たちに確かめるだろう。今度の導師失踪は真実だったので、いずれは神託の盾兵を動かすことができるかもしれないが、今はのんびりとダアトの総意が得られるのを待っている暇はなかった。今すぐ動かせる手駒はティアとアニスの二人といったところだろうか。もちろんそれはモースがそう思っているというだけのことであったが。
モースはティアとアニスにヴァンの手から導師を取り戻すよう命令する。しかしティアがアクゼリュス救援のための使節に加わることはモースが言い出したこと。今更取り消すわけにはいかないのではないか。
モースもまた預言によって自分の行動を決めてきた人間だった。それはすなわち思考能力の低下を意味する。欠如しているキムラスカ国王よりは多少マシかもしれなかったが、ティアたちに言わせれば五十歩百歩と言うものだろう。己の代わりに道を示してくれる言葉があれば―――それが預言に沿っていると思わせる必要はあるが―――嬉々として従うだろうと想像することは容易かった。
ティアはアニスも当初の予定通り親善大使であるルーク・フォン・ファブレに同行したらどうかと進言する。イオンが行方不明になったことで必然的にアニスの同行も自然消滅していたことであったが、公式に同行を辞退したわけではない。一行に加わることは可能だろう。
和平の成立を阻止するために行動しているヴァンは、きっとルーク・フォン・ファブレのアクゼリュス行きを邪魔するために現れるはずだ。それがヴァン自身であるか彼の部下であるかはわからないが捕らえて導師の居場所を聞き出せばよい、と。
ティアがヴァンの目的が「和平成立の阻止」であると言ったのはアニスや他の信者の耳があるからだった。モースの耳には和平が預言と聞こえていただろう。
ティアは預言の監視者であり、自分と志を同じくする者だと信じ込んでいるモースはこの提案をあっさり承諾した。
二人に親善大使に同行し、道中必ず接触してくるであろうヴァン、もしくは彼の部下を捕らえ、導師の居場所を聞き出した後、導師を無事奪還することを命じる。
この極秘任務に従事するのが少女兵二人のみというのは無理がありすぎる。しかしモースは自分の命令に無理があると気付けるほど現場を知ってはいなかった。
そして少女たちの方にはこの命令には無理があると訴える必要はなかった。
少女たちは知っているのだ。この命令が発せられることになった原因。導師を攫ったのはヴァンであるという仮定がそもそも間違いであるということを。
導師が行方不明であること。そして元信託の盾騎士団主席総長によって誘拐されたことを隠したいと思ったモースは、現在教会内にいてこのやり取りに聞き耳を立てていた者たちには緘口を命じ、ダアトには導師はアクゼリュス救援のための使節に加わったので帰国が遅れていると伝え、親善大使一行に対しては体調が悪くて同行できなくなったということにしたのだ。三者が直接接触することさえなければ、導師誘拐の真相が明るみに出ることはないはずである。
ティアとアニスの二人は揃って「承りました」と頭を下げた。磨き抜かれた大理石の床に映った少女たちの口許がしてやったりとばかりに笑みを形作っていることに、モースが気付くことはなかった。
「でも、ティア。よかったの?」
ルークたちの元へ向かいながらアニスは窺うような視線をティアに投げかける。
「何が?」
「だってイオン様の誘拐までお兄さんの仕業ってことになっちゃったんだよ」
タルタロス襲撃時のリグレットとラルゴはヴァンの意を汲んでいたのだから、ヴァンが導師誘拐を企んでいるという部分に嘘はない。しかし今回の導師失踪に関しては完全な濡れ衣である。
「いいのよ。兄さんがやろうとしてうることに比べたら軽いものだわ」
ヴァンが本当にやろうとしていることの罪でヴァンが裁かれることはない。何故ならそれは罪が発覚する前に自分たちが阻止するからである。だからと言ってヴァンがやろうとしていたことがなかったことになるわけではない。そこにかつての恨みが混在していないとは言わないけれど。犯していない罪の刑まで科せられていることを知ればヴァンは己がそれをやろうとしていたことを棚に上げ憤慨するだろうか。
「ん~まぁ、ティアがいいならいいんだけど」
ここにいたのがルークだったらティアを止めたかもしれない。しかしここにはアニスしかいなかった。それがヴァンにとっての不運だったのだろう。しかしジェイドはいなかったので最悪の一歩手前で留まっている。ヴァンの運命は現在そんな状況にあった。
タルタロスを奪ったリグレットとラルゴはことの顛末の報告と、これからの指示を仰ぐためヴァンを探していた。
ダアトにヴァンの姿はなく、バチカルに行ったきり消息を絶ったのであるならば、最初に確認すべきはそこだろうということで、タルタロスが目指した先はキムラスカ王国の首都バチカルだった。
タルタロスがマルクトの戦艦であることだとか、そのマルクトからタルタロスがリグレットとラルゴに奪われたとオールドラント中に通達されていることだとか、ダアトから二人に対する手配書が発行されていることだとか、彼らは考えもしなかったようである。
『危険なので捕らえようなどとは考えずに目撃情報を近くの憲兵に報告すること』
世界中に配布された手配書の内容は徹底されているようで、タルタロスの動きは手に取るようにわかった。
マルクトでの第七音素観測データも人々がもたらす目撃情報が正しいことを裏付けている。
預言を覆しオールドラントを存続させるために、かつてもタルタロスは重要な役割を担っていた。けっして失うことはできない存在なのである。もっともジェイドのやることなので、取り返せなかった場合の代案の一つや二つ用意してはいるだろう。それでもタルタロスを取り返した方が費用も労力も時間も短縮できることに違いはなかった。
これからの展開を予想し、今のタルタロスには様々な機能が既に取り付けてあるのだ。大地の液状化を止めるための振動発生装置は勿論、第七音素を用いた追跡機能、自動走行機能、そして外部からの遠隔操作ができるようにしてあることもその一つだった。ただし遠隔操作をするにはある程度タルタロスに近づく必要があったため、リグレットたちは捕まらずにバチカルに辿り着くことができたのである。
大胆にもバチカルの近くにタルタロスを停泊させたリグレットとラルゴは、自分たちが全世界規模で指名手配されているとも知らずバチカルへ足を踏み入れた。
その姿を見た瞬間、家や店の中に逃げ込む市民たち。
バチカルを守る兵士たちが遠巻きに包囲する中、報せを受けたモースがふくよかな身体を揺らしながら現れた。転がった方が早いのではないか、と思った者はさぞ多かったことだろう。
兵たちが強硬手段に出なかったのは、自分が説得を試みるからとモースが逮捕に待ったをかけていたからだった。
導師奪還を命じたのが自分であることが公になることをモースは恐れていた。
自分たちに対するバチカル市民の態度を訝しがりつつも、リグレットはモースにヴァンの所在を尋ねる。彼女にとってはそれが一番大切なことであり、それ以外はすべて些末なことだった。
「ヴァン謡将」とリグレットが口にした瞬間、モースの顔が怒りに歪む。ヴァンのこともモースにとっては頭の痛い問題だった。
嫌そうな顔を隠そうともせず、リグレットとラルゴに黙って付いて来るように命じる。自身の進退と教団の存亡に関わることだ。こんな往来でできる話ではない。
人払いを済ませたローレライ教団の教会に二人を連れ込んだモースは、ヴァンがバチカル城の地下牢に捕らえられていることや、リグレットとラルゴが指名手配されていることを彼女らに告げた。
その上で、ローレライ教団と神託の盾(オラクル)騎士団のために自決するよう命じる。
導師奪還を命じたのはモース自身であると言うのに、己の保身のためにすべての罪をリグレットとラルゴに着せようとするモース。当然二人はそれに反発した。しかしモースは二人が逆らうのであればヴァンに責任を取らせるだけだ、と言い放った。
「閣下が何をしたというのですか?」
色々していたし、しようとしていると思うのだけが、自分たちが正義であると信じて疑わないリグレットは、自信を持ってヴァンを庇う。
モースはヴァンの真意を測りかねていた。利害は一致していたと思っていた。少なくともレプリカイオンを創らせた時点での自分たちの目指す世界は同じものだったはずだ。世界が預言に預言通りの道を歩むためには預言を詠める導師(レプリカイオン)が必要であり、詠む力のない導師(オリジナルイオン)は要らないという考えで一致していたのではないか。それはモースの一方的な思い込みに過ぎなかったのだが、彼がその事実に気付くことはないだろう。
しかしモースという男はたとえ同志であったとしても自身の保身のための生贄にすることを躊躇うような人物ではなかった。
モースのそういうずるい性格を知っていたので、リグレットは自身のことよりもヴァンの身が心配になる。
現在ヴァンはナタリアとルークの失踪に関与している疑いでキムラスカ城に幽閉されていた。しかしモースはティアがヴァンの命を狙ったということの方を重要視していた。
ファブレ家の中庭で起きた出来事については、沈黙を守るヴァンに代わりシュザンヌやジョゼットの証言が取り上げられた。世論というか二人の失踪を知る者たちを自分たちの都合のよい方へ導くため、彼女たちの伝える情報の取捨選択に抜かりはなかった。
曰く、ナタリアと一緒にファブレ家を訪問していたティアはそこで思いがけず兄と再会。ヴァンが何をしようとしていたのかはわからない。しかしティアにとって許しがたい裏切り行為があったことは彼女の台詞から明白である。ヴァンを討とうとするティアにナタリアはそばにいた白光騎士の武器を奪い取って参戦。ナタリアの行動を止められなかったことを詫びるジョゼットに対し、愛娘の性格を知っているインゴベルトは、警備についていた騎士を不問にする代わりにナタリアが巻き込まれた経緯について沈黙を守るよう申し付けた。騎士の処分理由を明らかにするとナタリアのお転婆ぶりを公にしなければならない。王女らしからぬ行動はできれば秘密にしておきたいインゴベルトだった。もめる三人をルークが仲裁しようとして間に入ったところで超振動発動。シュザンヌはそれが超振動であるとは知らなかったが状況を聞いた王の側近の一人―――学者か何かだろうか―――が超振動であると推測した。世界から第七音素は消えつつあるが、第七音素譜術士が体内に溜め込んだ第七音素は使用しなければ潜在している。三人とも第七音素譜術士の素養を持っていたので、その体内の第七音素が干渉しあった結果ではないか、と。
モースにとって後半の話はどうでもいいことだった。重要なのはティアの行動と台詞である。
ヴァンとティアがユリアシティの出身であることを知るモースは、二人を預言(スコア)の監視者であると認識していた。監視者であるティアが同じく監視者であるヴァンを裏切り者と言ったということは、ヴァンが監視者にあるまじき行動、つまり預言に反する行いをしているのではないか、とモースは疑ったのである。ヴァンの部下であるリグレットとラルゴも当然疑惑の対象である。
三人とも処分してしまった方がいいだろうとモースが考えていることなど明らかだった。拒否すれば強硬手段に出るだろう。ここでモースの命令を無視して教会を出て行くことは簡単だったが、その所為でヴァンの警備が強化されては困るのである。
一晩時間が欲しいと言ってリグレットは教会の一室を借り受け、ラルゴと共に閉じこもったのである。
ヴァンが捕らえられている状態で二人は滅多なことはできないだろうとモースは高を括っていた。
「死ぬつもりか?」
「そんなわけがあるか。我らが死んで見せたところで、あの男が閣下を自由にするとは思えん。ならば我らの手で閣下をお助けすればよいだけのことだ」
ヴァンを脱獄させ、共に逃亡することを選んだリグレット。ラルゴは完全に巻き添えを食ったようなものであるが、彼にも自害と言う選択肢はなかったので特に拒否する理由はなかった。
翌朝、リグレットたちがヴァンを脱獄させたことを知ったモースは怒り心頭。三人とも世界規模で生死問わずの指名手配となった。生存時に支払われる報奨金の方が高額であるのが普通であるのだが、今回は生死に関わらず同額である。これにはできれば死体と対面したいというモースの思惑が大きく影響しているように思うのは気の所為ではないだろう。
シンクやダアトに戻った信託の盾兵たちの証言で、ダアトはタルタロス襲撃の黒幕をモースまたはヴァン、もしくは二人の共謀であると考えていた。しかしそれは限りなく黒に近い灰色といったところで、現在のところモースを拘束したりその地位や権力を剥奪したりするまでには至っていなかった。
モースとしては今のうちにすべての罪をヴァンたちに押し付けて処分―――できれば死人に口無しが望ましい―――してしまいたいと思っているので、持てる力すべてを駆使して自らの保身に躍起になっているところである。
奪還の命を下したことに関しては、ダアトを不在にしていたため導師がダアトから姿を消したことは出奔でも誘拐でもなく、導師の意志であり詠師たちも同意しているとは知らず、マルクト軍に誘拐されたものだと勘違いしてしまった。自分はけっして武力行使を命じてなどいない。などなどと苦しい弁明を述べた。苦しい、苦しすぎるぞモース。しかし嘘であると決め付けるには証拠が不足していた。
シュザンヌからヴァンたちが脱走し指名手配になったことを聞いたティアは、兄とリグレットの浅はか過ぎる行動に頭を抱えていた。ナタリアも己の実父に対して同様の思いを抱いているようである。
「いや~、予想以上に楽しませてくれますねぇ~」
ただ一人ジェイドだけが楽しそうである。
教団の不祥事に加え、キムラスカが捕らえた罪人をみすみす逃がしたモース。
かつてはキムラスカ国内、特に国王に対して絶大な影響力を持っていた教団ひいてはモースであったが、今回の件でそれはどの程度の落ち込みをみせただろうか。
現在モースは王と謁見中だというが、謁見の内容はかつてと同様にマルクトが戦争の準備をしているという話だろうか、それとも今回の教団の不祥事についてだろうか。
登城した一行は無事バチカルに帰還したことを報告するために国王への謁見を申し入れる。先客があるのであれば終わるまで待つ、と。謁見中に乱入しなかったので、ルークたちに王とモースの会談の内容を知る術はなかった。
二人の帰国と、イオンが同行しているという報せを聞いて色めき立ったのは国王よりもモースの方だった。マルクト皇帝の名代であるジェイドの存在はモースの眼中にはないようである。
ルークたちはほとんど待たされることなく王との対面が可能となった。
ナタリアとルークの帰国を手放しで喜ぶインゴベルトとモース。
特にモースは、自分たちの帰国にティアを初めとする神託の盾兵が尽力してくれたというナタリアの言葉に飛びついた。ナタリアはジェイドを初めとするマルクト方々にも世話になったと言ったが、モースにとってはマルクトの功績など興味のないことだったのでそこは耳には入っていないようである。
ティアのことを褒めちぎったあげく、ヴァンのことは残念だがティアとヴァンは関係ないとまで言い切ったのである。
こっそりガッツポーズのナタリアだった。
ティアを王族二人の失踪に関与した犯罪者にしたくはなかったので、失踪時のことを証言したであろうシュザンヌやファブレ家の人々の尽力に心の中で拍手喝采を贈った。後でお礼を言わなければ、と。
もっともティアは別に罪人でもかまわないと思っていた。かつては何もわからず同行したアクゼリュスであったが、今は「アクゼリュスに同行 = 死刑」ということが理解できている。今回も親善大使一行に同行するつもりであったので、肩書きは罪人だろうが監視者だろうがどちらでもよかったのだ。
「お父様からもカーティス大佐にお礼を。わたくしたちが無事にバチカルに帰ってこられたのは彼がいらしてくださったからですわ」
ナタリアにそう言われてしまっては、ピオニーの親書を受け取れないとは言えないインゴベルトである。
返事をしたためるのでしばらく城に滞在するよう勧めたが、ジェイドがそれに返事をする前に、シュザンヌがルークの世話になった礼をしたいのでファブレ家で持て成したいと申し出る。イオンとジェイドの希望もありバチカルにいる間の和平の使者たちの滞在先はファブレ家に決定した。
ここで謁見は終了となり、ナタリアと、モースに残るように言われたティアを残し一行はファブレ家へと移動することになったのだった。
インゴベルトやクリムゾンと対面し正体を知られることになっては困るアッシュは、一足先にファブレ家に帰宅していた。
謁見の様子はルークの目と耳を通して見聞きしていたので改めて確認する必要はないはずなのだが、「謁見の様子を報告しろ」とルークの自室に引き篭もる本当の理由は何なのか。
「ここで報告できない理由はないよな」
引き止めるガイの手は虚しく宙を舞う。
「あらあら、仲のよろしいこと」
二人を双子の兄弟のようだと認識しているシュザンヌは別として、アッシュの本音が見える残された者たち―――ガイを除く―――は生暖かい目で二人を見送った。
アッシュの独占欲はダアトとバチカルに離れていなくてもいいと理解した瞬間、「我慢」という言葉を忘れてしまったようである。
「お腹がすけば出てくるんじゃないですか」
「あんたなぁ~」
ジェイドのルークに関する認識はどうなっているのか?
強くは否定できないガイだった。
アッシュルークに対する独占欲は食欲に勝っているのだが、ルークの腹の虫にアッシュが折れるのも常のことだったので、食事の時間になれば出てくるという認識は正しい。ちなみにアッシュの腹の虫は独占欲の前では気力で沈黙を守っていた。欲望の前では意外な器用さを発揮するアッシュだった。
アッシュの独占欲が満たされたからなのか、それともルークの腹の虫が騒ぎ出したからなのか、食事の準備が調ったというメイドの呼びかけに素直に応じ、二人は揃って食堂にやってきた。
食堂にはナタリアとティアの姿もある。
モースの話は終わったのかと聞けば、ティアは「ええ」と首を竦めてみせた。詳しいことは食事の後で話すから、と。
本来なら同席を許されない立場にあるはずのガイやジョゼットも同じテーブルに付く。今後のことを話し合いながらの食事ということで、シュザンヌが特別に許可したのだ。
もっともファブレ公爵家内はある意味治外法権だったので身分など気にしなくてもよいというのが本当のところである。しかし情報はどこからバレるとも知れないので建前は大事だった。
もっともファブレ家の使用人に情報をリークするような者はいなかった。もしいたとしたら、アッシュやオリジナルイオンの存在が外部に漏れて大変なことになっているだろう。現在何の問題もないということは、うっかり口を滑らすような者もいないということの証明だった。
「伯父上は和平を受け入れてくれるかな?」
かつてのことを忘れたわけではあるまいに、ピオニーからの親書を額面通り受け取るルークに呆れつつも、その心根の美しさに憧憬の眼差しを向ける。
ルークに人の裏をわかるようになれ、などと言う必要はない。彼が心無いモノに傷つけられたりすることがないように自分たちが守ればいいのだ。それはここにいるすべてのモノが共通して抱く思いであった。
「親書にはアクゼリュス救援の要請を?」
「いえ。アクゼリュスの鉱山は数年前に閉鎖しました。障気が噴出すとわかっている場所に国民を住まわせておくわけにはいきませんから」
当然といえば当然の処置である。
ジェイドはピオニーが皇帝に即位する前はこっそりと、そして即位後は堂々とアクゼリュスの調査を行っていた。ダアト式封咒があってパッセージリングの調査はできなかったが、障気の存在は調査開始直後からわずかではあったが鉱山の内外を問わず確認できた。その後は継続的に街や坑道内の障気濃度を計測、鉱石の採掘は障気濃度が人体に影響を及ばない時のみとするなどの労働基準を設けた。鉱夫や住民たちの健康診断も定期的に行い少しでも異常があれば街を離れて療養させるという徹底ぶりである。更に障気の影響があまりないうちに資源を掘りつくしてしまおうと、ジェイド自身の手で採掘計画まで立てたのである。その結果、粗方掘りつくしてしまったことと障気濃度の上昇を理由に数年前に鉱山を閉鎖、鉱夫も住民も全員避難済みであるとのことだった。
「誰もいないんじゃ、アクゼリュスに行く理由はないんじゃねぇの?」
「ただ」とジェイドにしては珍しく歯切れが悪い。
「廃鉱にし、街も立ち入り禁止としましたが、まだあるかもしれない資源を求めて勝手に街に住み着いた人間がいない、とは言えないというのが実状でして・・・・・・」
アクゼリュスを立ち入り禁止とした直後は見張りの兵を置いたりもしていたが、障気濃度が濃くなったこともありアクゼリュスが無人であることを確認した後その兵も帰国させた。アクゼリュスは公式には無人である。入り口に立ち入り禁止の看板とその理由もきっちり書いておいたが、それでも金欲に負ける者はいるだろう。見張りの兵がいなくなったことによりアクゼリュスは盗掘者たちの温床になっている可能性は高い。
自業自得だからほっとけ、というのが大多数の抱いた感想である。
「早く教えないと、大変じゃないか」
あぁ、なんて綺麗なのだろう。
今すぐ飛び出し兼ねない勢いで立ち上がるルークを慌てて引き止める。
明日にはアクゼリュス行きを命じられるのだから、アクゼリュスに残っている人間の救出はそれからでも遅くはない、と。もっともジェイドが本気で救出を考えているかどうかは疑わしかったが、ルークは自分一人が焦っても何もできないと気付いたのか、おとなしく椅子に座り直した。
「ピオニー陛下の要請はないのにか?」
「彼らはルークをアクゼリュスに行かせたがっていますからね」
現在のアクゼリュスはマルクト領である。そこにキムラスカの王族、それも王位継承者であるルークが行くとなればそれなりの理由が必要だった。
かつてピオニーが親書でアクゼリュスの民を救うためにキムラスカ側の街道の使用許可を求めたことも、もしかしたら預言の影響を受けていたからなのかもしれない。もちろんピオニーの民を救いたいという思いは預言の影響を受けて芽生えたような半端なものではなかったが。
「どんな大義を持ち出してくるか、楽しみではないですか」
この状況を楽しめるのはジェイドだけだと思う、というツッコミはそれぞれの心の中にこっそりとしまわれた。下手に突っ込めばジェイドの玩具(オモチャ)になるだけである。
預言を遵守したいインゴベルトは、今ごろアクゼリュスにルークを送り込む理由を必死に考えていることだろう。きっとクリムゾンやモースも一緒にない知恵を絞っているはずである。
「三人寄れば文殊の知恵といいますからね」
ジェイドはトコトン失礼な男だった。もっともこの場にはジェイドに抗議する人間も三人を弁護する人間もいなかったから、皆同じようなことを思っているのだろう。
「そういや、モースの方はどうだったんだ?」
食事の後で話すと言ったティアはデザートとお茶が運ばれてきたタイミングで、王城でのモースとのやり取りを語りだした。
ルーク・ナタリア・ティアの旅券はガイがインゴベルトから預かってきたものがあったし、それ以外は各自所持していたので、旅券がなく足止めされてしまったのはアリエッタとそのお友だちだけだった。
マルクト側の国境はジェイドが皇帝名代の地位を利用して通過する許可を取り、キムラスカ側は王族二人の我儘という伝家の宝刀を抜いて入国を認めさせた。
「わたくしたちが無事キムラスカに戻ってこられたのは、彼女と彼女の友の協力があったからですわ。旅券がないから入国を許可できないだなんて、キムラスカ王女は恩知らずな人間だと世間が噂をしたらどうするおつもりですの?」
警備兵はただ職務をまっとうしようとしただけである。それを王女の名を貶める行為だと責められたのではたまったものではない。彼は王族の逆鱗に触れぬように「どうぞお通りください」と頭を下げるしかなかった。
「悪いことをしたかしら?」
最敬礼の姿勢で固まった警備兵の姿を一瞥し、ナタリアは少しだけ申し訳なく思う。彼が咎められることのないようにフォローしておかなければならないだろう。それはジョゼットが後で彼の上官に進言しておくということになった。
「ナタリア殿下。ルーク様。無事のご帰国お喜び申し上げます。ご苦労様ですティア・グランツ殿。ガイ・セシルもご苦労でした」
王族二人がティアとの間で起きた超振動が原因でファブレ公爵家から飛ばされたことなど承知の上で、ジョゼットはティアを労ったのだ。それはキムラスカがティアの罪を問わないと公式に言っているようなものである。もっともキムラスカ国王やファブレ公爵は二人がバチカルから姿を消した原因が、ティアがヴァンを襲ったことにあるなど知らされていない可能性も充分あるのだが、その辺のことは後でジョゼットから聞こうと思うジェイドだった。
「マルクト帝国軍、第三師団団長、ジェイド・カーティス大佐です。陛下の名代としてまいりました」
「知らせは受けております。ようこそキムラスカへ、カーティス大佐。自分は白光騎士団団長、ジョゼット・セシルであります」
初対面―――世間的にはそういうことになっているので、これは対外向けの演技である―――の挨拶を済ました二人の軍人は、ここからバチカルまでの行程を話し合うためキムラスカ軍の詰所へ。ルークたちは白光騎士団の護衛の下、宿で待つことになった。
表向きはバチカルまでの行路の確認や警備体制の話し合いということになっているが、実際は台本通りに進んでいるかの確認をするためである。当初の予定と大きな差異はなかったので、ジェイドとジョゼットの話し合いは数分で終わった。
「名代がフリングス少将でなくて残念なのではありませんか」
「そんなことは・・・・・・」
ないとは言い切れないジョゼットに、さすがのジェイドもからかうのはかわいそうだと思ったのか、アスランから預かった手紙を渡す。ジェイドを伝書鳩代わりにするとは、アスラン・フリングス恐るべし。
渡された瞬間から手紙の存在に心を奪われたジョゼットはジェイドが詰所を出て行ったことに気付かなかった。
この七年間、アスランとジョゼットが公式に会うことは一度もなかった。非公式な、いや非常識な手段を使う方法も含め、未だ会う機会には恵まれていないのだ。それでも今はお互いがかつて思いを寄せた相手と同一人物であると知っている。それで充分であるとジョゼットは思っていた。もちろん会いたい思いは日に日に大きくなる一方であったが、何も知らなかったころと比べると今のなんと幸せなことか。
「彼も同じ思いでいてくれるとよいのだが」
真っ白な封筒に綴られた己の名前。それを指でたどるだけでふわりと心が温かくなる。
「もうすぐ―――貴方に会える」
誰にも聞かれることのなかったジョゼットの呟きが、手紙の最後に書かれていた言葉と同じであることを知るのは、今はまだ読まれていないこの手紙だけだった。
アスランとジョゼットの二人は当初、過去に戻ってきたのは己のみであると思っていた。それからそれぞれの国で同類を見つけることはできたが、相手の国のことは知りようがなかったのだ。なので、アスランはジョゼットが、ジョゼットはアスランが自分と同じく未来を知る者であるとは思ってもいなかった。同じ名前を持ち同じ姿形をしていたとしてもそれ己の愛した相手とは別の人間。同じ顔をした別人というのは会えば辛いだけなのではないだろうか。できれば会わずにすませたい。でも幸せにはなって欲しい、と。相手のためにも預言を覆して世界を存続させるために尽力することが、自分が今ここにいる理由である。特にジョゼットはアスランを死なせないために、そのためなら何だってやるつもりでいた。
二人のそんな思いに気付いているのはアスラン側ではジェイド、ジョゼットの方はガイぐらいだっただろうか。
ジェイドはジョゼットが、ガイはアスランが逆行しているとは知らないため協力のしようがないまま一年ぐらいが過ぎ、その後お互い自分の知る相手であると判明するのだが、どんなに二人が会いたいと思っていても公式に認められる理由はなく、非公式な手紙のやり取りが精一杯だったのだ。
ジョゼットの思う相手がマルクト軍人だと知ったシュザンヌはマルクトに亡命してもいいと言ったが、残されるセシル家のことを考えるとそれもできず、それ以上に今なすべきことを投げ出すような女はアスランに相応しくないと考えるのがジョゼットである。
一方アスラン側も似たようなものだった。ピオニーの暴走を止めるにはジェイドとアスランがタッグを組む必要があり、アスランのキムラスカ亡命はジェイドが全力で阻止したのだ。その負い目もあってジェイドは伝書鳩の役目を快く引き受けているのだろう。
ピオニーが「アスランが亡命するなら自分も一緒に亡命しようかなぁ~」などと本気とも冗談ともつかない口調で言うので、アスランはマルクト帝国が心配でグランコクマを離れることができなかったというのも理由の一つだ。
ピオニーの場合、ネフリーに思いを告げようにもジェイドにすべてが片付くまでは禁止ですと言い渡されている状態なので「アスランばっかりずりぃよなぁ」と嫌がらせの可能性が大だ。けっして本気ではない、と思いたい。
「ヴァン師匠(せんせい)来てないのな」
この質問には、ガイが伝えていなかったことに呆れつつも、同行した白光騎士の一人、チェリア・ハミルトンが答えた。彼女はかつてジョゼットが率いていた隊にいた女性兵士の一人だった。数少ない同性同士互いに親近感を抱いていた。その記憶もありジョゼットは今生でも彼女を重用していた。今回も王族二人の出迎えと護衛という任務に同行させ、自分が席を外す間の全権を預けるほどである。そして彼女もジョゼットの信頼に十分応えていた。
バチカルでは三人がファブレ家から消えた原因を作ったのはヴァンということになっているということ。自他とも認めるシスコン兄は本当のことを言って妹を罪人にすることはできなかったらしい。ガイがバチカルを出立した時はファブレ家に軟禁されていたヴァンであったが、現在はキムラスカ城の地下牢に場所を移し取調べを受けていた。キムラスカ王やファブレ公爵、大詠師モースの取調べにも頑なに口を噤んでいるとのことだった。
「まぁ、本当のことは言えないだろうからな」
ティアがやったことを言い出さないのは、ティアを守りたいという思いも本当だったが、それ以上に実の妹に命を狙われた理由を探られることを恐れたからに他ならない。
この期に及んでもヴァンは二人がバチカルに帰還さえすれば自分は解放されるだろうと思っているようである。
ちなみにND2018の預言を知っているキムラスカ国王とファブレ公爵を初めとする国の重鎮たち、そしてモースはルークのバチカル不在を快く思ってはいなかったが、ユリアの預言(スコア)に詠まれた存在である聖なる焔の光(ルーク)が預言以外の場所で失われることなどないと思い込んでいるため、心配はしていなかった。ルークの身の安全が預言に保障されているということは、当然一緒にいるであろうナタリアも保障されているということだ。その絶大なる信頼はどこから来るものなのか? 預言の真実を知るモノにとっては馬鹿らしい限りだった。
ヴァンはこれでもしレプリカルークが失われたとしたら、預言がレプリカを聖なる焔の光(ルーク)と認めず、たとえ名を変えたとしてもオリジナルルーク(アッシュ)は預言の呪縛から解放されることはないのだ、と。せっかく作ったレプリカを有効利用できなかったことは残念であるが、やはり人類を預言から解放するためには劇薬が必要であるという自分の考えに自信を持ったことだろう。もっともルークたちは無事にバチカルに帰還するのだから、この仮説は証明されることはない仮設(もしも)の話である。
当然のことなのだが、カイツール港の襲撃もなければ、コーラル城に行く必要もないので、一行は真っ直ぐ馬車で軍港へ向かった。
その後は連絡船キャツベルトでケセドニアへ。
ヴァンがいないので甲板での出来事はないかと思いきや、地核のローレライがアッシュとルークに接触しようとしてきたようである。
―――我と同じ力、見せてみよ・・・・・・
突然の頭痛がアッシュとルークを襲うが、二人の意志を無視して超振動が発動することは、なかった。地核のローレライの気配を感じた地上のローレライが阻止したのだ。
「まだ、自我があったとはな」
成長したアッシュとルークの姿で現れたローレライは床に蹲るルークを抱き起こしベッドへと運ぶ。
「てめぇがさっさと地核のローレライを吸収しねぇからだろうが!」
頭痛で苦しむルークにアッシュの怒りが爆発した。いやルークを姫抱きにして運ぶローレライに嫉妬しているだけだろうか。
「超振動の発動を止めた我を誉めてはくれぬのか」
いじけるローレライをなだめるのはルークの役目である。
「ありがとうな」とローレライに笑いかけるから、それが面白くないアッシュの機嫌は下降の一途をたどる。
睨みつけるアッシュと、それさえも微笑ましいと思うローレライ。二人の間でただオロオロするだけのルーク。いつものトライアングルが形成された船室に入ってこられるような強者、あるいは暇人は残念ながらいなかったようである。
そうこうしている内にキャツベルト号はケセドニアに到着した。
船室でルークと二人きりという時間を満喫しようとしていたアッシュの目論みは、ローレライの登場により脆くも崩れ去ったのである。感謝の言葉の一つも述べて追い出せばよかったものを、半分はアッシュの自業自得だった。
ケセドニアの活気溢れる雰囲気に目を輝かせるルーク。
あっちへフラフラ。こっちへフラフラ。まるで縁日ではしゃぐ子供のようである。
「ったく、前を見てねぇからだ」
誰かにぶつかりよろけるルークの腕を支え、ぶつかった相手をアッシュは睨みつけた。
「悪ふざけがすぎるぞ、ノアール。こいつから盗ったものを返しやがれ」
「やだね~。そんなに怒りなさんな。ちょっとした挨拶じゃないの」
アッシュに指摘されて財布が掏り取られていたことに気付くルーク。
「またかよ。俺って情けねぇなぁ」
ルークが落ち込んだことでアッシュの怒り爆発した。元々沸点の低いアッシュだったが、ことルークに関しては日増しに低くなっていくような気がする。ケセドニアの街中で目立つ行動は控えるべきだと思うルークだったが、残念なことにアッシュを諌める方法を知らなかった。それに困るよりも嬉しいと感じているのだから、ルークも同じ穴の狢である。
騒ぎに気付いたオリジナルイオンの仲裁で渋々引き下がるアッシュとノアールに、ルークはほっと安堵の息を吐いた。
この七年間に何があったのだろうか? オリジナルイオンはアッシュの逆らえない人物ランキングの第三位にいた。ちなみに一位は無意識おねだり状態のルーク。二位は息子たちの心配するシュザンヌ。惜しくも入賞を逃したナタリアが第四位である。もっとも一位と二位の二人の場合は条件付での入賞だったので、通常状態では繰上げで一位がオリジナルイオン、二位がナタリアとなる。
ちなみにオリジナルイオンはノアールの逆らってはいけない人物第一位でもあった。次点のいない彼女にとってはただ一人の逆らえない人物と言ってもいいだろう。
ルークは尊敬の眼差しで二人を諌めるオリジナルイオンを見つめた。面白がったオリジナルイオンがルークにおねだりを意識的に利用する方法を伝授する日も近い。
オリジナルイオンとの再会を何よりも喜んだのはアリエッタである。
ここでオリジナルイオンや漆黒の翼の面々と合流することにしたアリエッタが離脱を申し出る。
「無理を言って国境を通させましたのに、残念ですわ」
アリエッタとの別れを惜しむナタリアだったが、理由が恋心であるというのであれば、乙女として協力しないわけにはいかないだろう。
オリジナルイオンたちとの情報交換が済んでも、バチカル行きの船の準備が調うまでにはまだ時間がかかりそうだった。準備に時間が掛かっているのはナタリアが王女様のお願いを発令したからである。
そこで、解析が必要な音譜盤(フォンディスク)もなくアスター家を訪問しなければならない理由はなかったのだが、今後のことを考えるとそろそろ顔見せぐらいはしておいた方がいいだろうということになり、アスターに面会を求めることになった。
ただ真面目にアスターと話をしているのはジェイドとイオンの二人だけである。残りの六人と一匹はソワソワと落ち着きがなかった。
かつて何度も足を運んでおり屋敷の様子など知っているはずなのに、お金持ちの家に興味津々なアニス。
音譜盤がないので使用する必要ないのに解析装置に興味津々のガイ。
時間が空いたと聞いて露天巡りに行きたがったルーク。
ルークといられるのであれば何でもいいのだが、ルークが街を散策したいと言うのならその望みを叶えたいと思うアッシュ。ルークに宥められたので―――さっそくオリジナルイオンに教わったことを実行してみたようである―――しばらくおとなしくしていたアッシュだったが、挨拶が済むとルークを伴ってケセドニアの街に繰り出した。人混みで逸れては大変と差し出した手を素直に握り返すルークにアッシュはニヤリと口角をあげる。ルークが言葉通りにしか受け取っていないと気付いていないアッシュはある意味幸せ者だった。
今度こそありじごくにんの正体を暴きたいナタリア。それからディンの店にも顔を出さなければ、と見てみたガールが実は一番急がしそうだった。王女に一人歩きをさせたとあっては問題になる。しかし並みの兵では王女の仮面を脱ぎ捨てた―――自治区と言うこともありたまには羽目を外したかったようである―――ナタリアに付いていくのは大変だった。なので護衛という建前でティアが同行していた。ナタリアの後を付いて歩くティアはルークから預かったミュウを胸に抱き、幸せそうである。
お蔭でアスター家に「出航の準備ができました」と知らせにきた白光騎士はケセドニア中を走り回る羽目に陥った。
ケセドニア港に停泊していたのはプリンセス・ナタリア号である。
「乗ってみたいとおっしゃっていましたでしょ」
ナタリアがプリンセス・ナタリア号で迎えに来るよう指示していたらしい。
これにはアニスが大喜びだった。
ティアも女の子が好きそうな内装に頬を赤らめている。
アッシュはルークと二人きりで快適な船旅を送ることができればいいだけなので船の名前に興味なかったが、プリンセス・ナタリア号の設備は快適な旅を望むアッシュを満足させるものだった。
ディストの襲撃などもちろんなかったので、二度目の船の旅は恙無く終了する。
バチカル港では報せを受けたシュザンヌが自らルークたちの到着を待っていた。久しぶりに再会した息子たちを抱きしめたい気持ちをグッと堪え、インゴベルトたちが城で待っていることを告げる。ファブレ家でゆっくりと寛がせてあげたいところであったが、王命であればしかたがないだろう。
バチカルの最上階に辿り着くまでの間にシュザンヌが語った不在の間の出来事は、誰もが耳を疑うようなものだった。
馬車を用意してもらったり、道中の警護を依頼したり、各地に向けて鳩を飛ばしたりと大忙しである。
ルークとナタリアもバチカル宛の手紙を伝書鳩に託した。マルクト領からキムラスカに飛ぶような鳩はいなかったので、最初の宛先はケセドニアである。セントビナーでの検閲はジェイドがいるので免れることもできるが、ケセドニアではそうはいかないだろう。キムラスカ領事館に届けられる前に中身を見られることは十分に予想できた。ジェイドが一筆添えたとしてもそれで確実に防げるという保証はなかったので、必然的に当たり障りのない内容になる。
無事を知らせると同時にマルクトの人間がいかに自分たちに親切であるかを訴え、マルクト帝国とはこれからもよい隣人でありたいと願いますと締めくくったナタリアの手紙は、はたしてキムラスカ王の心を動かすことが可能だろうか?
ルークはシュザンヌに宛てた手紙で、導師イオンと共にマルクト軍の護衛の下バチカルに帰るので、国境まで迎えに来て欲しいと伝えた。そんなこと今更手紙に書かずともシュザンヌも承知のことであったし、迎えは疾(と)うにバチカルを出立していることだろう。なのでこの手紙は、予定通り進んでいるので心配しないで欲しい、とそういう意味である。きっとルークの思いは正しくシュザンヌに伝わることだろう。
それが終わると、旅の準備はジェイドに押し付けて―――といってもジェイドもセントビナーの兵に指示を出しているだけだが―――他のメンバーは思い思いに寛いでいた。
ナタリアが薬屋開業のお手伝いをするために探索ポイントまで行くと言い出し、ガイとティアはそれに同行。一緒に行くつもりでいたルークはアッシュに誘われソイルの木の上でデート―――デートというのはアッシュの主観である。ルーク的にはどう思っているかは謎だ―――と洒落込んだ。アニスはイオンのために精の付く料理を作るのだとマクガヴァン家の台所を占拠した。何やら大作ができそうな予感である。イオンは同家の居間でマクガヴァン元帥と茶飲み話に花を咲かせていた。
「皆さ~ん。そろそろ出発しますよ」
もちろんジェイドが各地に散った仲間たちを自分で呼びに行くなんてことをするはずがなく、こういう時の実働部隊はもちろんガイ・セシル―――本名ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。極秘裏ではあるがマルクト皇帝から伯爵の地位を賜ったれっきとしたマルクト貴族の一人である。しかし同じマルクト国民であるジェイドを筆頭に誰一人としてその地位に相応しい扱いするものはいなかった――-だった。
ここからの旅は当然馬車である。身分を明かした以上イオン・ルーク・ナタリアを歩かせるわけにはいかないのだ。もちろんこの選択はイオンの体力を考慮した上でのことでもある。
馬車の内と外という極僅かな距離とはいえ、アッシュがルークから離れていられるはずがないので誰に言われるまでもなくアッシュも馬車に乗り込んだ。導師の護衛ではなかったのですか、なんて質問は言うだけ無駄だった。
「女性を歩かせるわけにはいかないからね」
ガイのフェミニスト発言によりティアとアニスも馬車だ。
そうなることは予想済みだったのだろう。あるいは最初から徒歩の旅などするつもりがなかったのか、ジェイドが用意させて馬車は二台あった。ジェイドとガイは御者台である。周りはセントビナーに駐在していたマルクト兵が固めていた。急ぐ旅なのでもちろん騎兵のみで編成された部隊である。
一台目の馬車にはイオン・アニス・ティアが乗り、御者台にはジェイドが座った。
二台目はルーク・アッシュ・ナタリア・ミュウ。ガイは御者台である。
馬車を三台用意させてルークと二人きりを望んだアッシュだったが、警備が大変になるからとジェイドに却下された。けっして嫌がらせではないだろう。大勢の方が楽しいとルークもこのままでいいと言うのだから、アッシュの思いが正しく伝わる日が来るのはまだまだ先になりそうだった。遠回しなことはせずに直球で勝負すれば話は違ったのだろうが、人生二回目でもアッシュのツンデレ体質はそう簡単に直りそうはなかった。
ちなみにアッシュは自分たちで一台、イオン・アニスで一台、ナタリア・ティア・ミュウで一台を希望していたようである。もしアッシュがこれを強行していたら、「馬車の中で何をするつもりなんだ」と心配したガイが全力で阻止しようするだろう。そして、再び鬼ごっこが始まるかもしれない。その光景を見たルークが羨ましがり、アッシュは更にむきになってガイの息の手を止めようとするという悪循環が繰り返されるだろう。これではタルタロス下船時の二の舞である。それを防ぐという意味でも、ジェイドのこの割り振りは急ぐ旅には一番相応しいものだった。
タルタロスを降りた神託の盾(オラクル)兵たちは一足先にダアトに帰還することになった。
食料等の備蓄にも限りがあり、いつ直るとも知れないタルタロスで待ち続けるわけにはいかなかったことと、リグレットとラルゴが教団を裏切り、導師によって破門されたことについて一刻も早くダアトに報告する必要があったからだ。
途中エンゲーブで物資の補給をしたり、先に出発した仲間やマルクト兵たちと合流したりしながら、彼らが先ず目指す先はマルクト帝国の首都グランコクマである。
マルクトを横断することについてはジェイドが持たせてくれた書状もあり、また途中でマルクト正規軍と合流したこともあり特に問題はなかった。
彼らは旅券を持っていなかったが、事情を認(したた)めたジェイドの手紙や、マルクト皇帝に宛てたイオンの書状は旅券の代わりを充分に果たしていた。そしてグランコクマに到着の後は事情を説明すればダアトへの船を出してくれるだろうとジェイドが請け負い、それはもちろんその通りとなったのだ。
神託の盾兵内でのジェイドの評価は鰻登りだった。死霊使い(ネクロマンサー)と恐れていたなんて嘘のようである。真相を知らないって平和でいいなぁ~とは誰の感想だろうか。
もちろん彼らの持っている書状にはリグレットとラルゴの裏切りや、彼らの部下はその二人に騙され導師奪還に加担しかけたが、真相に気付き最終的には二人の捕縛に協力したこと―――協力したことにしたらしい。実際は黙って見ていただけだが、ジェイドにしみれば余計なことをしないことこそ最大の協力だったということなのだろう―――なども書かれていた。
その他にも、ダアトに帰国後直ぐに軍事裁判を行うことができるように準備しておいて欲しいという参謀総長の依頼。
シンクとアリエッタを初めとする神託の盾兵たちの協力もあり大事に至ることがなかったことに対するマルクト側の感謝と、今回のことはダアトとは既に関係のない一個人の起こしたことであり、このことは両国の友好関係を脅かすものではないだろう、というマルクト帝国軍、第三師団団長ジェイド・カーティス大佐の私的見解も添えられていた。私的なものではあってもマルクト皇帝の懐刀の言葉は神託の盾兵たちの心を軽くするのに十分だったことだろう。
騙されていた神託の盾兵の減刑、できることなら不問にして欲しいとう嘆願書はイオン・シンク・アリエッタの連盟で出されていた。非公式であり、ダアトの内政に干渉するつもりはないと断った上でジェイドが一筆添えるという念の入れようである。
書状の内容を知った神託の盾兵たちはそろって「一生付いていきます」と心の中でこっそり誓ったらしい。
他国の軍人なんですけどわかっていますか? なんて突っ込みを入れるのは野暮というものである。彼らの中でジェイドという人物は命の恩人にも等しい存在なのだ。
タルタロス襲撃に関する報告を受けたダアトにいた詠師たち―――大詠師モースと神託の盾騎士団の主席総長ヴァンは不在だった―――は正式にリグレットとラルゴの師団長の身分剥奪を決定。軍法会議に出廷するためにダアトに出頭するよう命じたが、その命令を彼らに伝えるのは大変そうである。もっとも無事伝わったとしても彼らがその命に素直に応じるとは思えないのでいずれ指名手配ということになると予想するのは容易いことだった。
それと同時に今回の件が彼らの単独であるとは思えないことから、黒幕の調査も開始されたが、査察官がモースやヴァンにたどりつくまでにはもう少し時間が掛かりそうである。
心配していた一般兵の処遇についてだが、厳重注意程度でほぼ不問に処せられることになった。第一・第四師団の団員たちはそれぞれ第二・第五師団に振り分けられ、しばらくはその監視下に置かれることになったのだが、それも形だけの処置といって差し支えないだろう。
突然倍に増えた団員にディストとシンクが頭を悩ませるのは、また別の話である。
神託の盾兵たちの態度や、その後にダアトの出した結論はジェイドを概ね満足させるものだった。
「ちょろ甘ですね」
世界は預言に踊らされているのではなく、ジェイドの掌の上を転がっているようである。
現在、タルタロスに乗船している人間はシンクとリグレットとラルゴの三人のみである。
動かなければ、それはでっかい金属の箱でしかない。アリエッタが整備士を連れ帰るまでシンクにはやることがなかったのだ。
暇を持て余した彼は格子越しにリグレットとラルゴの二人と対峙していた。
「シンク、閣下に拾われた恩も忘れ、裏切るつもりか」
リグレットの金切り声が耳に痛い。
「ヴァンを裏切っているのはどっちだよ。来(きた)るべき時までは世界は預言通りであると見せかけておく必要がある、んじゃなかったのさ」
リグレットとラルゴをからかって遊ぼうと思い船底に下りてきたシンクだったが、アリエッタが戻ってくるまで一人でお茶でもしていた方が良かったかなぁ~と早くも後悔していた。まぁそれでも始めてしまった遊びを途中で止めるつもりは彼にはないのだが。
「何度も同じ事を言わせないで欲しいね。預言に詠まれていないことをやろうとしている人間が、預言に詠まれていないから戦争は起こらないなんて、それこそヴァンがやろうとしていることは実現不可能だって思っている証拠なんじゃないの? 裏切っているのはどっちさ。それとも預言に詠まれていないマルクトとの戦争を引き起こそうとしていたのかな? だったら邪魔をして悪かったね。でもそれってやっぱりヴァンの計画とは違うんじゃないの。あんたがヴァンを裏切っていただなんてね。これを知ったらヴァンはどう思うかな」
シンクの弾丸トークにリグレットは口を挟むことができなかった。自分はヴァンを裏切ったりしていないし、彼の計画が実現可能であると信じている。それはリグレットにとっての真実だった。しかし彼女は自分の取った行動が矛盾しているということに今の今まで気付いていなかったのだ。シンクの執り成しがなくダアトとマルクトの間で戦争が起きたとしたら、ヴァンの計画の障害になったのだろうか? それは確かめようがないことだった。己の失態をヴァンに知られることを恐れるリグレットは仮定の話を彼にすることなどできはしないだろう。
元々無口な性質(たち)であるラルゴは何かを考えるように黙り込んでいた。ヴァンへの思慕だけで彼の計画に加担したリグレットとラルゴは違う。シンクの言葉はラルゴにヴァンの計画に対する不信感を植え付けたようである。ヴァンに問い質してみるべきか? しかしそれをしたところでどうなるというのだ? 自分たちはもう歩き始めてしまったではないか。ラルゴに他に選べる道はなかった。たとえそこに矛盾を感じたとしても今更引き返すことなどできはしないだろう。
シンクは静かになった二人―――ラルゴは元々静かだったので、リグレットが黙ったことで静寂が訪れたのである―――をつまらなそうに眺めていた。彼らにヴァンとその計画に対する疑念を与えることはできただろう。しかしだからといって彼らがヴァンを見限るだろうなんて甘い期待はしていなかった。
信念ではなく恋心で追随しているだけの女と、自身で復讐することもできず他人(ヴァン)の復讐に便乗しているだけの男。結局彼らはヴァンの狂気に巻き込まれ、抜け出すこともできない憐れな人形にすぎない。かつての自分も似たようなものであったことにシンクの複雑な思いを抱いていた。それはシンクをそこから救い上げたのが自身のオリジナルであったことも多分に影響しているのだろう。
「シンク、ここにいたですか」
気まずいというか、微妙な空気を断ち切ったのはシンクを探して船底に下りてきたアリエッタだった。
「修理できる人、連れてきたです」
三人の緊迫した空気などまったく感じていないようで、あるいは感じているからなのだろうか、こんな場面であってもアリエッタの表情や声は常と変わらなかった。
そんな彼女の登場にシンクは張り詰めていた緊張の糸を解いた。
三人ともこの状況に終止符を打つ切欠を欲していたところだったので、アリエッタの登場は渡りに船である。シンクは修理状況の確認するためと理由をつけ船底を後にし、リグレットとラルゴはそれを黙って見送った。
さてシンクたちの姿が船底から消えると、早速リグレットとラルゴは脱走することにしたようである。武装解除はされていたが、譜術の使用は可能だったのだ。
「まだまだ詰めが甘いな」
拘束が中途半端であったことを侮るリグレットの声が無人の船底に響く。それさえも誰かが計算していたことであっただなんて微塵も疑っていないようである。
「逃げていただかなければ、面白くありませんからねぇ」
なんてことを密かに企んでいた人物がいたとかいないとか。意外と簡単に逃げ出せるような造りになっていた可能性あったとかなかったとか。そんなことがシンクにバレたら色々面倒なことになるだろうから彼にだけは絶対に秘密だ。もっとも企てた人物が想像通りの人物であればそう簡単に気付かれるようなミスはしていないだろう。(とりあえず、管理人はここで逃がしておかないと盛り上がらないよなぁ~とかは思っています/爆)
「何で二人分の封印術(アンチフォンスロット)ぐらい用意してなかったのさ」
シンクはルークたちと合流後にジェイドに文句を言ったが、取り合ってはもらえなかった。一つ作るのに国家予算の一割弱。二つ作る金があるならその金は別のことに使う。ジェイドであればそうするだろう。実際にマルクトの国家予算の何割かはジェイドを筆頭とする逆行組が今回の企みのために流用したようである。皇帝が自ら率先して行っているのだから、ジェイドが横領の罪に問われることはなかった。それでいいのかマルクト帝国。
ちなみにラルゴの所持していた封印術は没収済みであったが、後々有効利用させてもらうつもりのジェイドの懐の中である。そこから掏り取って使用できるような強者(つわもの)はいなかった。
リグレットとラルゴは昇降口(ハッチ)が開かなかったため甲板から飛び降りることにしたようだった。
操縦桿の修理を終えて船橋から出てきたシンクたちと鉢合わせしたのはどんな運命の悪戯だろうか? あるいは預言の呪いだろうか?
甲板にてシンク・アリエッタと対峙したリグレット・ラルゴ。体格差のありすぎる二組であるが、戦闘能力は拮抗していた。それ故、整備士を庇って戦っているシンクとアリエッタの方が不利だった。
「仕方がないね。脱出するよ」
アリエッタの魔物を使用し、整備士を連れてシンクとアリエッタはタルタロスを脱出。
奇しくもタルタロスをリグレットとラルゴに奪われるという前回と同様の結果となったのだが、シンクの口許には笑みが浮かんでいた。
「危ないと思ったら、タルタロスなんて捨ててしまいなさい」
思い出すのは青い軍服を着た他国の軍人の胡散臭そうな笑顔だ。その後ろには自分と同じ顔をした緑の髪の少年と、赤い髪の少年、鮮血の名を持つ同僚、守護役の少女、ヴァン(髭)の妹、キムラスカの王女、青色の聖獣。かつての敵は今、空っぽの自分を埋めてくれる大切な仲間だった。伯爵の肩書きを持つ使用人の姿をシンクが思い出さなかったのは仲間扱いしていなからではなく、タルタロスで彼らと別れた時ガイがそこにいなかったからである。忘れられていたわけではない、だろう。自身のオリジナルを思い出さないようにしているのはシンクの最後の意地に違いない。
遠ざかるシンクたちの姿を見つめながら敵艦を手に入れたことに満足気なリグレットは、実はこうなる可能性も考慮されていたなんてことは、欠片も思っていないことだろう。
「この艦(ふね)はおかしいぞ」
タルタロス内をざっと見回ってきたラルゴは、首を傾げながら船橋(ブリッジ)に戻ってきた。
艦内に人のいる気配はしなかったが、確実とはいえない。確認できない場所が多すぎたのである。通路と自分たちが最初にいた船底以外の場所は施錠されていたのだ。一般兵用の船室などは力尽くで扉を開けられないこともなかったが、すべての扉を開けるには時間も労力も足りなかったため、ラルゴは途中で諦めて戻ってきたのである。
逃げ遅れた人間がいたとしてもリグレットは構わなかった。
船橋に残された手書きの操縦マニュアルの存在さえも渡りに船で片付けたようである。
「私たちだけでも動かすことはできそうだな。調度いい。これを使わせてもらうとしよう」
進むことと曲がることと止まることしかできなかったが、人の足で移動するよりは格段に早い。余計な所を弄ると全機能が停止するとあったが、自分たちは戦闘をするために艦を動かしているわけではないので問題はない、と。
リグレットは焦っていた。
自分はまだヴァンの命令を一つとして果たせていないのだ。導師を奪い返し―――誘拐だと騒いでいたのはモースだけだったので、奪還という表現が正しいかどうかは疑問である―――近くのセフィロトのダアト式封咒を解呪してくること。それがヴァンから受けた密命だった。一刻も早く導師に追い付く必要があるのだ。せっかく奪った敵艦を利用しない理由などないではないか。
ヴァンに見限られること、それ以上に恐れることなどリグレットにはなかった。
「これは何だ」
リグレットが眺めていた紙を取り上げたラルゴがそれに目を通しながら尋ねる。
「死霊使いがシンクのために書いた物のようだ」
それは確かにその通りだったのだが、そんなものがここに残されていることを不思議には思わないのだろうか? いやリグレットは思わなかったのだ。かつては預言に、今はヴァンに自分の行動を委ねている女には物事の裏を読む能力が欠如していた。そして女のヒステリーには逆らわないことにしている―――それはとても正しい選択であるが、往々にして取り返しの付かない結果をもたらすものである―――男もそれは同様だった。
無事タルタロスを脱出したシンクとアリエッタと整備士の三人は上空から遠ざかるタルタロスを眺めていた。空を飛ぶ魔物に運ばれるのは人生で二回目という整備士は今にも卒倒しそうである。このまま魔物での移動は酷というものだろう。
アリエッタたちと別れたシンクはリグレットとラルゴに対しダアトが出した結論を確認するために一旦帰国することにした。もちろん騙された(ことになっている)二人の部下の処遇が心配だったということもある。彼らを無罪にすることができれば、神託の盾(オラクル)騎士団の一般兵を掌握できたといっても過言ではないのだ。それは今後の計画をスムーズに運ぶためにも必要なことだった。
一方地上を駆ける魔物に乗り換えた―――地上に降りたからといって整備士の恐怖心が薄れたかどうかはわからなかったが―――アリエッタは整備士を安全な場所に送り届けた後、ルークたち一行を追いかけフーブラス川の少し手前で合流した。
オドオドとタルタロスを奪われたことを報告するアリエッタに対するジェイドの態度はあっけらかんとしたものである。
「構いませんよ。艦の現在地はマルクト軍が追尾していますし、彼らに使用できるのは走行機能ぐらいですから」
「誰かに追跡させているのか?」
危ないのではないか、とルークは問う。それに対するジェイドの答えはルークには予想外のものだった。
一定時間ごとに第七音素を放出する仕掛けが施されているというのだ。この第七音素が激減した今の世界であれば少量の第七音素でも測定が可能だった。第七音素の放出はレプリカが乖離する現象を応用したものである。タルタロスには備品にカムフラージュした安定率の異なる第七音素のみで構成されたレプリカがいくつも配置してあった。それが順番に乖離して現在地を教えてくれるのである。第七音素を提供したのはティアの譜歌で召喚されたローレライだった。無機物であるとはいえレプリカの乖離現象を利用するような装置の制作をルークに頼むことはできなかったのだ。
タルタロスに組み込まれた追尾機能のことをルークがどこまで理解できたかは不明だったが、危険な任務についている人間がいないと知って安堵しているのはその表情から見て取れた。
「それよりも、よい所にきてくれました」
ジェイドはアリエッタが魔物を伴ってこの場に現れたことをとても喜んでいた。
馬車による移動にしたためここに辿り着くまでの時間を大幅に短縮することができたが、その所為でフーブラス川の水嵩はかつてルークたちが歩いて渡った時よりも随分と高かったのだ。橋も流されていたし、浅瀬を探して渡ることも難しそうだったのである。これが今回の計画で初めての誤算といえばそうなのかもしれない。もちろんそれは計画に支障を来たすようなものではなかったが。水が引くまで川岸でキャンプするしかないだろうか、そんなことを考えていたところへアリエッタが来たのである。それはまさしく渡りに船だった。
ここはアリエッタの魔物(お友だち)が活躍する場面である。
もともとセントビナーで借りた兵による護衛はカイツールの砦までで、国境を越えたあとはキムラスカ側に護衛してもらうつもりでいたのだ。少々早いが馬車と騎兵部隊にはセントビナー戻るように指示をする。
ルークは念願の魔物への騎乗が叶って嬉しそうだった。
川を渡った後は徒歩で国境の砦カイツールへ向かうだけである。
アリエッタとそのお友だちも護衛のため同行することになった。
「なんだかピクニックみたいですね」
「そうだな」
実年齢二歳と七歳、二度目であることを考慮して二倍したとしてもまだまだ子供に分類される二人の会話に、もう少し緊張感を持って欲しいなんて野暮を言うモノはいなかった。