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地面に厚手の布を敷いてお茶会をしているのは、ナタリアと二人のイオン―――被験者(オリジナル)とレプリカのイオン―――だった。テーブルと椅子は持ってこられなかったのだと、ナタリアは実に残念そうに語った。給仕をしているのはアリエッタである。伊達や酔狂で導師守護役をやっていたわけではないのだろう。その手付きは慣れたものだった。
それをちょっと離れたところから眺めているシンクの手にも、同じ意匠のティーカップがあった。そんなところで立って飲んでいるのなら、皆の輪に加わればいいのと思わないでもないが、それがシンクの最後の砦なのだろう。
ジェイドはアルビオールの二人の操縦士(パイロット)相手に地図を広げて、なにやら指示をしている。
漆黒の翼の三人とアスラン、ジョゼットがそれを一歩後ろから覗き込んでいた。
将軍職にある二人が現場を放棄してもいいのだろうかと思わないでもないが、アクゼリュスに不法侵入していた盗掘者たちをマルクト本国に引き渡した後、それぞれの国に戻る前にアルビオール3号機で迎えにきたナタリアに拉致されてしまったのである。各隊の副官以下すべての隊員が笑顔で二人を送り出したのは、彼らの恋を応援したいと思っていたからだろうか。
「ナタリア。よかった。無事だったんだな」
ナタリアたちの姿を見つけたルークが駆けてくる。
「まぁ。それはわたくしの台詞ですわ」
「バチカルは・・・・・・、戦争は・・・・・・、母上や屋敷のみんな、それから・・・・・・」
「落ち着いてくださいませ、ルーク。そんなに一度に言われても答えられませんわ」
ルークの両手はナタリアの両肩を掴んでいる。唇が触れ合いそうなぐらい顔が近い。追いついたアッシュはそれを見て、ルークとナタリアを慌てて引き離す。誰に対してどんな思いがあったのかということはアッシュの名誉のために伏せておくとしよう。
「あ、うん。ごめん」
項垂れたルークの頭をぐしゃりと掻き混ぜて落ち着かせると、「それで」とナタリアに先を促すのはアッシュの役目だ。
ルークたちがバチカルを発ってからナタリアがバチカルを飛び出すまでの経緯が、ナタリアの口から語られる。それに被験者のイオンが補足を加え、バチカルの様子はだいたい把握することができた。
「後は母上に任せておけば大丈夫なはずだ。ナタリアも良くがんばったな」
知っていたこととは言え、インゴベルトに拒絶されるのは辛かったことだろう。
アッシュが労えば、今度はルークがナタリアを慰める。
「伯父上も今は突然のことで混乱しているだけだって。落ち着けば元のナタリアのことが大好きな父親に戻るに決まってるって」
よく似た、しかしまったく違う二人のステレオ放送に、ナタリアは「大丈夫ですわ」と笑ってみせる。この二人が共にいてくれるのであれば父親なんていらないと、強がりではなく本気で思うナタリアだった。真に憐れなのは、娘に見限られたかもしれない国王の方だろう。
「モースに自分で考える頭がなくて助かりましたわ」
一言発する度に自分の首を絞めるモースは見ていて滑稽でしたわ、とナタリアは笑う。
「預言である」以外の言葉を知らない彼にナタリアを排除することなど土台無理なことだったのだ。
「今年の誕生日に詠まれた預言に『王家の血を持っていないことが発覚し、その罪で裁かれる』とあるとでも言えば、預言に沿った形で姫を排除することもできたかもしれないのにね」
クスクスと楽しそうな笑い声と共にキムラスカ王族たちの会話に無遠慮に口を挟んできたのは、被験者イオンだった。
ナタリアは―――現在オールドラントに住まうすべての人間もそうだったが―――ここ数年誕生日に預言を詠むということを行っていないので、そんな預言が存在するということ自体が既に苦しい言い訳であるが、まぁこれならばモースの言い分が通る可能性もあっただろう。預言信望者であるインゴベルトならばその可能性は数倍に跳ね上がる。
「あの男は良くも悪くも預言信望者だからね。預言を捏造するなんて考えも付かないんじゃないかな。でも、もしそう言われていたらどうするつもりだったんだい? 姫は」
何年も前に預言を捏造することを思いつき実行した元導師―――現在は漆黒の翼の影のボスだろうか―――は意地の悪そうな笑みを浮かべて問う。
試されているのだろう、とナタリアは思う。これは受けて立たないわけにはいかなかった。
「わたくしに預言を詠んでいただいたという記憶はないのですが」という前置きは王女の預言を無断で詠むことができる者はいない。つまりそんな預言は存在しないと言っているのと同じである。
「証拠の譜石を求めましょうか。その預言を詠んだという預言士(スコアラー)を連れてくるように言うのもよいですわね。そんなものが存在するのでしたら、ですが」
二の矢をあっさり跳ね返したナタリアの姿に、王家の血を引いていないという理由で排斥するには勿体無さ過ぎると思う被験者イオンだった。キムラスカが要らないというのなら、ダアトで貰い受けようかと考え、自分がもうローレライ教団の導師ではなかったことを思い出す。今の生活を気に入ってはいたが、ダアトの情けない姿を目の当たりにするたびに自分だったらと考えてしまうあたり、被験者イオンの本質は今も導師のままなのだろう。すべてが終わった時、彼が導師としてダアトに戻るのか否か。その答えが出るのはもう時間の問題だった。
そんな事よりも、と被験者イオンを押しのけたナタリアは、ペタペタとルークの身体を撫で回す。淑女がする行動ではないと咎めるモノはいなかった。当事者二人を除くと、微笑ましく見守るモノ数人、羨ましく思うモノ多数、己以外が触れることを厭うモノ一名。その一名にとって唯一排除できない相手がナタリアだった―――いやここにいない人間も含めるのであれば、彼が制止できない人間がもう一人いることはいるのだが―――から、ナタリアの行動はエスカレートする一方である。
「どこも、何ともありませんの? 障気は無事中和できたようですけど、貴方方に何かあったら元も子もありませんのよ」
「大丈夫だって。ちょっと疲れたけど、もう何ともないし」
「乖離しかけた奴が何を言ってやがる」
ゴツンとアッシュの拳がルークの脳天に落とされる。
「痛そうな音でしたわね」とルークの頭を心配するよりも、ナタリアにとっては直前のアッシュの台詞の方が大問題だった。
「どういうことですの」と問い詰めようとしたナタリアは、涙目でアッシュを睨みつけるルークを目の当たりにし、二の句が出なかった。
「今は大丈夫なんだから、別にいいだろう。それにアッシュだって・・・・・・」
「そうね。本当に危なかったのは貴方の方だったと思うのだけど」
ルークの瞳を濡らす涙の理由が頭の痛みではないことを知る者は、その原因であるアッシュを容赦するつもりなどまったくなかった。塔を降りる間も散々聞かされた苦言が再び繰り返される。
障気の中和で超振動を使いすぎたルークは確かに乖離しかけていた。掌が透けて見える恐怖はルークを動揺させたが、かつての経験から今すぐ消えてしまうというわけではないこともわかっていたので、落ち着きを取り戻すのも早かった。
それよりも、それを見て慌てたのはアッシュの方だった。繋いだ手をそのまま引き寄せて、空いている方の腕で抱きしめる。
アッシュの突然の行動にルークは狼狽し、他の者は硬直した。
それはどれぐらいの時間だったのだろうか。
そう長くはない時間が経過し、アッシュの頭がズルズルとルークの胸をすべり落ちていく。
青白い顔、閉ざされた瞼がルークのトラウマを呼び起こす。
「あ・・・あぁ、アッシュ。アッシュ。アッシュ・・・・・・」
ルークの悲痛な叫びに、硬直の解けた仲間たちが駆け寄ってくる。しかしルークの説明はまったく要領を得なくて、もう一人の当事者であるアッシュはルークの太腿を枕にして固く目を閉じていた。自分の持っている第七音素のほとんどすべてをルークに渡し、その所為でアッシュは倒れてしまったのだ。被験者(オリジナル)であるアッシュは第七音素の大量消費が死に直結してはいなかったが、今のルークに冷静な対処などまったくもって無理な話である。
仲間たちは受け取ったばかりの音素を再びアッシュに渡そうとするルークを慌てて引き離す。
「ティア」
アッシュに抱きつこうとするルークを羽交い絞めにしたガイが叫ぶ。ちなみに意識を取り戻したアッシュがその状況を見て、ガイを追いかけることになるのはもうお約束である。
「任せて」
ティアの詠う大譜歌が第七音素を集め、優しい光がアッシュを包む。
「愚かだとは思っていたが、ここまでだといっそ清々しいな」
その言葉を最後に光は消え、ローレライの声は聞こえなくなった。
「あの方に感謝しなければなりませんわね。それから、アッシュ。ルークを泣かせるなんて・・・・・・。次はわたくしも許しませんわよ」
ガイ・ティア・アニスの三人にこってり絞られたようなので、今回は見逃してあげますわ、とナタリアは慈愛の笑みを浮かべる。その笑顔が叱責されるよりも恐ろしいと感じるのはアッシュの気のせいではないだろう。
「それで、あの方は・・・・・・消えてしまいましたか?」
ジェイドにしては珍しく歯切れが悪かった。そうなる可能性も考えた上であえてローレライを利用することにした。覚悟はできていたはずだ。それでも罪悪感はあった。
―――我を勝手に消すではない。
声はアッシュとルークの頭の中のみに響いた。
人型を取ることも、声を直接伝えることもできないぐらいに衰弱していたが、意識が消滅したわけではない。しばらくは失った第七音素を取り戻すことに専念させて欲しいと、ローレライは二人を通して仲間たちに伝える。
「第七音素を十分に補充できない可能性があるから無茶はするなってさ」
主にルークに向けられた言葉だろうな、と思っているアッシュが―――ルークのことに関してのみ、との注釈は付くが―――実は一番無茶をする傾向にあることはレムの塔の上で証明されたばかりである。しかし自覚はないのだろう。自身の予想に反して全員の視線を一身に集めたアッシュは怪訝な顔をしていた。
「戦闘中の超振動の使用及び治癒術の使用は禁止します。よろしいですね、二人共」
「何で俺たちだけ?」
ジェイドに改めて念を押されたルークは、超振動のことは仕方がないとしても、治癒術はティアやナタリアも使えるのにと、首を捻る。
「彼女たちは貴方方と違って無茶はしないでしょう」
ナタリアが、当然ですわと微笑む。
「ですが、回復が必要な場合はどうしますの?」
向かう所敵無しのパーティーだったが、何があるかわからないのが戦闘である。
「心配には及びませんよ。こういうこともあろうかと準備はしてあります」
各自好きなだけ持つようにと渡された物は青い小さなボトルだった。初めて見る薬品に用途を考えるが、嫌な想像しか浮かんでこないのはどうなのだろうか。うっかり顔に出してしまったルークが代表して頭から薬品を被る破目になったのは、たまたまなのか、ジェイドに何らかの意図があってのことなのか。
ベタベタすると言いながら顔を拭うルークは自身の身体に起こった変化に気付いていないようである。
「何も・・・・・・」
「何も、ないはずがないでしょ。もっと自分の身体を注意して見てみなさい」
改めて見直してみると、治療する必要もないと放っておいた小さな傷が消えており、体力も回復していた。
「戦闘不能を含む全状態異常解除及びHP・TPを全回復させます。ちなみに飲んでも同様の効果がありますから、戦闘不能でなければ経口摂取の方が服も汚れなくていいでしょう」
問答無用で頭から浴びた自分は何だったのか。
抗議する前に着替えが先だ、とアッシュによってアルビオールに追いやられたルークは、ベルセルクの服装に着替えて戻ってきた。用意されていた着替えがベルセルクと子爵服だったのは誰の差し金なのか。腹を出して歩くな、とルークに注意する人物は一人や二人じゃなかったので、ジェイドの行動も含めて計画的なものだった可能性は十分にあった。
「万能薬だな。ジェイドが作ったのか」
それは第七音素の枯渇を見越してマルクト軍で研究開発されたものだった。かつての世界からジェイドが持ち込んだ知識が大いに役立ったようである。
ジェイドによってエリクシールと名付けられたそれは、アップルグミの50倍程の制作費が必要とのことで、店頭価格になるとどれ程の金額が付くことやら。ツインテールの少女の目がガルドになっていることは見ないふりをした方がいいだろう。
もちろんジェイドが用意していた回復アイテムはエリクシールだけではなかった。グミやボトルも大量にある。マルクト帝国の国家予算を使って買い占めたものらしいが、マルクト帝国はそれでいいのだろうか。
あれもこれもと道具袋が破けそうになるぐらい詰めているがルークで、基本価格の高い物からこちらも道具袋が破けそうなぐらい詰めているのがアニスである。
「欲張りすぎだ」
アッシュはルークの袋を取り上げると、勝手に三分の一ぐらいに減らしてしまう。
「アッシュの分なのに」と恨めしそうにアッシュを睨むルークと「おまえの分は俺が持ったから心配するな」と言い切るアッシュである。自分の道具袋に相手のためのアイテムを詰め直す二人はその行動が無意味であることをまだ知らされていなかった。そして唯一それを知っている人物は今言うと面倒なことになりそうですねと、沈黙を守っていた。
「はいはいはい。いちゃつくのもその辺にしてくださいね。あまり時間もありませんので、そういうことは暇になったらやってください」
ジェイドのこの台詞は後にアッシュによって免罪符として利用され、皆から責められることになるのだが、そのことは「見通す人」の称号を持っている人物でさえ見通すことのできなかった未来の話である。
外殻大地降下前に障気の中和ができるのだったら、アクゼリュスを降下させる前でもよかったのではないか。魔界にタルタロスやアルビオールを持ち込むためにアクゼリュスの崩壊が必須だったとしても、先に障気を中和しておけばティアが障気障害で苦しむこともなかったのではないか。
ルークの今更な疑問に、本当に賢くなりましたねぇ~とジェイドは微笑ましく思うと同時に、これはこれで面倒ですね、と思わなくもなかった。しかし今のルークは自身が納得しないことには次に進むことをよしとはしないだろう。
「そうですね。ユリアシティが我々に協力してくれるのであればそれも可能だったのですが・・・・・・」
現在のユリアシティではまず無理なことだった。ティアがいるのでこっそり忍び込むことは可能だったが、障気の中和を邪魔される可能性は大きい。だからといって、ユリアシティ以外の場所に移動しようと思ってもその手段がなかった。
「わたしなら大丈夫よ。シュウ医師の薬も効いているし、これ以上障気を取り込むこともないのだから、心配はいらないわ」
ユリアシティに残り祖父や住人たちの意識改革をするよりも、外殻大地に出て仲間たちに会うことや兄を見張ることを優先したのはティア自身だ。ジェイドに対して文句を言う筋合いではない。この話はもうおしまい、とティアに笑顔で言われてしまえばルークも黙るしかなかった。
「それでは皆さんは先にアルビオールに乗っていてください。私はタルタロスを沈めてきますので」
「一人で行くのか?」
「いいえ、行くのはタルタロスだけですからご心配には及びませんよ」
タルタロスはどこまで万能になったのだろうか? 地核の振動数の測定も、それを打ち消すための振動を発生させる装置の作動も自動で行うようにプログラミングされているのだという。タルタロスの装甲も前回より丈夫にしてあるので地核の揺れが多少変化したところで物ともしないそうだ。
前回の作戦がいかに行き当たりばったりだったかということを改めて聞かされ、震え上がった者も多いだろう。地核の揺れがずっと同じだという保証はどこにもないのだ。地殻の振動がもし途中で変化していたとしたら、あるいは何らかの理由で振動が停止したとしたら、タルタロス自身が大地を液状化させる原因となったかもしれなかったのだ。
「終わりよければすべてよし、と言うではありませんか」
地核の揺れが激しくなってタルタロスが壊れたのと、プラネットストームを停止させて地核振動が停止したのがほぼ同じタイミングだったのは僥倖だった。
「いえいえ。プレネットストームが活性化してタルタロスでは地核の振動が押さえ切れないと判断し、プラネットストームを停止させることにしたのですから、ある意味必然だったのですよ」
プラネットストームの停止はエルドラントの防御壁を消すためだったような気がするが、それこそ終わったことに関してここで議論しても意味はなかった。それよりも今回はあらゆる可能性に対処できるだけの準備が既にできているということの方が重要である。
そんな話をしている間にもタルタロスは地平へとその姿を消していた。
先にと言われていたにも拘らず、結局全員でタルタロスを見送ることになってしまったが、それでよかったのだろう。タルタロスも大事な仲間だ、という認識は音機関好きなガイだけが抱く思いではなかった。
「まずはシュレーの丘へ向かいます」
ジェイドの声を切欠にし、アルビオールは空を翔る。久しぶりに見る外殻大地の空は青く澄み渡っていた。
タルタロスはユリアシティではなく、キュビ半島に到着していた。
タルタロスの窓から見る魔界(クリフォト)の風景は場所を特定できるようなものではなく、色々改造しまくった今のタルタロスはジェイド一人で操縦可能であったため、自分たちが西ではなく南東に向かっているとは思っていなかったのだ。船室で思い思いに寛いでいたため、かつてよりも時間がかかっていることに気付かなかったようである。
ジェイドを除く面々はてっきりユリアシティに向かっていると思っていたため、「つきましたよ~」とのジェイドの声で外に出てみて吃驚する。
紫色の空にそびえる純白の塔。
「なんで、レムの塔なんだ?」
それに対する答えを持っているのはただ一人ジェイドだけだったが、彼の説明を惜しむ癖は健在である。
「みなさ~ん。お仕事ですよ。頂上まで行って障気を中和してきてください」
してきてください、って自分は行かないつもりなのだろうか?
「年寄りにはこれを昇るのは少々きついもので」
それで、本音は?
「私はタルタロスの最終確認をしなければなりませんので、障気の中和は皆さんだけでお願いします」
四方八方から冷たい目で見つめられて、流石のジェイドも本当のことを語らない訳にはいかなかったようである。
「最初っからそう言えっつーの。行こうぜ、みんな」
久しぶりのダンジョンにルークは燃えていた。ここなら出てくるのは魔物だけだろうし、人目を気にして要人として守られている必要もないし、これまでの経験でこのパーティーは専用の回復役を決めなくても大丈夫だということは証明されているので、回復役を押し付けられることもないだろうし、戦闘に参加できない理由はないはずだと思っていた。前線に立つ気満々でいたが、果たしてその希望は叶うのだろうか? アッシュが一緒にいる限り不可能な気がしないでもないが、ルークはその可能性にまったく気付いていないようである。
一人塔に向かって駆け出したルークは、最初の一歩を踏み出した瞬間に燕尾を掴まれてたたらを踏んだ。
「何するんだよ」
出端を挫かれて少々不満な様子であるが、パーティーの規律を乱して一人先走った自覚はあるのか、恨みがましい視線をアッシュに向けるだけでおとなしくその左隣に戻った。
「そう焦るな、って」
癇癪を起こした子供をなだめるように、ポンポンとガイがルークの頭を撫でる。そのことでガイがアッシュに睨まれるのはもうお約束だった。
「おい、眼鏡。説明しろ」
「おや? わかりませんでしたか?」
「塔の天辺で障気を超振動で中和すればいいんだろう?」
「ルークは賢いですね」
ジェイドに誉められたと思いルークはご満悦なようである。ご機嫌なところ非常に言いにくいのだが、ジェイドは馬鹿な子ほど可愛いといった心境だろうなぁ~と思うガイだった。賢明なことに口には出しはしなかったが、見渡せばイオン以外皆似たり寄ったりの感想を抱いているように見える。それを微笑ましいと思うか、不甲斐無いと思うかはそれぞれのようではあるが、確実に後者の思いを抱いているアッシュが小さな舌打ちを鳴らす。怒鳴らなくなったことを評価するべきだろうか。
「ったく、第七音素はどうするつもりだ」
「え、あ、そうか」
塔の上には一万のレプリカがいる、なんてことは絶対にない。それに第七音素を集めるためのローレライの剣もなかった。
「中和してきてください」「わかりました」と簡単にはいかないこと漸く気付いたルークだった。しかしジェイドができもしないことをやれとは言わないこともわかっている。行けばどうにかなるのではないかとルークは考えるが、アッシュの方はそういうわけにはいかなかった。
「おいっ」
「時間も惜しいので説明は省かせていただきたかったのですがねぇ」。
ただ面倒だっただけだろう、とガイは思う。しかし今回は説明役を代われるだけの知識がガイにはなかった。
「仕方がないですねぇ~。一旦艦内に戻りますか?」
「時間がねぇんだろ。ここでやれ」
「年寄りにこの障気はきついんですけどねぇ~」
タルタロスの中だからといって障気が防げるわけではないから、気分の問題でしかない。
「譜歌を詠いましょうか」
「旦那は本気で言ってるわけじゃないんだし、無駄な体力は使わない方がいいじゃないかな」
ティアの提案をガイがやんわりと否定する。ジェイドとは視線で「冗談を本気で取るやつらばかりなんだから、いい加減にしろよな」「なんのことでしょう」なんて会話を交わしていたが、そのことに気付けるような聡いモノがいなかったことはガイにとって幸いだった。こんなことでからかわれている暇はなかったし、何より精神衛生上非情によろしくない。今はそっとしておいてほしいガイだった。
まずは障気の中和が今このタイミングである理由が語られる。
先に障気を中和してしまえば、ユリア式封咒を解呪する度にティアが障気に犯されることはない、と。
ジェイドの説明はティアよりもルークを安堵させた。
ティアが「覚悟はできています」と言う度にルークが哀しそうな顔をするのがイヤだった。ティアの負担が減ることはもちろん、仲間たちは二つの、いやかつてイオンが取った行動も回避できるのだから三つの意味でほっと胸を撫で下ろす。
「それで第七音素はどうするんだ」
「でっかい塊があるではありませんか」
ニヤニヤと、それは悪巧みが成功した子供のようで。自ら年寄りを名乗るのであればその表情は止めてくれよな、とガイは思う。うっかりジェイドの没年齢プラス七年を計算したりしたものだから、ジェイドの鋭い視線がガイを射抜いた。
(待て待て待て。俺、声に出してたか? 出してないよな。きっとジェイドの読心術だ。フォンスロットが繋がっているなんてことはない、よな。たぶん・・・・・・)
ガイが自分の想像に恐怖していたころ。
「ガイ? どうしたんだ」
ルークは突然固まってしまったガイを心配そうに窺うが、ジェイドはそれを一刀両断。
「ガイは放っておきましょう」
憐れガイの存在は忘れ去られ、この一言で一行の興味は本題に戻る。
「でっかい塊―――え~と、フェレス島か? 故郷がなくなっちまうのって、アリエッタに悪くねぇか」
「確認したわけではありませんが、あれは第七音素のみで作られた物ではない可能性が高いので使えませんよ」
「え?」
レプリカはすべて第七音素のみで作られていると思っていたが、ジェイドに言わせるとそうではないらしい。精神崩壊陥ることのない生体レプリカを作るためには、音機関を利用し、第七音素のみ構成する必要があったが、その欠点を気にしないのであれば、譜術で作ることも、第七音素を使わずに作ることも可能なのだそうだ。フェレス島は生体ではないので精神崩壊は欠点にはならないだろう。そもそも島には精神はない、はずだ。なんらかしら別の欠陥はあるかもしれないが。
「マルクトでは第七音素の観測をしています。かつての技術でも貴方方がタタル渓谷に飛ばされた時の第七音素を確認することは可能でした。あれがいつ作られたのかはわかりませんが、かつても今も島一つ分の第七音素の消失を見逃すとは思えません」
それは第七音素を観測する任務に就いていた人物を信頼しているとも取れるが、見逃していたとしたら、観測の任に就いていた人に未来はないだろう。
それでは何を、と言った皆の視線を受けて、ジェイドはティアの名を呼ぶ。
「頂上に着いたら、大譜歌を詠ってください」
「ローレライ、か」
得心がいったという風情のアッシュに、ジェイドは大きく頷いてみせた。
「はい、あの方にお願いしようと思います」
誰が「お願い」するかなんてことは愚問である。ローレライはたとえ自身の存在を危うくするようなことであったとしても、ルークの願いを無下にするはずがないのだ。
今の会話もきっと聞いているだろうし、大譜歌を詠わなくても勝手に現れるだろう。それでも詠えというのはただの雰囲気作りか、あるいは場を整えるという意味もあるのだろうが、地核のローレライや大気中からも第七音素を集めることができれば、という淡い期待もあってのことだった。ローレライの剣の代わりをティアの譜歌に求めたのである。
ああ、そういう意味もあったのだ。ジェイドの頭脳に驚嘆と羨望の視線が集まる。しかし、中指でずれてもいない眼鏡を押し上げているジェイドの表情を窺い知ることはできない。
「半分以上は、あの方に対するご機嫌取りですけどね」
せっかく皆が感心しているのだからわざわざ言わなくてもいいのに、「ツンデレおじさん?」の称号は伊達ではないようだった。
「なぁジェイド。素朴なギモンってヤツなんだけど・・・・・・これってレムの塔の上じゃなきゃダメなのか?」
昇るのが面倒臭いなぁ~なんて、けっして思っているわけではない。むしろちょっと楽しみにしているのが、かつての経験から疑問に思ったことはその場で直ぐ聞くようになったルークに、今度は本気で感嘆するジェイドだった。
「おやおや、本当に貴方は賢くなりましたね」
それはルークの疑問が的確なものだったからではなく、彼の態度に対するものだったけれど。見習わなければいけませんね、とジェイドは思う。すべてを自分の胸の内に秘めていたから起こった悲劇は多い。今回は逆に喋りすぎて新たな悲劇を生み出しているかもしれなかったが、防げた悲劇もあるはずだ。そう信じたかった。
魔界(クリフォト)でなければいけない理由はあったが、レムの塔でなければいけない理由は確かにない。今の魔界にはユリアシティと今ルークたちがいるキュビ半島しか陸地はなく、消去法でここを選びましたと言われても納得はできる。しかしそれはレムの塔の頂上でなければならない理由ではなかった。
「この星の隅々まで力を伝えなければなりませんからね。高い場所で行う方が効率がいいのですよ。それに―――」
それに、何なのだろうか。ジェイドは思わせぶりにアッシュとルークと見遣る。
「思い入れのある場所というのは、実力以上の力を出させてくれるものです」
初めて共同作業をした思い出の地ということで流されたのはどちらだろうか。いや初めては外郭大地降下作業の時じゃなかったか、なんて突っ込んではいけない。
アッシュとルークが納得したところで、改めて出発となる。
ルークの望みが叶ったかどうかは、想像に任せすることにしよう。
タルタロスに残ったのは、ジェイドとイオン、それからノエルの三人だった。イオンの傍を離れることに難色を示したアニスだったが、「自分は行けないので、ルークたちに付いていってください」とイオンに言われてしまったので同行しないわけにはいかなかったのだ。
アニスに「イオン様のこと、ちゃんと守っていてくださいね」と言われたはずのジェイドだったが、ノエルにイオンを連れて一旦外殻大地に戻るように指示する。
「大丈夫だとは思いますが、イオン様の第七音素が巻き込まれないとは限りませんので」
障気の中和が行われる魔界よりも、外殻大地の方が安全だろう。ついでに地上にいる仲間の回収と、地上の様子を見てきて欲しいと、ジェイドは二人に外殻大地へ一旦戻るように言う。
「ジェイドですから、心配はいりませんよ」
一人残されることになるジェイドをノエルは心配するが、イオンはニコニコ笑ってそういい切った。
タルタロスは魔物の襲撃でどうこうなるような柔な作りはしていなかったし、それ以上にジェイドの戦闘能力が尋常ではないのだ。ノエルの心配はするだけ無駄というものである。それに自分たちが残ったところで足手まといになることはあっても、戦力になるとは思えなかったので、ノエルは素直にジェイドとイオンの言葉に従いアルビオールを発進させるのだった。
タルタロスの最終確認といっても、リグレットたちに艦を預けていた間と、落下の衝撃で壊れた箇所がないかをチェックするだけである。壊れていれば直す必要があるが、奪われることも落下も想定して準備してあったタルタロスに、ジェイドの手を煩わせるようなことは何一つなかった。
やることのなくなったジェイドは、紫に煙る魔界の空と、そこに聳(そび)える白い塔を見上げる。
今頃ルークたちは頂上に着いたころだろうか?
地上で暮らす人々は足元にある脅威を知らない。
大地がわずか十本―――既に二本失われているので、残りは八本である―――の柱で支えられた脆いものであることも、地面の下には障気が詰まっていることも知らずにのうのうと暮らしているのである。
世界を一度障気で覆ってみせることも、セントビナーの崩落も、人々に共通の危機感を持たせるためのパフォーマンスだったと考えれば、必要なことだったのかもしれない。知らないところで取り除かれて脅威に対し、人々が繰り返さないようにするのは骨が折れそうだった。
「そこまで詠んでいたのだとしたら、驚きですけどね」
ユリアの預言にあった「領土を失う」と言う部分が外殻大地の崩落を意味し、「新たな毒」が障気のことであったならば、であるが。かつても今も、それはもう確かめようのないことだった。
塔の頂上辺りの障気が濃くなっていくのをジェイドの譜術を施した目が捕らえる。やがてかつてと同じように一極集中した障気は爆発し、外殻大地によって閉じ込められていた障気は完全に消滅したのだった。
太陽の光の差さない魔界は相変わらず薄暗かったが、呼吸が楽になったと感じるのはけしてジェイドの気のせいではないだろう。
「やってくれましたね」
今は素直に賞賛の言葉を贈ろう。
問題はまだ山積しているが、せめて彼らが塔を降りてくるまでの間ぐらい、その業績を称えようではないか。彼らが誰かに感謝されたくてやっているわけではないと、知っていたけれども。
そこはかつてよりも更に閑散としていた。
人間どころか、動物や魔物の気配一つない。
街の入り口には無残に折られ打ち捨てられた立て看板が転がっていた。
『人体に有害なガスの発生を確認したので、街と鉱山への立ち入りを禁止する』
掠れた文字であったが、マルクト皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト九世の名を読み取ることもできる。
皇帝の名を記した看板を叩き折ったあげくの不法侵入。街にいた人間はそこにいたというだけで犯罪者として捕まる理由がある。街から移動させるのに本人の了承は必要ないだろう。
「誰もいないみたいだな」
街の中を見渡しガイが呟く。ひとっ走り街の中を回ってきた方がいいだろうか、と。
「先遣隊が退去させたようですよ」
風で飛ばされないようにと、街の入り口付近の民家の壁に張り付けられていた自分宛のメッセージを見つけたジェイドが、それを一読して答える。
海路でアクゼリュスに向かったジョゼット率いる白光騎士団と、街道の使用許可の報せを受けて駆けつけたマルクト軍は、無事この地で合流できたようである。マルクト軍の指揮官をアスラン・フリングスが務める以上、両国の軍人の間に諍いが起こるという心配は必要ないだろう。
デオ峠で出会わなかったことから、先遣隊は海路でグランコクマに向かったものと考えられる。救助された身とは言え全員が犯罪者だ。ここに残った場合とどちらが幸せだったのでしょうねぇ、とジェイドは思案する。この地にいた人々が全員無事救助されたことを素直に喜ぶルークの手前口に出すことはしなかったけれど。
「我々のやることはなさそうですし、帰りましょうか?」
ジェイドの提案にルークは首を傾げた。アクゼリュスに来たのは住民―――と思っているのはルークとイオンぐらいで、他の者たちからしてみれば不法侵入した犯罪者でしかない―――の救助だけが目的だったわけではないはずだ。
「そうね。無事使命を果たしたことを国に報告する必要もあるでしょうし」
「そうだな(ですよ~)」
ティアに続き、アッシュ・ガイ・アニスも「さぁ帰ろう。とっとと帰ろう」とルークの背を押す。イオンはニコニコしているだけだ。ミュウは丸い目を更に丸くしていた。
驚いているのは自分とミュウだけという状況に少々疎外感を感じるルークだった。
正しい反応をしているのはルークだ。彼らの最終目的は世界を救うことにあった、はずだ。ただ何のために世界を救うのかという部分で、ルークとそれ以外の認識は大きく違っていた。そしてその隔たりにルークとミュウだけが気付いていないため、時々出てしまう周囲の本音に二人――― 一人と一匹だけが取り残されてしまうのである。
「アクゼリュスを放っておくのかよ?」
「無人の街を訪問しても意味がありません。どうしても、とおっしゃるのでしたらアクゼリュスから避難した住民たちを慰問してやってください」
いやいやいや、だから親善大使としてならそれでいいのだろうけれど、今回アクゼリュスに来た本当の目的はそうじゃないだろ、と思っているのはルークだけだろうか?
もちろんそんなことはない。ただ、わかっていても皆目を背けたいだけなのだ。
坑道の奥へ向かうことを先延ばしにしたいのか、それとも何か切欠の訪れを待っているのか。
「それでは皆さん、親善大使殿のご要望でもありますし、キムラスカに戻る前にセントビナーに寄って行きましょうか」
「へ? グランコクマじゃないのか?」
グランコクマに連行されたのは不法侵入の罪で逮捕した犯罪者だ。キムラスカの王族と会わせてよい相手ではない。
アクゼリュスの元住民は数年前に街を出てマルクト国内の様々な場所で新しい生活を送っている。アクゼリュスから最も近いということもありセントビナーには今も多くの移民が暮らしていた。数年前にアクゼリュスを出た人々を今慰問することにどんな意味があるかはわからないが、それでルーク・フォン・ファブレをアクゼリュス救援の親善大使に任命した国に対する義理が果たせるのであればそれでいい。
国王たちがルークをアクゼリュスに送り込んだ本当の理由なんて百も承知だ。しかし彼らが真実を隠しアクゼリュス救援のための親善大使という建前を貫き通すのであれば、それを利用するのも悪くはない。アクゼリュスの住民―――といっても不法占拠の犯罪者である―――の救助は完了している。ルーク・フォン・ファブレはアクゼリュスの元住民が多く住むセントビナーを慰問した後、帰国。これで道理は通るだろう。
そうなった時のキムラスカ国王やモースの顔が見てみたいものですねぇ~、とジェイドは思う。実際にそれを試す機会(チャンス)がないことも理解していたけれども。
「それにしても、遅いですね」
ヴァンたちがここで仕掛けてこないはずはないのだ。てぐすね引いて待っているというのに、中々現れないヴァン―――自ら来るとは思っていないが―――に痺れを切らし、半ば本気でアクゼリュスを出て行こうとした時だった。
「グランツ響長ですね? 自分はハイマンであります」
声を掛けてきたのは教団服を着た男だった。あまりよく覚えてはいなかったが、それはかつてと同じ男のような気がした。あの時は深く考えなかったけれど、今思えば彼はモースの部下ではなく、自分をアクゼリュス崩壊に巻き込みたくなかった兄の部下だったのだろう、とティアは思う。そしてその推測は多分正しいのだろう。
リグレットとラルゴの他にもまだヴァンに心酔するものがいるのだろうか。それとも騙されているだけなのだろうか。たぶん後者だろう。もしかしたら神託の盾兵ではなく金で雇われただけの者である可能性だってある。
男はティアには第七譜石らしき物を発見したので確認のため共に来て欲しいと言い、ルークたちには坑道の奥で住民らしき影を見かけたので確認しに行った方がいいのではないかと言った。
確かにティアが最初にモースから受けた命令は第七譜石の探索であった。しかし今現在モースが最も優先している事はアクゼリュス消滅預言の成就である。そのためにティアを親善大使一行に同行させたのだ。今ルークの傍を離れることをモースが望むはずはないだろう。もちろんティアにモースの命令を遵守しなければならない理由はないが。
さてどうしたものかしら、とティアは仲間たちに目を向ける。
「罠だな」
「罠にきまってますよ」
「罠でしょうねぇ」
アッシュの言葉にルークが大きく頷き、アニスの横ではイオンが相変わらずニコニコしている。今回イオンは譜石の確認をティアに命じたりはしなかった。まぁ当然である。ジェイドは呆れたふうに両手を広げて首を竦め、その後ろで腕組みをしたガイが小刻みに頷いていた。
男の存在は彼らの眼中にはない。
一刻も早くティアを安全な場所に連れて行きたいのだろうが、ルークたち―――正しくはルークとイオンとミュウを除く者たちであるが―――の雰囲気に口を挟む根性が男にはなかった。
どうしますか? とジェイドが仲間たちを見遣る。
どうするも何も行くしかないのだけれど―――そう考えているモノがこのパーティー内に何人いるだろうか? 坑道の奥でいくら待っても来ないとも知らずルークとイオンを待ち続けるヴァンを想像し、口許に笑みを浮かべたモノは「行かない」という選択肢を胸に秘めたモノたちである。誰とは明言しないが・・・・・・。
それでも男の言葉に従うことにしたのは、騙されたふりをして騙し返すのも一興であると思ったからだった。
「ちょっと待て」
坑道に向かおうとしたルークの腕を取りアッシュがその耳に何かを囁く。回線を使わずに耳打ちなのは、男の存在を配慮したからではなく、傍にいるということを実感したかったからだろう。そのまま引きずるようにルークを連れて近くの朽ちかけた民家に消える。
「あまり彼をお待たせしてはかわいそうですよ。お二人とも早くしてくださいね」
かわいそうなど欠片も思っていないくせによく言うものである。男を出汁にしてはいるが、アッシュに対する嫌がらせなのはバレバレだった。アッシュが何をしようとしているのか、ジェイドには察しが付いているようである。それ以外の者たちは何のためにアッシュがルークを連れて行ったのかわかっていなかった。一番理解できていないのは連れ攫われたルークだったかもしれないが。
二人が戻ってきたのは数分後だった。
その姿を見た瞬間、家の中で何をしていたのかジェイド以外にもわかったのだろう。ティアは二人を凝視しそれから慌てて目を逸らす。アニスは両手を口に当て、どうやら必死に笑いを堪えているようである。ガイは何故か破顔していた。一体何がそんなに嬉しいのだろう。ミュウは珍しくご主人様に飛び付いたりしなかった。イオンだけはいつも通りニコニコしている。ジェイドは消える前と同じニヤニヤとした笑みを浮かべたままだ。
(さっきと何もかわっていないではないか? 何が面白いのだろう)
ただ一人、ティアを呼びに来た男だけが彼らが笑う理由がわからないらしく、首を傾げてその様子を眺めていた。
今までのやり取りは何だったのだろうか?
考えたところで答えの出ない問題に、男は先程見たばかりの親善大使一行の奇妙な行動については忘れることにした。忘れずに報告していたら結果は変わっていたかもしれないと思うのは、すべてが終わってからの話である。人はそれを後の祭、もしくは後悔先に立たずと言う。
「案内してください」
散々待たされ、無理やり見せられた奇行に悩まされ、任務遂行は無理かなぁ~と頭を抱えていたところだっただけに、ティアの言葉に男はほっと胸を撫で下ろした。
男にとって何より恐ろしいものは己の上司だった。「無理でした」などと言おうものならどんな目に遭わされることか。
ほんの数ヶ月前までは二千人程いた同僚も今は数えられる程度しか残っていない。大半の者は導師奪還の任務に失敗し処分されたと聞いた。あの任務の時自分は実働部隊に加わっていなかった。それ故処分は免れた。自分は幸運だったのだ、と男は思い込んでいた。奪還任務の真相と己の不運を男が知るのはもう少し未来(さき)の話である。
男に与えられた任務はティア・グランツを街の外に停泊させてある陸艦に連れてくることと、キムラスカ王国がアクゼリュスに遣わせた親善大使、ルーク・フォン・ファブレと導師イオンを坑道の奥へ向かわせることだった。
何故そんな事を上司は命じたのだろうか?
ティア・グランツがヴァン・グランツの妹と知り、前者の理由はわかったが、わからないのは後者である。それでも任務に疑問を持つのは自分の仕事ではない。男は言われたことを実行するだけだった。
男はティアの顔もルークの顔も知らなかった。
しかし街の入り口にいる数名の男女を見て誰が誰であるかは直ぐにわかった。いや名前がわからない者も未だいるがそれはさして重要なことではなかった。
ティア・グランツ―――ヴァン謡将の妹というから女性であることを疑う必要はない。一行の中に女は二人だった。マロンペーストの髪は謡将の髪や髭と同じ色だ。彼女が妹であると思って差し支えないだろう。
それに、もう一人の少女は服装から導師守護役(フォンマスターガーディアン)であることが窺える。
ルーク・フォン・ファブレ―――赤い髪に緑の瞳はキムラスカ王族の特徴である。その稀有な特徴を有した青年は一人しかいなかった。いや一人髪と瞳の色を確認できない人物がいたがその男が着ている服は教団の詠師服である。神託の盾(オラクル)兵であると考えるのが妥当だろう。よってその人物は対象から除外される。
導師イオン―――彼に関しては顔を知っているのだから間違えようがなかった。
残りはマルクト軍の青い軍服を着た男と、金髪の青年。何者であるのかまったくわからないのは金髪の青年だけであったが、目的の人物ではないということははっきりしているので、男にとっては青年の正体などどうでもよいことだった。
「一人で大丈夫ですか?」
導師が心配そうに声を掛ける。
「直ぐに追いつきます。先に行っていてください」
ティアは問題ないと笑って見せるが、導師の表情は変わらなかった。
ティアが心配で街の入り口から動こうとしない導師に痺れを切らしたのか、それとも別の理由があるのか赤い髪の青年が「アッシュ」と教団服の男に声を掛ける。その名前には聞き覚えがあった。特務師団師団長・鮮血のアッシュ。会ったことはなかったが噂ぐらいは聞いている。何故ここにと思ったが、同時に彼が導師付きであったことを思い出す。
仮面の男は大きく頷くとティアの傍に寄った。一人であることが心配ならば、誰かを付ければよい。彼はそう考えたのだろう。
導師付きが導師以外の言葉に従うことに導師は何も言わなかった。親善大使一行に同行した時点で導師といえども大使の決定に従う立場となる。部下の一人や二人貸し出すこともやむをえないというわけだ。もちろんティアの身を心配する導師にその提案は渡りに船だったということもあるのだろう。
そんなふうに男は考えた。実際はもっと複雑な事情や人間関係が関与しているのだが、もちろん男がそれに気付くはずがない。そこまで勘繰る必要も感じていなかった。
ティア・グランツを連れて来いと言われた。ルーク・フォン・ファブレと導師を坑道に向かわせろと言われた。それ以外の同行者の動向についての指示は受けていない。連れて来るなと言われていないのだから連れて行っても構わないだろう。
男に仮面の男の同行を拒否する理由はなかった。上司に言われた三人がおとなしく従ってくれるのであればそれでよかったのだ。
タルタロスの船室の一つで、リグレットはティアが来るのを待っていた。
第七譜石という餌でティアは釣れるだろうか? それは逆に罠だと言っているようなものではないだろうか? しかし罠だと気付けばティアはあえて嵌ってみようとするのではないだろうか? どちらにしても彼女はもう直ぐここにやってくる。リグレットは半ば確信していた。そしてその確信はあまり時を置かずに現実となる。たった一つの、しかし大きすぎる誤算と共に。
「ここに譜石が?」
訝しげなティアの声が鋼鉄の壁に反響する。
当然だろう。彼女はタルタロスがマルクトの陸艦であることも、その船をリグレットたちが奪って逃げたことも知っているのだ。
案内された先がタルタロスであるとわかった瞬間、導師たちの元に戻ってもおかしくはない―――その場合は力尽くでも連れて来るように命じてあった。
ティアがそうしなかったのは、彼女にとって預言の成就よりも兄の真意を知ることの方が重要であるからだろうか。
それがティアと対面する場所にタルタロスを選んだ理由の一つだった。ここに自分かあるいはヴァン本人がいると思えば、罠だとわかっていてもティアはやってくる。彼女はそういう娘だった。
「よく来たな。ティア」
リグレットの視線はティアよりもその後ろに控えたフードと仮面の男の方に釘付けとなった。何故ここにという思いと、理由などどうでもいい運命は自分達に味方しているようだという思い。彼女は迷わず後者を選んだ。それが激しく勘違いであると気付けるだけの冷静さを持ち合わせてはいなかったのだ。
「アッシュも一緒とは、好都合だな」
ヴァンはアッシュを計画実現のために失えない駒だと言っていた。身代わりのレプリカを作ったのも、アッシュの機嫌を取るためにある程度の自由を許していたのも、そのためだった。「少々好きにさせすぎたようだがな」とあのヴァンでさえアッシュの扱いには手を焼いていた。それでもそれを言った彼は笑っていた。アッシュが知ればその余裕はどこから来るのだ? と馬鹿にしただろう。しかしリグレットは余裕の表情を浮かべるヴァンに器の大きな男だと更に惚れ直したのだ。恋は盲目とはよく言ったものである。
「リグレット、し・・・ヴァンは何をしようとしているんだ? 世界を救うのではなかったのか」
アッシュには潔癖な所がある、とヴァンは言っていた。だから彼には計画の全貌を教えないのだ、と。アッシュはヴァンの理想に共感したとしてもその過程で犠牲となる者が出るとわかれば協力はしないだろう。
オリジナルの人間と大地の消滅をもって世界は救われる。
ヴァンの言葉に感銘を受けたリグレットであったが、それをそのまま伝えればアッシュが反発することを理解できる程度にアッシュをわかってもいた。あるいはリグレット自身の考えではなく、ヴァンから厳命されていたのかもしれなかったが。
計画にアッシュの力はなくてはならないものだ。今はまだすべてを伝えるべき時ではない。
口を噤むリグレットに痺れを切らしたのはティアだった。
「教官。私は貴方と共に行くために来たのではありません。貴方の真意を確かめるために来たのです」
「それは私の台詞だ。おまえはこの地に詠まれた預言を知っているのだろう。預言遵守はユリアシティの住人の使命だったな。おまえはそんなくだらない使命のためにあのレプリカと心中するつもりか? 閣下はそれを許しはしないだろう。ティア、私たちと共に来なさい」
「お断りします。兄の理想は、ユリアシティの存在と同じぐらいくだらないことだわ」
そこに兄を慕う妹はいなかった。侮蔑と悲しみそして憐れみに満ちた空色(セレストブルー)の瞳。何もかも見透かすかのような晴天の空。
飲まれる、と思った。飲み込まれる、と。
リグレットには十も年下の少女の瞳に怯える自分を認めることはできなかった。自然と口調が荒くなる。それこそが怯えていることを如実に現しているとも気付かずに。
「閣下の何を知っているというのだ」
「少なくとも貴方よりは。兄は憎しみに捕らわれ狂気に酔いしれているだけの愚か者だわ。素直に復讐だと認める潔さもない」
「復讐ではない。閣下は真に世界のことを思っておられるのだ」
リグレットは信じていた。復讐心―――それとも恋心だろうか―――がリグレットの目を曇らせる。真実が見えていないということに気付けぬほど彼女はヴァンを信じ込んでいた。
真実はティアの瞳の中にある。見たくないという思いと見なければならないという思い。自分から逸らすこともできず、沈黙が続く。
その静寂を破ったのは、教団支給のブーツが金属製の床を踏み鳴らす音だった。
「ティア」
男の右手がティアの剥き出しの肩に触れる。名前を呼ばれ、ティアの視線がリグレットから逸らされた。
リグレットはそっと詰めていた息を吐く。
(緊張していたとでもいうのか? この私が、こんな小娘に・・・・・・)
逸らされた視線が再びリグレットに戻って来ることはなかった。閉ざされた瞼。唇が歌を紡ぐ。
「譜歌だと。馬鹿な・・・」
いつか聞いた旋律。抗い難い眠気がリグレットを襲う。
第七音素の枯渇した世界で無力と化したはずの音律士(クルーナー)。しかしティアの歌声にはまだ世界に第七音素が満ちていたころの音律士たちか、あるいはそれ以上の力があった。
何故、と思う。しかしその答えを見つけるより先にリグレットは深い眠りに落ちていた。
リグレットが床に倒れこむ音を合図にティアの歌も終わりを迎える。
「わかってもらえるとは思っていなかったけど・・・・・・」
それでも悔しいのだろう。せめて夢の中ぐらい幸福であって欲しいと思いながら、ティアは倒れた拍子に乱れてしまったリグレットの髪を梳く。
「急ぎましょう。みんなが待っているわ」
立ち上がったティアはいつもの彼女だった。
ティアたちはリグレットと案内役の兵士から武器を取り上げ、タルタロスの牢に収容する。「また逃げられたらどうするの?」
今回ラルゴはいない。しかし丸腰の女一人とはいえリグレットは六神将の一人。今度も逃げられる可能性は充分にある。
「ジェイドからいいモノを預かってきたんだ」
その手には小さな箱が握られていた。タルタロス襲撃時にラルゴから奪った封印術(アンチフォンスロット)である。
譜銃を取り上げ、それ以外の護身用の懐剣などもティアが身体検査をして没収し、封印術をかけ、牢に入れたリグレットに、ティアはナイトメアを念入りに重ね掛けした。これだけの譜歌を聞かせておけばアクゼリュスの件の方が付くまで目覚めるとは思えなかったが、さらにティアは、ジェイドから教わったタルタロスの生命維持に必要な機能以外のすべてを停止するためのコードを打ち込んだ。これでタルタロスは動かすことどころか昇降口(ハッチ)一つ開けることさえできなくなる。アリエッタがリグレットたちと敵対する今、魔物に外壁を引き裂かせるという強硬手段に訴えることもできない。リグレットたちがタルタロスを自力で脱出することはほぼ百パーセント不可能だった。
「前の時はなんで使わなかったのかしら?」
封印術が発動する閃光を見ながらティアが首を傾げる。
その答えは合流後ジェイドの口から明らかになることだろう。
【この話内での特殊設定】
譜歌は第七音素がない世界では威力を発揮しない。(ホーリーソングやリザレクションで回復可能という状況回避のため。第七音素が枯渇した今の世界ではグミなど以外での回復が不可能ってことになっております。今後の展開にたぶん必要なので)
ルーク・アッシュ・ローレライは自らの意志で第七音素を分け与えることが可能。ただし身体の一部が接触している必要がある。
ティアが譜歌を発動できたのはそういう理由です。リグレットが知ることは一生ないと思うけれど。
【封印術(アンチフォンスロット)について】
タルタロス襲撃時に使用しなかったのは、一つしかなかったからです。一人が無事なら逃げ出すことは可能なので勿体無いから使用しなかったようです。今回はリグレットのみ(案内役の兵士は数に入っていません)だったので使用したようです。ラルゴもいた場合はどうするつもりだったのでしょう。
ラルゴはリグレットに「ティアの説得は私に任せてほしい」と言われ同席しなかったことを後悔していた。それと同時に安堵してもいた。
物陰からこっそり窺ったリグレットたちのやり取りは結局物別れに終わった。
そして聞こえてくる美しい旋律。抗い難い眠気。
このままこの場にいては共倒れである。
幸い術者の意識はリグレットに向いていて、今はまだ余剰のエネルギーがラルゴに影響を与えているに過ぎない。今ならこの譜歌から逃れることも可能だろう。
噛み締めた唇から鉄の味が口腔内に広がる。
しかしこの程度の痛みでは眠気を完全に振り払うことはできない。
ラルゴは転げ落ちるようにタルタロスから脱出すると、岩場の陰に隠れた。譜歌の影響がなくなったらリグレットを救出しに行くつもりだった。
ティアたちが出て行ったのを見届けたラルゴはタルタロスに戻ろうとしたが、昇降口(ハッチ)にはロックが掛かっていてどうあっても開きそうにない。
「仕方がない。リグレットは後回しだ」
ラルゴはヴァンと合流するために坑道へと走り出すのだった。