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タルタロスを奪ったリグレットとラルゴはことの顛末の報告と、これからの指示を仰ぐためヴァンを探していた。
ダアトにヴァンの姿はなく、バチカルに行ったきり消息を絶ったのであるならば、最初に確認すべきはそこだろうということで、タルタロスが目指した先はキムラスカ王国の首都バチカルだった。
タルタロスがマルクトの戦艦であることだとか、そのマルクトからタルタロスがリグレットとラルゴに奪われたとオールドラント中に通達されていることだとか、ダアトから二人に対する手配書が発行されていることだとか、彼らは考えもしなかったようである。
『危険なので捕らえようなどとは考えずに目撃情報を近くの憲兵に報告すること』
世界中に配布された手配書の内容は徹底されているようで、タルタロスの動きは手に取るようにわかった。
マルクトでの第七音素観測データも人々がもたらす目撃情報が正しいことを裏付けている。
預言を覆しオールドラントを存続させるために、かつてもタルタロスは重要な役割を担っていた。けっして失うことはできない存在なのである。もっともジェイドのやることなので、取り返せなかった場合の代案の一つや二つ用意してはいるだろう。それでもタルタロスを取り返した方が費用も労力も時間も短縮できることに違いはなかった。
これからの展開を予想し、今のタルタロスには様々な機能が既に取り付けてあるのだ。大地の液状化を止めるための振動発生装置は勿論、第七音素を用いた追跡機能、自動走行機能、そして外部からの遠隔操作ができるようにしてあることもその一つだった。ただし遠隔操作をするにはある程度タルタロスに近づく必要があったため、リグレットたちは捕まらずにバチカルに辿り着くことができたのである。
大胆にもバチカルの近くにタルタロスを停泊させたリグレットとラルゴは、自分たちが全世界規模で指名手配されているとも知らずバチカルへ足を踏み入れた。
その姿を見た瞬間、家や店の中に逃げ込む市民たち。
バチカルを守る兵士たちが遠巻きに包囲する中、報せを受けたモースがふくよかな身体を揺らしながら現れた。転がった方が早いのではないか、と思った者はさぞ多かったことだろう。
兵たちが強硬手段に出なかったのは、自分が説得を試みるからとモースが逮捕に待ったをかけていたからだった。
導師奪還を命じたのが自分であることが公になることをモースは恐れていた。
自分たちに対するバチカル市民の態度を訝しがりつつも、リグレットはモースにヴァンの所在を尋ねる。彼女にとってはそれが一番大切なことであり、それ以外はすべて些末なことだった。
「ヴァン謡将」とリグレットが口にした瞬間、モースの顔が怒りに歪む。ヴァンのこともモースにとっては頭の痛い問題だった。
嫌そうな顔を隠そうともせず、リグレットとラルゴに黙って付いて来るように命じる。自身の進退と教団の存亡に関わることだ。こんな往来でできる話ではない。
人払いを済ませたローレライ教団の教会に二人を連れ込んだモースは、ヴァンがバチカル城の地下牢に捕らえられていることや、リグレットとラルゴが指名手配されていることを彼女らに告げた。
その上で、ローレライ教団と神託の盾(オラクル)騎士団のために自決するよう命じる。
導師奪還を命じたのはモース自身であると言うのに、己の保身のためにすべての罪をリグレットとラルゴに着せようとするモース。当然二人はそれに反発した。しかしモースは二人が逆らうのであればヴァンに責任を取らせるだけだ、と言い放った。
「閣下が何をしたというのですか?」
色々していたし、しようとしていると思うのだけが、自分たちが正義であると信じて疑わないリグレットは、自信を持ってヴァンを庇う。
モースはヴァンの真意を測りかねていた。利害は一致していたと思っていた。少なくともレプリカイオンを創らせた時点での自分たちの目指す世界は同じものだったはずだ。世界が預言に預言通りの道を歩むためには預言を詠める導師(レプリカイオン)が必要であり、詠む力のない導師(オリジナルイオン)は要らないという考えで一致していたのではないか。それはモースの一方的な思い込みに過ぎなかったのだが、彼がその事実に気付くことはないだろう。
しかしモースという男はたとえ同志であったとしても自身の保身のための生贄にすることを躊躇うような人物ではなかった。
モースのそういうずるい性格を知っていたので、リグレットは自身のことよりもヴァンの身が心配になる。
現在ヴァンはナタリアとルークの失踪に関与している疑いでキムラスカ城に幽閉されていた。しかしモースはティアがヴァンの命を狙ったということの方を重要視していた。
ファブレ家の中庭で起きた出来事については、沈黙を守るヴァンに代わりシュザンヌやジョゼットの証言が取り上げられた。世論というか二人の失踪を知る者たちを自分たちの都合のよい方へ導くため、彼女たちの伝える情報の取捨選択に抜かりはなかった。
曰く、ナタリアと一緒にファブレ家を訪問していたティアはそこで思いがけず兄と再会。ヴァンが何をしようとしていたのかはわからない。しかしティアにとって許しがたい裏切り行為があったことは彼女の台詞から明白である。ヴァンを討とうとするティアにナタリアはそばにいた白光騎士の武器を奪い取って参戦。ナタリアの行動を止められなかったことを詫びるジョゼットに対し、愛娘の性格を知っているインゴベルトは、警備についていた騎士を不問にする代わりにナタリアが巻き込まれた経緯について沈黙を守るよう申し付けた。騎士の処分理由を明らかにするとナタリアのお転婆ぶりを公にしなければならない。王女らしからぬ行動はできれば秘密にしておきたいインゴベルトだった。もめる三人をルークが仲裁しようとして間に入ったところで超振動発動。シュザンヌはそれが超振動であるとは知らなかったが状況を聞いた王の側近の一人―――学者か何かだろうか―――が超振動であると推測した。世界から第七音素は消えつつあるが、第七音素譜術士が体内に溜め込んだ第七音素は使用しなければ潜在している。三人とも第七音素譜術士の素養を持っていたので、その体内の第七音素が干渉しあった結果ではないか、と。
モースにとって後半の話はどうでもいいことだった。重要なのはティアの行動と台詞である。
ヴァンとティアがユリアシティの出身であることを知るモースは、二人を預言(スコア)の監視者であると認識していた。監視者であるティアが同じく監視者であるヴァンを裏切り者と言ったということは、ヴァンが監視者にあるまじき行動、つまり預言に反する行いをしているのではないか、とモースは疑ったのである。ヴァンの部下であるリグレットとラルゴも当然疑惑の対象である。
三人とも処分してしまった方がいいだろうとモースが考えていることなど明らかだった。拒否すれば強硬手段に出るだろう。ここでモースの命令を無視して教会を出て行くことは簡単だったが、その所為でヴァンの警備が強化されては困るのである。
一晩時間が欲しいと言ってリグレットは教会の一室を借り受け、ラルゴと共に閉じこもったのである。
ヴァンが捕らえられている状態で二人は滅多なことはできないだろうとモースは高を括っていた。
「死ぬつもりか?」
「そんなわけがあるか。我らが死んで見せたところで、あの男が閣下を自由にするとは思えん。ならば我らの手で閣下をお助けすればよいだけのことだ」
ヴァンを脱獄させ、共に逃亡することを選んだリグレット。ラルゴは完全に巻き添えを食ったようなものであるが、彼にも自害と言う選択肢はなかったので特に拒否する理由はなかった。
翌朝、リグレットたちがヴァンを脱獄させたことを知ったモースは怒り心頭。三人とも世界規模で生死問わずの指名手配となった。生存時に支払われる報奨金の方が高額であるのが普通であるのだが、今回は生死に関わらず同額である。これにはできれば死体と対面したいというモースの思惑が大きく影響しているように思うのは気の所為ではないだろう。
シンクやダアトに戻った信託の盾兵たちの証言で、ダアトはタルタロス襲撃の黒幕をモースまたはヴァン、もしくは二人の共謀であると考えていた。しかしそれは限りなく黒に近い灰色といったところで、現在のところモースを拘束したりその地位や権力を剥奪したりするまでには至っていなかった。
モースとしては今のうちにすべての罪をヴァンたちに押し付けて処分―――できれば死人に口無しが望ましい―――してしまいたいと思っているので、持てる力すべてを駆使して自らの保身に躍起になっているところである。
奪還の命を下したことに関しては、ダアトを不在にしていたため導師がダアトから姿を消したことは出奔でも誘拐でもなく、導師の意志であり詠師たちも同意しているとは知らず、マルクト軍に誘拐されたものだと勘違いしてしまった。自分はけっして武力行使を命じてなどいない。などなどと苦しい弁明を述べた。苦しい、苦しすぎるぞモース。しかし嘘であると決め付けるには証拠が不足していた。
シュザンヌからヴァンたちが脱走し指名手配になったことを聞いたティアは、兄とリグレットの浅はか過ぎる行動に頭を抱えていた。ナタリアも己の実父に対して同様の思いを抱いているようである。
「いや~、予想以上に楽しませてくれますねぇ~」
ただ一人ジェイドだけが楽しそうである。
教団の不祥事に加え、キムラスカが捕らえた罪人をみすみす逃がしたモース。
かつてはキムラスカ国内、特に国王に対して絶大な影響力を持っていた教団ひいてはモースであったが、今回の件でそれはどの程度の落ち込みをみせただろうか。
現在モースは王と謁見中だというが、謁見の内容はかつてと同様にマルクトが戦争の準備をしているという話だろうか、それとも今回の教団の不祥事についてだろうか。
登城した一行は無事バチカルに帰還したことを報告するために国王への謁見を申し入れる。先客があるのであれば終わるまで待つ、と。謁見中に乱入しなかったので、ルークたちに王とモースの会談の内容を知る術はなかった。
二人の帰国と、イオンが同行しているという報せを聞いて色めき立ったのは国王よりもモースの方だった。マルクト皇帝の名代であるジェイドの存在はモースの眼中にはないようである。
ルークたちはほとんど待たされることなく王との対面が可能となった。
ナタリアとルークの帰国を手放しで喜ぶインゴベルトとモース。
特にモースは、自分たちの帰国にティアを初めとする神託の盾兵が尽力してくれたというナタリアの言葉に飛びついた。ナタリアはジェイドを初めとするマルクト方々にも世話になったと言ったが、モースにとってはマルクトの功績など興味のないことだったのでそこは耳には入っていないようである。
ティアのことを褒めちぎったあげく、ヴァンのことは残念だがティアとヴァンは関係ないとまで言い切ったのである。
こっそりガッツポーズのナタリアだった。
ティアを王族二人の失踪に関与した犯罪者にしたくはなかったので、失踪時のことを証言したであろうシュザンヌやファブレ家の人々の尽力に心の中で拍手喝采を贈った。後でお礼を言わなければ、と。
もっともティアは別に罪人でもかまわないと思っていた。かつては何もわからず同行したアクゼリュスであったが、今は「アクゼリュスに同行 = 死刑」ということが理解できている。今回も親善大使一行に同行するつもりであったので、肩書きは罪人だろうが監視者だろうがどちらでもよかったのだ。
「お父様からもカーティス大佐にお礼を。わたくしたちが無事にバチカルに帰ってこられたのは彼がいらしてくださったからですわ」
ナタリアにそう言われてしまっては、ピオニーの親書を受け取れないとは言えないインゴベルトである。
返事をしたためるのでしばらく城に滞在するよう勧めたが、ジェイドがそれに返事をする前に、シュザンヌがルークの世話になった礼をしたいのでファブレ家で持て成したいと申し出る。イオンとジェイドの希望もありバチカルにいる間の和平の使者たちの滞在先はファブレ家に決定した。
ここで謁見は終了となり、ナタリアと、モースに残るように言われたティアを残し一行はファブレ家へと移動することになったのだった。
インゴベルトやクリムゾンと対面し正体を知られることになっては困るアッシュは、一足先にファブレ家に帰宅していた。
謁見の様子はルークの目と耳を通して見聞きしていたので改めて確認する必要はないはずなのだが、「謁見の様子を報告しろ」とルークの自室に引き篭もる本当の理由は何なのか。
「ここで報告できない理由はないよな」
引き止めるガイの手は虚しく宙を舞う。
「あらあら、仲のよろしいこと」
二人を双子の兄弟のようだと認識しているシュザンヌは別として、アッシュの本音が見える残された者たち―――ガイを除く―――は生暖かい目で二人を見送った。
アッシュの独占欲はダアトとバチカルに離れていなくてもいいと理解した瞬間、「我慢」という言葉を忘れてしまったようである。
「お腹がすけば出てくるんじゃないですか」
「あんたなぁ~」
ジェイドのルークに関する認識はどうなっているのか?
強くは否定できないガイだった。
アッシュルークに対する独占欲は食欲に勝っているのだが、ルークの腹の虫にアッシュが折れるのも常のことだったので、食事の時間になれば出てくるという認識は正しい。ちなみにアッシュの腹の虫は独占欲の前では気力で沈黙を守っていた。欲望の前では意外な器用さを発揮するアッシュだった。
アッシュの独占欲が満たされたからなのか、それともルークの腹の虫が騒ぎ出したからなのか、食事の準備が調ったというメイドの呼びかけに素直に応じ、二人は揃って食堂にやってきた。
食堂にはナタリアとティアの姿もある。
モースの話は終わったのかと聞けば、ティアは「ええ」と首を竦めてみせた。詳しいことは食事の後で話すから、と。
本来なら同席を許されない立場にあるはずのガイやジョゼットも同じテーブルに付く。今後のことを話し合いながらの食事ということで、シュザンヌが特別に許可したのだ。
もっともファブレ公爵家内はある意味治外法権だったので身分など気にしなくてもよいというのが本当のところである。しかし情報はどこからバレるとも知れないので建前は大事だった。
もっともファブレ家の使用人に情報をリークするような者はいなかった。もしいたとしたら、アッシュやオリジナルイオンの存在が外部に漏れて大変なことになっているだろう。現在何の問題もないということは、うっかり口を滑らすような者もいないということの証明だった。
「伯父上は和平を受け入れてくれるかな?」
かつてのことを忘れたわけではあるまいに、ピオニーからの親書を額面通り受け取るルークに呆れつつも、その心根の美しさに憧憬の眼差しを向ける。
ルークに人の裏をわかるようになれ、などと言う必要はない。彼が心無いモノに傷つけられたりすることがないように自分たちが守ればいいのだ。それはここにいるすべてのモノが共通して抱く思いであった。
「親書にはアクゼリュス救援の要請を?」
「いえ。アクゼリュスの鉱山は数年前に閉鎖しました。障気が噴出すとわかっている場所に国民を住まわせておくわけにはいきませんから」
当然といえば当然の処置である。
ジェイドはピオニーが皇帝に即位する前はこっそりと、そして即位後は堂々とアクゼリュスの調査を行っていた。ダアト式封咒があってパッセージリングの調査はできなかったが、障気の存在は調査開始直後からわずかではあったが鉱山の内外を問わず確認できた。その後は継続的に街や坑道内の障気濃度を計測、鉱石の採掘は障気濃度が人体に影響を及ばない時のみとするなどの労働基準を設けた。鉱夫や住民たちの健康診断も定期的に行い少しでも異常があれば街を離れて療養させるという徹底ぶりである。更に障気の影響があまりないうちに資源を掘りつくしてしまおうと、ジェイド自身の手で採掘計画まで立てたのである。その結果、粗方掘りつくしてしまったことと障気濃度の上昇を理由に数年前に鉱山を閉鎖、鉱夫も住民も全員避難済みであるとのことだった。
「誰もいないんじゃ、アクゼリュスに行く理由はないんじゃねぇの?」
「ただ」とジェイドにしては珍しく歯切れが悪い。
「廃鉱にし、街も立ち入り禁止としましたが、まだあるかもしれない資源を求めて勝手に街に住み着いた人間がいない、とは言えないというのが実状でして・・・・・・」
アクゼリュスを立ち入り禁止とした直後は見張りの兵を置いたりもしていたが、障気濃度が濃くなったこともありアクゼリュスが無人であることを確認した後その兵も帰国させた。アクゼリュスは公式には無人である。入り口に立ち入り禁止の看板とその理由もきっちり書いておいたが、それでも金欲に負ける者はいるだろう。見張りの兵がいなくなったことによりアクゼリュスは盗掘者たちの温床になっている可能性は高い。
自業自得だからほっとけ、というのが大多数の抱いた感想である。
「早く教えないと、大変じゃないか」
あぁ、なんて綺麗なのだろう。
今すぐ飛び出し兼ねない勢いで立ち上がるルークを慌てて引き止める。
明日にはアクゼリュス行きを命じられるのだから、アクゼリュスに残っている人間の救出はそれからでも遅くはない、と。もっともジェイドが本気で救出を考えているかどうかは疑わしかったが、ルークは自分一人が焦っても何もできないと気付いたのか、おとなしく椅子に座り直した。
「ピオニー陛下の要請はないのにか?」
「彼らはルークをアクゼリュスに行かせたがっていますからね」
現在のアクゼリュスはマルクト領である。そこにキムラスカの王族、それも王位継承者であるルークが行くとなればそれなりの理由が必要だった。
かつてピオニーが親書でアクゼリュスの民を救うためにキムラスカ側の街道の使用許可を求めたことも、もしかしたら預言の影響を受けていたからなのかもしれない。もちろんピオニーの民を救いたいという思いは預言の影響を受けて芽生えたような半端なものではなかったが。
「どんな大義を持ち出してくるか、楽しみではないですか」
この状況を楽しめるのはジェイドだけだと思う、というツッコミはそれぞれの心の中にこっそりとしまわれた。下手に突っ込めばジェイドの玩具(オモチャ)になるだけである。
預言を遵守したいインゴベルトは、今ごろアクゼリュスにルークを送り込む理由を必死に考えていることだろう。きっとクリムゾンやモースも一緒にない知恵を絞っているはずである。
「三人寄れば文殊の知恵といいますからね」
ジェイドはトコトン失礼な男だった。もっともこの場にはジェイドに抗議する人間も三人を弁護する人間もいなかったから、皆同じようなことを思っているのだろう。
「そういや、モースの方はどうだったんだ?」
食事の後で話すと言ったティアはデザートとお茶が運ばれてきたタイミングで、王城でのモースとのやり取りを語りだした。
ルーク・ナタリア・ティアの旅券はガイがインゴベルトから預かってきたものがあったし、それ以外は各自所持していたので、旅券がなく足止めされてしまったのはアリエッタとそのお友だちだけだった。
マルクト側の国境はジェイドが皇帝名代の地位を利用して通過する許可を取り、キムラスカ側は王族二人の我儘という伝家の宝刀を抜いて入国を認めさせた。
「わたくしたちが無事キムラスカに戻ってこられたのは、彼女と彼女の友の協力があったからですわ。旅券がないから入国を許可できないだなんて、キムラスカ王女は恩知らずな人間だと世間が噂をしたらどうするおつもりですの?」
警備兵はただ職務をまっとうしようとしただけである。それを王女の名を貶める行為だと責められたのではたまったものではない。彼は王族の逆鱗に触れぬように「どうぞお通りください」と頭を下げるしかなかった。
「悪いことをしたかしら?」
最敬礼の姿勢で固まった警備兵の姿を一瞥し、ナタリアは少しだけ申し訳なく思う。彼が咎められることのないようにフォローしておかなければならないだろう。それはジョゼットが後で彼の上官に進言しておくということになった。
「ナタリア殿下。ルーク様。無事のご帰国お喜び申し上げます。ご苦労様ですティア・グランツ殿。ガイ・セシルもご苦労でした」
王族二人がティアとの間で起きた超振動が原因でファブレ公爵家から飛ばされたことなど承知の上で、ジョゼットはティアを労ったのだ。それはキムラスカがティアの罪を問わないと公式に言っているようなものである。もっともキムラスカ国王やファブレ公爵は二人がバチカルから姿を消した原因が、ティアがヴァンを襲ったことにあるなど知らされていない可能性も充分あるのだが、その辺のことは後でジョゼットから聞こうと思うジェイドだった。
「マルクト帝国軍、第三師団団長、ジェイド・カーティス大佐です。陛下の名代としてまいりました」
「知らせは受けております。ようこそキムラスカへ、カーティス大佐。自分は白光騎士団団長、ジョゼット・セシルであります」
初対面―――世間的にはそういうことになっているので、これは対外向けの演技である―――の挨拶を済ました二人の軍人は、ここからバチカルまでの行程を話し合うためキムラスカ軍の詰所へ。ルークたちは白光騎士団の護衛の下、宿で待つことになった。
表向きはバチカルまでの行路の確認や警備体制の話し合いということになっているが、実際は台本通りに進んでいるかの確認をするためである。当初の予定と大きな差異はなかったので、ジェイドとジョゼットの話し合いは数分で終わった。
「名代がフリングス少将でなくて残念なのではありませんか」
「そんなことは・・・・・・」
ないとは言い切れないジョゼットに、さすがのジェイドもからかうのはかわいそうだと思ったのか、アスランから預かった手紙を渡す。ジェイドを伝書鳩代わりにするとは、アスラン・フリングス恐るべし。
渡された瞬間から手紙の存在に心を奪われたジョゼットはジェイドが詰所を出て行ったことに気付かなかった。
この七年間、アスランとジョゼットが公式に会うことは一度もなかった。非公式な、いや非常識な手段を使う方法も含め、未だ会う機会には恵まれていないのだ。それでも今はお互いがかつて思いを寄せた相手と同一人物であると知っている。それで充分であるとジョゼットは思っていた。もちろん会いたい思いは日に日に大きくなる一方であったが、何も知らなかったころと比べると今のなんと幸せなことか。
「彼も同じ思いでいてくれるとよいのだが」
真っ白な封筒に綴られた己の名前。それを指でたどるだけでふわりと心が温かくなる。
「もうすぐ―――貴方に会える」
誰にも聞かれることのなかったジョゼットの呟きが、手紙の最後に書かれていた言葉と同じであることを知るのは、今はまだ読まれていないこの手紙だけだった。
アスランとジョゼットの二人は当初、過去に戻ってきたのは己のみであると思っていた。それからそれぞれの国で同類を見つけることはできたが、相手の国のことは知りようがなかったのだ。なので、アスランはジョゼットが、ジョゼットはアスランが自分と同じく未来を知る者であるとは思ってもいなかった。同じ名前を持ち同じ姿形をしていたとしてもそれ己の愛した相手とは別の人間。同じ顔をした別人というのは会えば辛いだけなのではないだろうか。できれば会わずにすませたい。でも幸せにはなって欲しい、と。相手のためにも預言を覆して世界を存続させるために尽力することが、自分が今ここにいる理由である。特にジョゼットはアスランを死なせないために、そのためなら何だってやるつもりでいた。
二人のそんな思いに気付いているのはアスラン側ではジェイド、ジョゼットの方はガイぐらいだっただろうか。
ジェイドはジョゼットが、ガイはアスランが逆行しているとは知らないため協力のしようがないまま一年ぐらいが過ぎ、その後お互い自分の知る相手であると判明するのだが、どんなに二人が会いたいと思っていても公式に認められる理由はなく、非公式な手紙のやり取りが精一杯だったのだ。
ジョゼットの思う相手がマルクト軍人だと知ったシュザンヌはマルクトに亡命してもいいと言ったが、残されるセシル家のことを考えるとそれもできず、それ以上に今なすべきことを投げ出すような女はアスランに相応しくないと考えるのがジョゼットである。
一方アスラン側も似たようなものだった。ピオニーの暴走を止めるにはジェイドとアスランがタッグを組む必要があり、アスランのキムラスカ亡命はジェイドが全力で阻止したのだ。その負い目もあってジェイドは伝書鳩の役目を快く引き受けているのだろう。
ピオニーが「アスランが亡命するなら自分も一緒に亡命しようかなぁ~」などと本気とも冗談ともつかない口調で言うので、アスランはマルクト帝国が心配でグランコクマを離れることができなかったというのも理由の一つだ。
ピオニーの場合、ネフリーに思いを告げようにもジェイドにすべてが片付くまでは禁止ですと言い渡されている状態なので「アスランばっかりずりぃよなぁ」と嫌がらせの可能性が大だ。けっして本気ではない、と思いたい。
「ヴァン師匠(せんせい)来てないのな」
この質問には、ガイが伝えていなかったことに呆れつつも、同行した白光騎士の一人、チェリア・ハミルトンが答えた。彼女はかつてジョゼットが率いていた隊にいた女性兵士の一人だった。数少ない同性同士互いに親近感を抱いていた。その記憶もありジョゼットは今生でも彼女を重用していた。今回も王族二人の出迎えと護衛という任務に同行させ、自分が席を外す間の全権を預けるほどである。そして彼女もジョゼットの信頼に十分応えていた。
バチカルでは三人がファブレ家から消えた原因を作ったのはヴァンということになっているということ。自他とも認めるシスコン兄は本当のことを言って妹を罪人にすることはできなかったらしい。ガイがバチカルを出立した時はファブレ家に軟禁されていたヴァンであったが、現在はキムラスカ城の地下牢に場所を移し取調べを受けていた。キムラスカ王やファブレ公爵、大詠師モースの取調べにも頑なに口を噤んでいるとのことだった。
「まぁ、本当のことは言えないだろうからな」
ティアがやったことを言い出さないのは、ティアを守りたいという思いも本当だったが、それ以上に実の妹に命を狙われた理由を探られることを恐れたからに他ならない。
この期に及んでもヴァンは二人がバチカルに帰還さえすれば自分は解放されるだろうと思っているようである。
ちなみにND2018の預言を知っているキムラスカ国王とファブレ公爵を初めとする国の重鎮たち、そしてモースはルークのバチカル不在を快く思ってはいなかったが、ユリアの預言(スコア)に詠まれた存在である聖なる焔の光(ルーク)が預言以外の場所で失われることなどないと思い込んでいるため、心配はしていなかった。ルークの身の安全が預言に保障されているということは、当然一緒にいるであろうナタリアも保障されているということだ。その絶大なる信頼はどこから来るものなのか? 預言の真実を知るモノにとっては馬鹿らしい限りだった。
ヴァンはこれでもしレプリカルークが失われたとしたら、預言がレプリカを聖なる焔の光(ルーク)と認めず、たとえ名を変えたとしてもオリジナルルーク(アッシュ)は預言の呪縛から解放されることはないのだ、と。せっかく作ったレプリカを有効利用できなかったことは残念であるが、やはり人類を預言から解放するためには劇薬が必要であるという自分の考えに自信を持ったことだろう。もっともルークたちは無事にバチカルに帰還するのだから、この仮説は証明されることはない仮設(もしも)の話である。
当然のことなのだが、カイツール港の襲撃もなければ、コーラル城に行く必要もないので、一行は真っ直ぐ馬車で軍港へ向かった。
その後は連絡船キャツベルトでケセドニアへ。
ヴァンがいないので甲板での出来事はないかと思いきや、地核のローレライがアッシュとルークに接触しようとしてきたようである。
―――我と同じ力、見せてみよ・・・・・・
突然の頭痛がアッシュとルークを襲うが、二人の意志を無視して超振動が発動することは、なかった。地核のローレライの気配を感じた地上のローレライが阻止したのだ。
「まだ、自我があったとはな」
成長したアッシュとルークの姿で現れたローレライは床に蹲るルークを抱き起こしベッドへと運ぶ。
「てめぇがさっさと地核のローレライを吸収しねぇからだろうが!」
頭痛で苦しむルークにアッシュの怒りが爆発した。いやルークを姫抱きにして運ぶローレライに嫉妬しているだけだろうか。
「超振動の発動を止めた我を誉めてはくれぬのか」
いじけるローレライをなだめるのはルークの役目である。
「ありがとうな」とローレライに笑いかけるから、それが面白くないアッシュの機嫌は下降の一途をたどる。
睨みつけるアッシュと、それさえも微笑ましいと思うローレライ。二人の間でただオロオロするだけのルーク。いつものトライアングルが形成された船室に入ってこられるような強者、あるいは暇人は残念ながらいなかったようである。
そうこうしている内にキャツベルト号はケセドニアに到着した。
船室でルークと二人きりという時間を満喫しようとしていたアッシュの目論みは、ローレライの登場により脆くも崩れ去ったのである。感謝の言葉の一つも述べて追い出せばよかったものを、半分はアッシュの自業自得だった。
ケセドニアの活気溢れる雰囲気に目を輝かせるルーク。
あっちへフラフラ。こっちへフラフラ。まるで縁日ではしゃぐ子供のようである。
「ったく、前を見てねぇからだ」
誰かにぶつかりよろけるルークの腕を支え、ぶつかった相手をアッシュは睨みつけた。
「悪ふざけがすぎるぞ、ノアール。こいつから盗ったものを返しやがれ」
「やだね~。そんなに怒りなさんな。ちょっとした挨拶じゃないの」
アッシュに指摘されて財布が掏り取られていたことに気付くルーク。
「またかよ。俺って情けねぇなぁ」
ルークが落ち込んだことでアッシュの怒り爆発した。元々沸点の低いアッシュだったが、ことルークに関しては日増しに低くなっていくような気がする。ケセドニアの街中で目立つ行動は控えるべきだと思うルークだったが、残念なことにアッシュを諌める方法を知らなかった。それに困るよりも嬉しいと感じているのだから、ルークも同じ穴の狢である。
騒ぎに気付いたオリジナルイオンの仲裁で渋々引き下がるアッシュとノアールに、ルークはほっと安堵の息を吐いた。
この七年間に何があったのだろうか? オリジナルイオンはアッシュの逆らえない人物ランキングの第三位にいた。ちなみに一位は無意識おねだり状態のルーク。二位は息子たちの心配するシュザンヌ。惜しくも入賞を逃したナタリアが第四位である。もっとも一位と二位の二人の場合は条件付での入賞だったので、通常状態では繰上げで一位がオリジナルイオン、二位がナタリアとなる。
ちなみにオリジナルイオンはノアールの逆らってはいけない人物第一位でもあった。次点のいない彼女にとってはただ一人の逆らえない人物と言ってもいいだろう。
ルークは尊敬の眼差しで二人を諌めるオリジナルイオンを見つめた。面白がったオリジナルイオンがルークにおねだりを意識的に利用する方法を伝授する日も近い。
オリジナルイオンとの再会を何よりも喜んだのはアリエッタである。
ここでオリジナルイオンや漆黒の翼の面々と合流することにしたアリエッタが離脱を申し出る。
「無理を言って国境を通させましたのに、残念ですわ」
アリエッタとの別れを惜しむナタリアだったが、理由が恋心であるというのであれば、乙女として協力しないわけにはいかないだろう。
オリジナルイオンたちとの情報交換が済んでも、バチカル行きの船の準備が調うまでにはまだ時間がかかりそうだった。準備に時間が掛かっているのはナタリアが王女様のお願いを発令したからである。
そこで、解析が必要な音譜盤(フォンディスク)もなくアスター家を訪問しなければならない理由はなかったのだが、今後のことを考えるとそろそろ顔見せぐらいはしておいた方がいいだろうということになり、アスターに面会を求めることになった。
ただ真面目にアスターと話をしているのはジェイドとイオンの二人だけである。残りの六人と一匹はソワソワと落ち着きがなかった。
かつて何度も足を運んでおり屋敷の様子など知っているはずなのに、お金持ちの家に興味津々なアニス。
音譜盤がないので使用する必要ないのに解析装置に興味津々のガイ。
時間が空いたと聞いて露天巡りに行きたがったルーク。
ルークといられるのであれば何でもいいのだが、ルークが街を散策したいと言うのならその望みを叶えたいと思うアッシュ。ルークに宥められたので―――さっそくオリジナルイオンに教わったことを実行してみたようである―――しばらくおとなしくしていたアッシュだったが、挨拶が済むとルークを伴ってケセドニアの街に繰り出した。人混みで逸れては大変と差し出した手を素直に握り返すルークにアッシュはニヤリと口角をあげる。ルークが言葉通りにしか受け取っていないと気付いていないアッシュはある意味幸せ者だった。
今度こそありじごくにんの正体を暴きたいナタリア。それからディンの店にも顔を出さなければ、と見てみたガールが実は一番急がしそうだった。王女に一人歩きをさせたとあっては問題になる。しかし並みの兵では王女の仮面を脱ぎ捨てた―――自治区と言うこともありたまには羽目を外したかったようである―――ナタリアに付いていくのは大変だった。なので護衛という建前でティアが同行していた。ナタリアの後を付いて歩くティアはルークから預かったミュウを胸に抱き、幸せそうである。
お蔭でアスター家に「出航の準備ができました」と知らせにきた白光騎士はケセドニア中を走り回る羽目に陥った。
ケセドニア港に停泊していたのはプリンセス・ナタリア号である。
「乗ってみたいとおっしゃっていましたでしょ」
ナタリアがプリンセス・ナタリア号で迎えに来るよう指示していたらしい。
これにはアニスが大喜びだった。
ティアも女の子が好きそうな内装に頬を赤らめている。
アッシュはルークと二人きりで快適な船旅を送ることができればいいだけなので船の名前に興味なかったが、プリンセス・ナタリア号の設備は快適な旅を望むアッシュを満足させるものだった。
ディストの襲撃などもちろんなかったので、二度目の船の旅は恙無く終了する。
バチカル港では報せを受けたシュザンヌが自らルークたちの到着を待っていた。久しぶりに再会した息子たちを抱きしめたい気持ちをグッと堪え、インゴベルトたちが城で待っていることを告げる。ファブレ家でゆっくりと寛がせてあげたいところであったが、王命であればしかたがないだろう。
バチカルの最上階に辿り着くまでの間にシュザンヌが語った不在の間の出来事は、誰もが耳を疑うようなものだった。
馬車を用意してもらったり、道中の警護を依頼したり、各地に向けて鳩を飛ばしたりと大忙しである。
ルークとナタリアもバチカル宛の手紙を伝書鳩に託した。マルクト領からキムラスカに飛ぶような鳩はいなかったので、最初の宛先はケセドニアである。セントビナーでの検閲はジェイドがいるので免れることもできるが、ケセドニアではそうはいかないだろう。キムラスカ領事館に届けられる前に中身を見られることは十分に予想できた。ジェイドが一筆添えたとしてもそれで確実に防げるという保証はなかったので、必然的に当たり障りのない内容になる。
無事を知らせると同時にマルクトの人間がいかに自分たちに親切であるかを訴え、マルクト帝国とはこれからもよい隣人でありたいと願いますと締めくくったナタリアの手紙は、はたしてキムラスカ王の心を動かすことが可能だろうか?
ルークはシュザンヌに宛てた手紙で、導師イオンと共にマルクト軍の護衛の下バチカルに帰るので、国境まで迎えに来て欲しいと伝えた。そんなこと今更手紙に書かずともシュザンヌも承知のことであったし、迎えは疾(と)うにバチカルを出立していることだろう。なのでこの手紙は、予定通り進んでいるので心配しないで欲しい、とそういう意味である。きっとルークの思いは正しくシュザンヌに伝わることだろう。
それが終わると、旅の準備はジェイドに押し付けて―――といってもジェイドもセントビナーの兵に指示を出しているだけだが―――他のメンバーは思い思いに寛いでいた。
ナタリアが薬屋開業のお手伝いをするために探索ポイントまで行くと言い出し、ガイとティアはそれに同行。一緒に行くつもりでいたルークはアッシュに誘われソイルの木の上でデート―――デートというのはアッシュの主観である。ルーク的にはどう思っているかは謎だ―――と洒落込んだ。アニスはイオンのために精の付く料理を作るのだとマクガヴァン家の台所を占拠した。何やら大作ができそうな予感である。イオンは同家の居間でマクガヴァン元帥と茶飲み話に花を咲かせていた。
「皆さ~ん。そろそろ出発しますよ」
もちろんジェイドが各地に散った仲間たちを自分で呼びに行くなんてことをするはずがなく、こういう時の実働部隊はもちろんガイ・セシル―――本名ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。極秘裏ではあるがマルクト皇帝から伯爵の地位を賜ったれっきとしたマルクト貴族の一人である。しかし同じマルクト国民であるジェイドを筆頭に誰一人としてその地位に相応しい扱いするものはいなかった――-だった。
ここからの旅は当然馬車である。身分を明かした以上イオン・ルーク・ナタリアを歩かせるわけにはいかないのだ。もちろんこの選択はイオンの体力を考慮した上でのことでもある。
馬車の内と外という極僅かな距離とはいえ、アッシュがルークから離れていられるはずがないので誰に言われるまでもなくアッシュも馬車に乗り込んだ。導師の護衛ではなかったのですか、なんて質問は言うだけ無駄だった。
「女性を歩かせるわけにはいかないからね」
ガイのフェミニスト発言によりティアとアニスも馬車だ。
そうなることは予想済みだったのだろう。あるいは最初から徒歩の旅などするつもりがなかったのか、ジェイドが用意させて馬車は二台あった。ジェイドとガイは御者台である。周りはセントビナーに駐在していたマルクト兵が固めていた。急ぐ旅なのでもちろん騎兵のみで編成された部隊である。
一台目の馬車にはイオン・アニス・ティアが乗り、御者台にはジェイドが座った。
二台目はルーク・アッシュ・ナタリア・ミュウ。ガイは御者台である。
馬車を三台用意させてルークと二人きりを望んだアッシュだったが、警備が大変になるからとジェイドに却下された。けっして嫌がらせではないだろう。大勢の方が楽しいとルークもこのままでいいと言うのだから、アッシュの思いが正しく伝わる日が来るのはまだまだ先になりそうだった。遠回しなことはせずに直球で勝負すれば話は違ったのだろうが、人生二回目でもアッシュのツンデレ体質はそう簡単に直りそうはなかった。
ちなみにアッシュは自分たちで一台、イオン・アニスで一台、ナタリア・ティア・ミュウで一台を希望していたようである。もしアッシュがこれを強行していたら、「馬車の中で何をするつもりなんだ」と心配したガイが全力で阻止しようするだろう。そして、再び鬼ごっこが始まるかもしれない。その光景を見たルークが羨ましがり、アッシュは更にむきになってガイの息の手を止めようとするという悪循環が繰り返されるだろう。これではタルタロス下船時の二の舞である。それを防ぐという意味でも、ジェイドのこの割り振りは急ぐ旅には一番相応しいものだった。
タルタロスを降りた神託の盾(オラクル)兵たちは一足先にダアトに帰還することになった。
食料等の備蓄にも限りがあり、いつ直るとも知れないタルタロスで待ち続けるわけにはいかなかったことと、リグレットとラルゴが教団を裏切り、導師によって破門されたことについて一刻も早くダアトに報告する必要があったからだ。
途中エンゲーブで物資の補給をしたり、先に出発した仲間やマルクト兵たちと合流したりしながら、彼らが先ず目指す先はマルクト帝国の首都グランコクマである。
マルクトを横断することについてはジェイドが持たせてくれた書状もあり、また途中でマルクト正規軍と合流したこともあり特に問題はなかった。
彼らは旅券を持っていなかったが、事情を認(したた)めたジェイドの手紙や、マルクト皇帝に宛てたイオンの書状は旅券の代わりを充分に果たしていた。そしてグランコクマに到着の後は事情を説明すればダアトへの船を出してくれるだろうとジェイドが請け負い、それはもちろんその通りとなったのだ。
神託の盾兵内でのジェイドの評価は鰻登りだった。死霊使い(ネクロマンサー)と恐れていたなんて嘘のようである。真相を知らないって平和でいいなぁ~とは誰の感想だろうか。
もちろん彼らの持っている書状にはリグレットとラルゴの裏切りや、彼らの部下はその二人に騙され導師奪還に加担しかけたが、真相に気付き最終的には二人の捕縛に協力したこと―――協力したことにしたらしい。実際は黙って見ていただけだが、ジェイドにしみれば余計なことをしないことこそ最大の協力だったということなのだろう―――なども書かれていた。
その他にも、ダアトに帰国後直ぐに軍事裁判を行うことができるように準備しておいて欲しいという参謀総長の依頼。
シンクとアリエッタを初めとする神託の盾兵たちの協力もあり大事に至ることがなかったことに対するマルクト側の感謝と、今回のことはダアトとは既に関係のない一個人の起こしたことであり、このことは両国の友好関係を脅かすものではないだろう、というマルクト帝国軍、第三師団団長ジェイド・カーティス大佐の私的見解も添えられていた。私的なものではあってもマルクト皇帝の懐刀の言葉は神託の盾兵たちの心を軽くするのに十分だったことだろう。
騙されていた神託の盾兵の減刑、できることなら不問にして欲しいとう嘆願書はイオン・シンク・アリエッタの連盟で出されていた。非公式であり、ダアトの内政に干渉するつもりはないと断った上でジェイドが一筆添えるという念の入れようである。
書状の内容を知った神託の盾兵たちはそろって「一生付いていきます」と心の中でこっそり誓ったらしい。
他国の軍人なんですけどわかっていますか? なんて突っ込みを入れるのは野暮というものである。彼らの中でジェイドという人物は命の恩人にも等しい存在なのだ。
タルタロス襲撃に関する報告を受けたダアトにいた詠師たち―――大詠師モースと神託の盾騎士団の主席総長ヴァンは不在だった―――は正式にリグレットとラルゴの師団長の身分剥奪を決定。軍法会議に出廷するためにダアトに出頭するよう命じたが、その命令を彼らに伝えるのは大変そうである。もっとも無事伝わったとしても彼らがその命に素直に応じるとは思えないのでいずれ指名手配ということになると予想するのは容易いことだった。
それと同時に今回の件が彼らの単独であるとは思えないことから、黒幕の調査も開始されたが、査察官がモースやヴァンにたどりつくまでにはもう少し時間が掛かりそうである。
心配していた一般兵の処遇についてだが、厳重注意程度でほぼ不問に処せられることになった。第一・第四師団の団員たちはそれぞれ第二・第五師団に振り分けられ、しばらくはその監視下に置かれることになったのだが、それも形だけの処置といって差し支えないだろう。
突然倍に増えた団員にディストとシンクが頭を悩ませるのは、また別の話である。
神託の盾兵たちの態度や、その後にダアトの出した結論はジェイドを概ね満足させるものだった。
「ちょろ甘ですね」
世界は預言に踊らされているのではなく、ジェイドの掌の上を転がっているようである。
現在、タルタロスに乗船している人間はシンクとリグレットとラルゴの三人のみである。
動かなければ、それはでっかい金属の箱でしかない。アリエッタが整備士を連れ帰るまでシンクにはやることがなかったのだ。
暇を持て余した彼は格子越しにリグレットとラルゴの二人と対峙していた。
「シンク、閣下に拾われた恩も忘れ、裏切るつもりか」
リグレットの金切り声が耳に痛い。
「ヴァンを裏切っているのはどっちだよ。来(きた)るべき時までは世界は預言通りであると見せかけておく必要がある、んじゃなかったのさ」
リグレットとラルゴをからかって遊ぼうと思い船底に下りてきたシンクだったが、アリエッタが戻ってくるまで一人でお茶でもしていた方が良かったかなぁ~と早くも後悔していた。まぁそれでも始めてしまった遊びを途中で止めるつもりは彼にはないのだが。
「何度も同じ事を言わせないで欲しいね。預言に詠まれていないことをやろうとしている人間が、預言に詠まれていないから戦争は起こらないなんて、それこそヴァンがやろうとしていることは実現不可能だって思っている証拠なんじゃないの? 裏切っているのはどっちさ。それとも預言に詠まれていないマルクトとの戦争を引き起こそうとしていたのかな? だったら邪魔をして悪かったね。でもそれってやっぱりヴァンの計画とは違うんじゃないの。あんたがヴァンを裏切っていただなんてね。これを知ったらヴァンはどう思うかな」
シンクの弾丸トークにリグレットは口を挟むことができなかった。自分はヴァンを裏切ったりしていないし、彼の計画が実現可能であると信じている。それはリグレットにとっての真実だった。しかし彼女は自分の取った行動が矛盾しているということに今の今まで気付いていなかったのだ。シンクの執り成しがなくダアトとマルクトの間で戦争が起きたとしたら、ヴァンの計画の障害になったのだろうか? それは確かめようがないことだった。己の失態をヴァンに知られることを恐れるリグレットは仮定の話を彼にすることなどできはしないだろう。
元々無口な性質(たち)であるラルゴは何かを考えるように黙り込んでいた。ヴァンへの思慕だけで彼の計画に加担したリグレットとラルゴは違う。シンクの言葉はラルゴにヴァンの計画に対する不信感を植え付けたようである。ヴァンに問い質してみるべきか? しかしそれをしたところでどうなるというのだ? 自分たちはもう歩き始めてしまったではないか。ラルゴに他に選べる道はなかった。たとえそこに矛盾を感じたとしても今更引き返すことなどできはしないだろう。
シンクは静かになった二人―――ラルゴは元々静かだったので、リグレットが黙ったことで静寂が訪れたのである―――をつまらなそうに眺めていた。彼らにヴァンとその計画に対する疑念を与えることはできただろう。しかしだからといって彼らがヴァンを見限るだろうなんて甘い期待はしていなかった。
信念ではなく恋心で追随しているだけの女と、自身で復讐することもできず他人(ヴァン)の復讐に便乗しているだけの男。結局彼らはヴァンの狂気に巻き込まれ、抜け出すこともできない憐れな人形にすぎない。かつての自分も似たようなものであったことにシンクの複雑な思いを抱いていた。それはシンクをそこから救い上げたのが自身のオリジナルであったことも多分に影響しているのだろう。
「シンク、ここにいたですか」
気まずいというか、微妙な空気を断ち切ったのはシンクを探して船底に下りてきたアリエッタだった。
「修理できる人、連れてきたです」
三人の緊迫した空気などまったく感じていないようで、あるいは感じているからなのだろうか、こんな場面であってもアリエッタの表情や声は常と変わらなかった。
そんな彼女の登場にシンクは張り詰めていた緊張の糸を解いた。
三人ともこの状況に終止符を打つ切欠を欲していたところだったので、アリエッタの登場は渡りに船である。シンクは修理状況の確認するためと理由をつけ船底を後にし、リグレットとラルゴはそれを黙って見送った。
さてシンクたちの姿が船底から消えると、早速リグレットとラルゴは脱走することにしたようである。武装解除はされていたが、譜術の使用は可能だったのだ。
「まだまだ詰めが甘いな」
拘束が中途半端であったことを侮るリグレットの声が無人の船底に響く。それさえも誰かが計算していたことであっただなんて微塵も疑っていないようである。
「逃げていただかなければ、面白くありませんからねぇ」
なんてことを密かに企んでいた人物がいたとかいないとか。意外と簡単に逃げ出せるような造りになっていた可能性あったとかなかったとか。そんなことがシンクにバレたら色々面倒なことになるだろうから彼にだけは絶対に秘密だ。もっとも企てた人物が想像通りの人物であればそう簡単に気付かれるようなミスはしていないだろう。(とりあえず、管理人はここで逃がしておかないと盛り上がらないよなぁ~とかは思っています/爆)
「何で二人分の封印術(アンチフォンスロット)ぐらい用意してなかったのさ」
シンクはルークたちと合流後にジェイドに文句を言ったが、取り合ってはもらえなかった。一つ作るのに国家予算の一割弱。二つ作る金があるならその金は別のことに使う。ジェイドであればそうするだろう。実際にマルクトの国家予算の何割かはジェイドを筆頭とする逆行組が今回の企みのために流用したようである。皇帝が自ら率先して行っているのだから、ジェイドが横領の罪に問われることはなかった。それでいいのかマルクト帝国。
ちなみにラルゴの所持していた封印術は没収済みであったが、後々有効利用させてもらうつもりのジェイドの懐の中である。そこから掏り取って使用できるような強者(つわもの)はいなかった。
リグレットとラルゴは昇降口(ハッチ)が開かなかったため甲板から飛び降りることにしたようだった。
操縦桿の修理を終えて船橋から出てきたシンクたちと鉢合わせしたのはどんな運命の悪戯だろうか? あるいは預言の呪いだろうか?
甲板にてシンク・アリエッタと対峙したリグレット・ラルゴ。体格差のありすぎる二組であるが、戦闘能力は拮抗していた。それ故、整備士を庇って戦っているシンクとアリエッタの方が不利だった。
「仕方がないね。脱出するよ」
アリエッタの魔物を使用し、整備士を連れてシンクとアリエッタはタルタロスを脱出。
奇しくもタルタロスをリグレットとラルゴに奪われるという前回と同様の結果となったのだが、シンクの口許には笑みが浮かんでいた。
「危ないと思ったら、タルタロスなんて捨ててしまいなさい」
思い出すのは青い軍服を着た他国の軍人の胡散臭そうな笑顔だ。その後ろには自分と同じ顔をした緑の髪の少年と、赤い髪の少年、鮮血の名を持つ同僚、守護役の少女、ヴァン(髭)の妹、キムラスカの王女、青色の聖獣。かつての敵は今、空っぽの自分を埋めてくれる大切な仲間だった。伯爵の肩書きを持つ使用人の姿をシンクが思い出さなかったのは仲間扱いしていなからではなく、タルタロスで彼らと別れた時ガイがそこにいなかったからである。忘れられていたわけではない、だろう。自身のオリジナルを思い出さないようにしているのはシンクの最後の意地に違いない。
遠ざかるシンクたちの姿を見つめながら敵艦を手に入れたことに満足気なリグレットは、実はこうなる可能性も考慮されていたなんてことは、欠片も思っていないことだろう。
「この艦(ふね)はおかしいぞ」
タルタロス内をざっと見回ってきたラルゴは、首を傾げながら船橋(ブリッジ)に戻ってきた。
艦内に人のいる気配はしなかったが、確実とはいえない。確認できない場所が多すぎたのである。通路と自分たちが最初にいた船底以外の場所は施錠されていたのだ。一般兵用の船室などは力尽くで扉を開けられないこともなかったが、すべての扉を開けるには時間も労力も足りなかったため、ラルゴは途中で諦めて戻ってきたのである。
逃げ遅れた人間がいたとしてもリグレットは構わなかった。
船橋に残された手書きの操縦マニュアルの存在さえも渡りに船で片付けたようである。
「私たちだけでも動かすことはできそうだな。調度いい。これを使わせてもらうとしよう」
進むことと曲がることと止まることしかできなかったが、人の足で移動するよりは格段に早い。余計な所を弄ると全機能が停止するとあったが、自分たちは戦闘をするために艦を動かしているわけではないので問題はない、と。
リグレットは焦っていた。
自分はまだヴァンの命令を一つとして果たせていないのだ。導師を奪い返し―――誘拐だと騒いでいたのはモースだけだったので、奪還という表現が正しいかどうかは疑問である―――近くのセフィロトのダアト式封咒を解呪してくること。それがヴァンから受けた密命だった。一刻も早く導師に追い付く必要があるのだ。せっかく奪った敵艦を利用しない理由などないではないか。
ヴァンに見限られること、それ以上に恐れることなどリグレットにはなかった。
「これは何だ」
リグレットが眺めていた紙を取り上げたラルゴがそれに目を通しながら尋ねる。
「死霊使いがシンクのために書いた物のようだ」
それは確かにその通りだったのだが、そんなものがここに残されていることを不思議には思わないのだろうか? いやリグレットは思わなかったのだ。かつては預言に、今はヴァンに自分の行動を委ねている女には物事の裏を読む能力が欠如していた。そして女のヒステリーには逆らわないことにしている―――それはとても正しい選択であるが、往々にして取り返しの付かない結果をもたらすものである―――男もそれは同様だった。
無事タルタロスを脱出したシンクとアリエッタと整備士の三人は上空から遠ざかるタルタロスを眺めていた。空を飛ぶ魔物に運ばれるのは人生で二回目という整備士は今にも卒倒しそうである。このまま魔物での移動は酷というものだろう。
アリエッタたちと別れたシンクはリグレットとラルゴに対しダアトが出した結論を確認するために一旦帰国することにした。もちろん騙された(ことになっている)二人の部下の処遇が心配だったということもある。彼らを無罪にすることができれば、神託の盾(オラクル)騎士団の一般兵を掌握できたといっても過言ではないのだ。それは今後の計画をスムーズに運ぶためにも必要なことだった。
一方地上を駆ける魔物に乗り換えた―――地上に降りたからといって整備士の恐怖心が薄れたかどうかはわからなかったが―――アリエッタは整備士を安全な場所に送り届けた後、ルークたち一行を追いかけフーブラス川の少し手前で合流した。
オドオドとタルタロスを奪われたことを報告するアリエッタに対するジェイドの態度はあっけらかんとしたものである。
「構いませんよ。艦の現在地はマルクト軍が追尾していますし、彼らに使用できるのは走行機能ぐらいですから」
「誰かに追跡させているのか?」
危ないのではないか、とルークは問う。それに対するジェイドの答えはルークには予想外のものだった。
一定時間ごとに第七音素を放出する仕掛けが施されているというのだ。この第七音素が激減した今の世界であれば少量の第七音素でも測定が可能だった。第七音素の放出はレプリカが乖離する現象を応用したものである。タルタロスには備品にカムフラージュした安定率の異なる第七音素のみで構成されたレプリカがいくつも配置してあった。それが順番に乖離して現在地を教えてくれるのである。第七音素を提供したのはティアの譜歌で召喚されたローレライだった。無機物であるとはいえレプリカの乖離現象を利用するような装置の制作をルークに頼むことはできなかったのだ。
タルタロスに組み込まれた追尾機能のことをルークがどこまで理解できたかは不明だったが、危険な任務についている人間がいないと知って安堵しているのはその表情から見て取れた。
「それよりも、よい所にきてくれました」
ジェイドはアリエッタが魔物を伴ってこの場に現れたことをとても喜んでいた。
馬車による移動にしたためここに辿り着くまでの時間を大幅に短縮することができたが、その所為でフーブラス川の水嵩はかつてルークたちが歩いて渡った時よりも随分と高かったのだ。橋も流されていたし、浅瀬を探して渡ることも難しそうだったのである。これが今回の計画で初めての誤算といえばそうなのかもしれない。もちろんそれは計画に支障を来たすようなものではなかったが。水が引くまで川岸でキャンプするしかないだろうか、そんなことを考えていたところへアリエッタが来たのである。それはまさしく渡りに船だった。
ここはアリエッタの魔物(お友だち)が活躍する場面である。
もともとセントビナーで借りた兵による護衛はカイツールの砦までで、国境を越えたあとはキムラスカ側に護衛してもらうつもりでいたのだ。少々早いが馬車と騎兵部隊にはセントビナー戻るように指示をする。
ルークは念願の魔物への騎乗が叶って嬉しそうだった。
川を渡った後は徒歩で国境の砦カイツールへ向かうだけである。
アリエッタとそのお友だちも護衛のため同行することになった。
「なんだかピクニックみたいですね」
「そうだな」
実年齢二歳と七歳、二度目であることを考慮して二倍したとしてもまだまだ子供に分類される二人の会話に、もう少し緊張感を持って欲しいなんて野暮を言うモノはいなかった。
先に到着したはずの神託の盾兵の姿はもちろん、魔物の姿もマルクト兵の姿もまったく見当たらないのである。ガランとした甲板に、唯一アリエッタがいつも従えている魔物だけがいた。その後ろにはピンクの髪が覗き見えているから、そこに自分たちを追い越して行ったアリエッタがいるのだろう。
軽率なのか豪胆なのか、敵艦に降り立ったリグレットが大声を上げる。
「これはどういうことだ。アリエッタ」
リグレットの叱責にアリエッタは泣きそうな顔で姿を現した。胸の前で抱きしめた人形が奇妙な形に歪んでいる。
「嘘吐き」
それはともすれば風に吹き飛ばされてしまいそうなほど小さな呟き。
幼き少女―――実年齢はともかく、アリエッタの見た目は人々が思わず同情したくなるには充分すぎるほどに幼い―――と一昔前なら『美少女』では、最初から勝敗は決まっているようなものである。
年増が新人の少女をいたぶっている、というのはリグレットを除くそこにいるすべての人間が抱いた感想だった。
「イオン様、誘拐されてなんていないです。トリトハイム様の言ってたこと本当でした。誤解しているのはモース様です」
アリエッタの発言にどよめく神託の盾兵たち。
統率の取れなくなりつつある部下たちに、リグレットは思わず舌打ちをした。これ以上余計なことを言うんじゃない、とアリエッタに向ける視線がきつくなる。
「何を言っているのだ」
「トリアハイム様言ってたです。『イオン様に直接確かめてみなさい』って。だからアリエッタ、イオン様に聞いてみたです。そしたら・・・」
ついに泣き出してしまったアリエッタ。
その場にいる神託の盾兵すべての同情票を勝ち取ったアリエッタと、部下たちから軽蔑と不信の目を向けられたリグレット。両者の明暗が決した瞬間といってもいいだろう。
タイミングを見計らったように魔物の影から、イオンとアニスとジェイドが出てくる。
「泣かないでください。アリエッタ。僕はわかっていますから」
目的の人物の思わぬ登場に、アリエッタの存在も今までのやり取りも忘れ、いきり立つリグレット。
場もわきまえず死霊使い(ネクロマンサー)ジェイドとの手合わせを望むラルゴ。
疑心暗鬼な神託の盾兵たち。
泣きじゃくるアリエッタと、それを慰めるイオンとアニス。一応アニスはトクナガを巨大化させて戦闘態勢ではあるが、見た目が見た目なだけにそれが武器だとわかっていても緊迫感はない。
イオンを背に庇ってはいるが丸腰のジェイド。
一方リグレットやラルゴを始めそれぞれの得物を手にしている自分たちは、無抵抗な人間に武器を向けているようにしか見えない。大変居た堪れない気分になっている神託の盾兵たちは多いことだろう。ジェイドたちが戦闘準備万端であることだとか、気配を殺して様子を窺っている人物がいることだとか、そういったことにまったく気付いていないのだから、最初から彼らに勝機はなかった。
物陰に隠れ登場の機会を窺うルーク・ティア・ナタリア。ついでにミュウ。
今はまだルークたちと共闘する様をラルゴとリグレットに見せるわけにはいかないと、ジェイドに不参加を言い渡されたアッシュはルークが心配でこっそり覗き見中である。
一触即発の緊張した空気の中、アリエッタの嗚咽がやけに大きく響いていた。
そう短くはない時間がただ過ぎ去っていく。
それは神託の盾兵たちが己の置かれている立場を考えるのに充分な時間だった。
「導師イオンがマルクト軍に誘拐されたから奪還して来い、って命令だったけど・・・・・・違うのか?」
「アリエッタ響手が言っていることが正しいとすると、マルクトによる導師の誘拐はモース様の誤解で、導師がここにいらっしゃることはトリトハイム様もご承知とのことだが・・・・・・」
一般兵の間にリグレットやラルゴの命令、つまりはモースの命令に素直に従っても大丈夫なのだろうか? という空気が流れ始める。
部下たちの雰囲気にリグレットは舌打ちを一つ。
彼らは当てにできそうにない。元々使える人材だとは思っていなかったのかあまり気にしてはいないようだが、痺れを切らしたリグレットは自ら導師奪還に乗り出した。
リグレットの銃が丸腰のジェイドに向けられる。ちょっとずれたら導師に当たるんじゃないだろうか、と心配するのはそれを見た一般兵たちに共通する思いだった。
ジェイドが槍を体内にコンタミネーションしていていつでも取り出せることだとか、実は凄腕の譜術士であることだとか、そういう情報を持ち合わせていない一般兵にしてみれば、無抵抗な人間に銃を向けたのだから、リグレットの評価は下がる一方だった。
「ちょっと、ちょっと、何やってんのさ」
空から降ってきたのはシンクだった。
それは引き金に添えられたリグレットの指に力が込められようとするまさにその瞬間。絶妙のタイミングだった。
「マルクトと戦争だなんて、僕はイヤだからね」
リグレットとジェイドの間でシンクは大仰に肩を竦めてみせた。
緊張の糸が切れてか、どこからともなく「ほう」と安堵の息が漏れる。
「そのようなことは預言(スコア)に詠まれていない」
「だから、だよ。ダアトとマルクトの間で戦争が起こるなんて預言はない、ってことは戦争が起こらないように努力するってのが、正しい信者ってもんなんじゃないの? 何やったって預言通りになるってんだったら、最初っから教団も教義も必要ないんだからさ。教団があり教義が存在するっていうのはそういうことだろ」
正式な手続きを経て導師に同行しているマルクト軍を誘拐犯扱いし、無抵抗の人間―――たぶんそれなりの地位のある軍人―――を射殺したなんてことになれば、今すぐ戦争は起きても不思議ではない。よしんば即開戦とはならなかったとしても、二国間のしこりの一つになるだろうことは一般兵でも容易に想像できた。
リグレット師団長は預言にないことは起こらないと言っているが果たして本当だろうか? シンク参謀総長の言うように預言に沿った生き方を教団が教義に掲げるという事は、努力しなければ預言は現実にならないということではないか、と。そしてここで自分たちがするべき努力がどのような行動であるか、敬虔な信者でもある神託の盾兵たちにはわかっていた。
未だ銃を掲げたままのリグレットに背を向け、シンクはジェイドたちの方へ向かい歩き出す。リグレットはいつ発砲してもおかしくない状態なのだが、ここで発砲したら神託の盾兵すべてを敵に回すという事が理解できたので思い止まっているのか、あるいはシンクの言葉を理解するのに時間が掛かり行動できないでいるだけなのか。
銃口に背を向けるなどという無謀とも思えるシンクの行動であったが、銃弾など発射されてからでも避ける自信があるので彼の歩みに躊躇いはなかった。
そして撃ちたくとも撃てないというジレンマに奥歯を噛み締めるリグレットは、部下の信頼が既に費えていることに気付いていなかった。
「で、僕としてはこの場をどうにかして穏便に納めたいんだよね。何かいい方法はを考えてくれないかな? そういうの得意でしょ」
貴方も神託の盾(オラクル)の参謀でしょう、というジェイドの思いは置いておいて。
「イオン様」と背後に目配せすれば、導師イオンは「そうですね」と少しだけ考えるふりをする。
「導師の権限で破門にしましょう」
導師の言葉をどれだけの人間が瞬時に理解できただろうか。少なくとも破門を言い渡された二人は己のことであるとは理解できていないようである。
「ふむ」と小さく頷いたジェイドは場にそぐわない明るい声で敵である神託の盾兵たちに話しかけた。
「みなさ~ん。このお二人をご存知ですか?」
ジェイドの突然の発言に虚をつかれる神託の盾兵たち。それはリグレットもラルゴも同様だった。
しかし一般兵の中にも察しのいい者はいるものである。
「教団の裏切り者」とか「脱走兵」とかそんな声があちらこちらで囁かれる。
つまりリグレットとラルゴは教団を裏切り、導師に仇なす者。自分たちは彼らに騙されていただけで、導師やマルクトに敵対するつもりはないのだ、と。
できの悪い生徒を誉めるように、ニッコリと笑い手を叩くジェイド。ジェイドの本性を知らないのだからその笑みの意味に気付ける神託の盾兵などいはしないだろう。それよりも自分たちの活路を見出してくれた恩人扱いである。
「はいは~い。では皆さん。導師襲撃犯の逮捕に協力してくださいね~。と言いたいところですが、危ないですから離れていてください」
一般兵を退避させ、リグレット捕獲に乗り出すジェイド。
「教官が教団を裏切っていただなんて」
ティア参戦。ナタリアは相変わらず「微力ながらお手伝いいたしますわ」と言いつつラルゴを攻撃しているのは何故だろう。ティアの加勢であるならば攻撃相手はリグレットだろうと思いはしても突っ込める強者はいなかった。
この時点でリグレットを切り捨てればラルゴにも活路はあった―――導師は誰を破門にしたか明言していないので、自分もリグレットに騙された被害者だと言えばそれを否定することは難しい―――のだが、リグレットを同志と認識しているラルゴにはそれはできなかった。もちろんジェイドと戦ってみたいという思いもある。こんな時に自分の趣味を優先させるのだから、ただの戦闘馬鹿だと思われても仕方がないだろう。
ルークとイオンは相変わらずオロオロしていた。
この二人は台本を読んだのか、とは物陰で見物中のアッシュの抱いた感想だった。
アニスとアリエッタはイオンとルークの護衛をしつつ、やはり見学中の一般兵が巻き込まれないように周囲に対する警戒を怠らなかった。
ルークは自分も参戦するつもりだった。それができなくても、一般兵を守るぐらいのことはするつもりだった。しかし「ルークが参加するとアッシュがしゃしゃり出てきてしまいますので、しっかり見張っていてくださいね」とジェイドに言われていたアニスが、戦闘開始と同時にトクナガでルークを捕獲したため、彼は今回も見学組に回されてしまったのである。
「何、高みの見物を気取っているのですか。貴方は手伝ってくださいね。参謀総長殿」
「仕方ないなぁ~」
シンク参戦。
ルーク・アッシュ・イオン・神託の盾騎士団の一般兵たちが見守る中、ティア・シンク対リグレット、ジェイド・ナタリア対ラルゴの戦いが始まる。
アニスとアリエッタとミュウはいつでも参戦できる状態で待機していた。
数十秒後、勝敗は呆気なく決した。
死ぬまで鍛錬を怠らなかった人間が若い肉体を得たのである。はっきり言ってその戦闘能力は反則と言われても仕方がないものだろう。シンクは己が闘う必要なんてなかったのではないかと思ったが、ティアが詠唱を終えるまでのリグレットの足止め役として駆り出されたのだろうと気付いていたので文句は言わなかった。棒術でも倒せたということは言わぬが花というものだろう。
封印術(アンチフォンスロット)を使う隙をラルゴに与えず、二人を捕らえることに成功したジェイドたちは、リグレットとラルゴをタルタロスの牢に収容。
リグレットとラルゴはダアトに護送後軍事裁判に掛けるので今回のことは胸の内に収めてほしい、というシンクの申し出をジェイドは快く承諾し、罪人の護送にも協力することを申し出た。タルタロスは現在イオンとルークをバチカルに送り届ける任務の真っ最中なので、先にキムラスカとの国境へ向かわなければならなかったが、タルタロスをキムラスカ領内で走らせるわけにもいかないので、国境で下船後艦の指揮権をシンクに預けるということで話がまとまったのである。この遣り取りがすべて事前に決まっていたことで、今ここで決定したように見えるのは目撃者に選ばれた神託の盾兵たちに対するパフォーマンスでしかない。
しかし困ったことに戦闘中にリグレットが発砲した弾が操縦桿に当たりタルタロスは走行不能であることが直後に判明。修理はそれほど大変ではないのだが、修理できる人間は第一陣と共に避難してしまっていたのだ。
「困りましたねぇ~」
台本にはない出来事。困った時は困った顔をして欲しいというのがジェイド以外の共通の思いである。
「アリエッタ、迎えにいってくるです」
アリエッタが整備士を連れてきてくれると言うので、当初の予定より早かったがタルタロスをシンクに預け、ルークたちは徒歩でバチカルへ向かうことになった。もちろん全行程徒歩で移動するなんて馬鹿な真似をするつもりはなく、セントビナーで馬車を用意するまでの徒歩の旅である。
「イオン様を歩かせるんですか?」
アニスは導師守護役として立派に成長していた。
ルークとナタリアを歩かせることにはアッシュも不満そうである。
「お友たちに乗っていくといいです」
アリエッタの提案に目を輝かせるルークとイオン。ナタリアも心なしかワクワクしていないだろうか?
徒歩の方がまだマシだ、とアッシュとアニスは思う。
結局、アリエッタという通訳がいない状態では不測の事態に対応できないだろうということで、魔物に騎乗することは却下となった。
「通訳なら僕がいるですの~」
ミュウの提案は華麗に黙殺された。
「まあまあ、イオン様には貴方のトクナガに乗っていただきましょう。ルークもご一緒にどうですか?」
タルタロス甲板上での苦い経験からか、謹んで辞退するルークだった。
ところで、そのころガイはどうしていたかというと。
タルタロスを無事発見することができたガイは艦が停止するまで並走していたようである。たぶん馬などを使って追いかけてきたのだろう。減速中であったとはいえ人間の足でタルタロスに並走は不可能だと思うのだが、パーティー内最速を誇るガイならありえるかもしれないとルークだけが考えていた。
タルタロスが完全に停止し、マルクト兵たちが出てきた時に昇降口(ハッチ)から乗り込むことができたのならよかったのだが、ガイがジェイドたちと知り合いであるということを知らない兵たちが、部外者がタルタロスに入ろうとするのを黙ってみているはずがない。力尽くで押し入ることもできず、ガイは死角になる場所から甲板によじ登るしかなかった。それに思っていた以上に時間がかかってしまったのだろう。ガイが甲板にたどり着いた時、そこは静かなものだった。
甲板でのゴタゴタが一段落し、艦内ではリグレットとラルゴを牢に閉じ込めたり、こちらに協力的になった神託の盾騎士団の一般兵たちに事情を説明したりしていたのだが、ガイは知る由もなかったので、甲板の片隅で自分の見せ場の訪れを今か今かと待ち侘びていた。
今ごろルークたちは牢の中だろうか?
登場のタイミングはリグレットがイオンを連れて戻ってきた時がいいだろうか、ルークたちが非常昇降口(ハッチ)をから出てきたところがいいだろうか、それともピンチに陥った時に颯爽と登場するのがいいだろうか。
かつてと同様に華麗―――と思っているのは本人のみである―――に参上し、「ガイ! よく来てくれたな!」と満面の笑顔で抱きついてくるルークを想像し、一人悦に入っていたのだ。
ガイは色々なことを失念していたようである。
彼の幸せな夢はすべての昇降口が開いた瞬間に終演を迎えた。
昇降口から出てくるのは神託の盾兵ばかりである。
彼らは一縷の隙もなく整列し何かを待っているようであった。
ここで漸くガイは物語が自分の記憶とは違う道筋を歩んでいたことを思い出すのである。
六神将の三分の二が味方だったなだとか、リグレットとラルゴに今のルークたちが捕まるはずがないよなだとか、イオンの身体の負担になるようなことをさせるはずがないよなだとか。
最後に昇降口から出てきたのはガイが待ち侘びた人物だったが、若干名余計な人間も一緒だった。
「ダアトまでの道中、お気をつけください。ローレライとユリアの加護がありますように」
「はっ」
イオンの言葉に頭を下げた兵たちは、隊列を崩すことなく北西へと向かって歩きだした。
登場のタイミングを失ったガイはどんな顔で出て行けばいいのだろうと頭を悩ませるが、いつまでもこうしていては置いて行かれかねなかったので、かつてと同じように甲板から飛び降りた。
空中で一回転。着地も完璧である。
「みんな。無事だったか」
ジェイドは額に手を当ててあらぬ方向を向く。
ティアは大きな溜息を一つ。
アニスは「何してんの? ガイ」と呆れ顔だ。
ナタリアは「お見事ですわ」と手を叩いて喜んでいる。
イオンはガイが甲板から飛び降りてきたことにはまったく触れず「お久しぶりです」と嬉しそうに挨拶した。
ルークが「ごめん」と謝ったのは、そういえばガイの見せ場だったな、と申し訳なく思ったからなのだが、ルークが謝ったことでアッシュが切れた。
「貴様、よくも」
抜刀し追いかけられる理由が思い当たらないガイ。突然始まった鬼ごっこを羨ましそうに眺めるルーク。
ジェイドは溜息を一つ吐いて無視することにしたようである。
「楽しそうですし、置いていきましょうか」
歩き出した一行を慌てて追いかけるアッシュとガイ。
せめて馬を逃がしていなければ、ガイの評価はもう少し上がっていたかもしれないが、それももう後の祭だった。もしかしたら最初から馬などなかったかもしれないが、とにかく身一つで合流した―――それもすべてが終わってからである―――ガイに周囲の反応は冷たかった。
「使えねぇなぁ」
「使えない人ですねぇ~」
アッシュとジェイドの意見が珍しく一致した瞬間である。
感動の再会をイオンとアニスに先越されてしまい、悔しがるアッシュ。その上再会の抱擁を交わそうと駆け出しても、それさえミュウに先越されてしまったのである。
「ご主人様ですの~」
アッシュの足元にいたミュウはミュウアタック並み勢いでルークの胸に飛び込んでいったので、人間の足ではそれに敵うはずがなかった。
ルークも久しぶりの再会に嬉しそうにミュウの頭を撫でている。ルークが嬉しそうなのでしばらくは我慢していたアッシュだったが、まぁ数分とはいえ我慢できただけ上出来というべきだろうか。ティアの一撃で地面とお友たちになる運命が待ち受けているとも知らずに、ミュウの耳を掴んで後ろに放り投げたのだった。ティアとナタリアにボコられた理由がミュウのことだけではないということをアッシュが知らないままでいられたことは、幸だったのか不幸だったのか。
アッシュが戦闘不能に陥ってオロオロするのはルークだけである。
「とりあえずレイズデッドか?(でも、治癒術が使えることは隠しておけってアッシュが言ってたし)」
ライフボトルという選択肢を思いつかないあたりがルークらしいと言えば、らしいと言うべきだろうか。
実はナタリアがこっそりリヴァイブを唱えた後のティアとナタリアの奥義だったのだが、ルークはそのことに気付いていないので、地面と仲良くしているアッシュを心配してその傍らにしゃがみ込んで動こうとしなかった。ルークの意識が自分にだけ向けられている状況が嬉しいのでアッシュは戦闘不能のふりをしているのである。
「いつまで寝たふりをしているおつもりですの? そんなに地面がお好きなのでしたら、今度はアストラル・レインをお見舞いして差し上げましてよ。アッシュ」
それ秘奥義だから。もうリヴァイブの効果切れているから。
さすがにアッシュもこれ以上戦闘不能のふりをしているのはヤバいと思ったらしい。
一方アッシュを地面に沈めて満足したティアは、馭者との交渉を再開した。もっとも主に交渉をしているのはアニスである。
ジェイドにペンダントを買い戻してもらおうとしていたのだが、チーグルの森に行っていて不在。仕方がないのでイオン―――財布の紐はアニスががっちり握っていた―――に金を借りようとしたら、アニスが勝手に値段交渉を始めてしまったのだ。言い値で買い取るなんてアニス的にはあってはならないことである。馭者が「話がちがうじゃないか」と交渉には応じず別の買い手を探そうかと考えたところで、ティアから事情を聞いたジェイドが口を挟んだ。
「なるほど、そういうことでしたか。それで、私はそのペンダントをいくらで買い取ればいいのですか?」
眼鏡の奥で赤い瞳がキラリと光る。
馭者はアニスが提示した値段でペンダントを手放すことを快く承諾した。
ジェイドの笑顔に何かを感じ取ったようである。ルークは心配していたが、彼は意外と長生きできる性質(たち)なのかもしれない。
エンゲーブ村でローズの手作りシチューに舌鼓を打ちながらの作戦会議は、三国のトップクラスが終結しているとは思えないようなほのぼのとしたものだった。その光景を目にしたエンゲーブの人々は我が目を疑ったが、誰に言われるでもなく沈黙を誓ったようである。一応ジェイドがエンゲーブの人々に対して緘口令を発令したのだが、必要なかったのかもしれない。
導師が行方不明という情報を耳にしているものはいなかったが、アニスはモースから導師の行動について逐一報告するよう命じられていたので、ダアトを発つ前に『イオン様に誘っていただいたので、ちょーっと一緒にお出掛けしてきま~す。信頼できる軍人さんが付いていますので、心配しないでくださいね。目的地に着いたらまた連絡します。お土産楽しみにしていてくださいvv』などという、これは報告書と呼んでいいのか頭を抱えたくなるような手紙をなるべく遅く届くルートでバチカルに送ったので、そろそろイオンが外出したことをモースが知っていてもおかしくはないころだった。
アニスの名誉のために彼女はまともな報告書も書けるようになったということを明記しておこう。このふざけた報告書はモースに対する嫌がらせが半分、頭の弱い小娘だと思わせて油断させるためが半分である。アニスの演技の賜物かそれともモースが浅はかなだけか、彼女が二重スパイであるとは欠片も疑われてはいないようである。
ルークたちがバチカルを発つ直前のヴァンにイオンのダアト不在を知っている様子は見られなかった。
モースの方はどうだっただろう、とナタリアに視線で問うが、ナタリアは大きく頭を振った。
「城に来た直後からモースはお父様と執務室に篭りっきりでしたわ」
王女である自分と対面した時の挨拶もお座なりであった、とナタリアは憤慨した。
モースはナタリアが王家の血を引かないと知っているからそういう態度なのだろう。しかし預言によって王女となったナタリアに王女に対する敬意を払わないということは、預言を蔑ろにしていることと同意であるとは思わないのだろうか? 何よりも預言通りであることを求める男の矛盾した行動。それこそが預言がいかに脆いものであるかの証明であるように思えてならなかった。
モースがイオンの不在を知れば、キムラスカ国王とのユリアの預言に関わる大事な相談事の最中であったとしても、優先順位は入れ替わるだろう。そしてモースからヴァンに、ヴァンから六神将に導師探索の命が下されるはずである。あるいはヴァンを通さずモースが神託の盾(オラクル)騎士団に直接命令をするか。
もっとも現在六神将の一人である鮮血のアッシュは導師と共にあり、特務師団員はそのことを知っていたので、モースあるいはヴァンから命があったとしても、命令の真偽を確かめることに優先しモースの指示する場所を不用意に襲撃したりはしないだろう。特務師団員に師団長の言葉よりモースの命を優先させる者などいないとアッシュには確信を持って言えた。
妖獣のアリエッタ、疾風のシンク、死神ディストとその配下についても同様である。
ヴァンの命令に無条件に、あるいは多少の疑いを持っていたとしても従うのは魔弾のリグレットと黒獅子ラルゴの二人とその配下のみと考えてよい。しかしその二人こそが問題だった。
「全然違う場所を報告しちゃいましょうよ」
アニスの提案にジェイドが異を唱える。
「そろそろ彼らにも自分たちが誰を相手にしようとしているか、教えてあげてもよい頃合です」
何を企んでいるのだろうか。
どうせ碌でもないことを考えているに違いない。
賢明にも誰も声に出すことはなかったが、それはルークとイオンを除く全員の共通する認識だった。
タルタロスはかつてと変わらぬルートでカイツールを目指していた。
エンゲーブでルークと出会わなかったとしたら、六神将の襲撃に遭い艦を失うことがなかったとしたら、ジェイドはタルタロスでバチカルに乗り込んだのだろうか。そんな真似をすれば和平の成立の支障になるは思わなかったのだろうか。
知識も常識も足りなかった当時のルークは気付かなかったが、今の彼は違う。そして知らないことを聞くのが恥ずかしい、などという下手なプライドが邪魔をすることもなくなっていたので、わからないことは素直に聞く、仲間たちになら聞いてもいいのだと思えるようになっていた。
「いや~お恥ずかしい限りです」
それは導師の安全を考慮しての選択であったのだが、戦艦で敵国に乗り込むということが和平の使者としての配慮に欠けていたことはジェイドも認めざるを得ないことだった。なので、かつての残りの人生―――ジェイドは残りの生を主に研究者として過ごしてはいたが、世界を救った英雄の友であり、各国の上層部とも顔見知り以上となっていたため外交の仕事にも携わっていた―――と今回のやり直してからの七年間で磨いた外交官としての常識は、タルタロスでの移動はカイツールの砦までが無難だろうとの結論を出す。そこから先は馬車―――キムラスカ側に用意してもらえれば良いが、無理でも民間の物を使うべきだろう―――を仕立てて、とも。もっともこちらの予想通り襲撃があれば、タルタロスでカイツールの砦まで行くことはできない。早々にタルタロスを降りることになるだろうこともジェイドにとっては想定の範囲内のことだった。
そして予想通りと言うべきか、襲撃者はかつてと同じく空から現れたのである。
注意すべきはリグレットとラルゴ、そしてその配下の神託の盾(オラルクル)兵のみだった。こちらの被害を最小限に抑えることと、アッシュの真意をヴァンに悟られないようにすること、それがこの襲撃で気をつけなければならないことである。
「前方二十キロ地点上空にグリフィンの集団です。近づいてきます」
客室に響く艦長の声に焦りはなかった。
「ふむ、予定通りですね。―――タルタロスを停止させた後、総員はすみやかに退避してください」
続いて響くジェイドの声も落ち着いたものだった。
「行くぞ」
久しぶりの二人きりという時間を満喫していたアッシュとルークは、名残惜しそうに距離を取ると、素早く身支度を整え始める。
アッシュはマントのフードで髪を隠すと、素顔を隠すための仮面を付けた。
それを残念そうに見つめるのは、真剣を背中に括り付けようと悪戦苦闘中のルークである。
「護身用として以外では使うな」と言ったところで無駄なのだろう。
先に自分の支度を終えたアッシュは、この剣がルーク自身を傷付けることがないよう祈りながらそれを手伝ってやる。だから知ってしまった。ルークの身体がわずかに震えていることに。
突然手が止まったアッシュに、自分が震えていることに気付かれたことにルークも気付いたようだった。
「大丈夫だから」
久しぶりの人間を相手にする実戦に対する緊張と恐怖。それでも気丈に笑ってみせる半身が誇らしくて、アッシュは思わずその背を抱きしめていた。
その暖かく力強い腕にルークは緊張の糸を解く。
どちらも離れ難く、第一陣到着の放送が艦内に流れるまで二人はその姿勢のままであった。
タルタロスの甲板に降り立ったアリエッタは開口一番「ごめんなさい」と頭を下げた。
リグレットとラルゴを止められなかったことに対する謝罪だった。
シンクも言葉尽くしてくれたのだが、二人は止まらなかったのだ、と。
ちなみにディストは現在行方不明らしい。
「おやおや、一人だけ楽をするつもりでしょうか? これは躾け直す必要があるようですね」
ディストの運命やいかに? 暗雲が立ち込めていることはまず間違いないだろう。
ここで各師団の動向を確認しておこう。
第一師団は師団長ラルゴの命を受け、導師イオン奪還のために出陣した。移動用の魔物はアリエッタと第三師団員たちの制止を振り切っての無断借用である。
第二師団は行方不明の師団長ディストを探索中である。それがディストの狙いだったわけではないとは思うのだが・・・・・・真相を知るのはディストだけだった。
第三師団の団員たちの通常任務は魔物を軍事用に訓練したり魔物の世話をしたりすることなので、実戦へ参加することはない。そのためその戦闘能力も他の師団に比べると著しく低いものだった。それが災いし今回は厩舎に強引に押し入った第一と第四師団の団員たちに魔物を強奪されてしまったのである。これを機に彼らが戦闘訓練に積極的に参加するようになったというのはまた別の話だった。アリエッタは手塩にかけた魔物たちを取り戻すために単独で第一・第四師団を追いかけていった。
第四師団は師団長リグレットの命を受け、第一師団と共に導師イオン奪還のために出陣。
第五師団はダアトを空にするわけにはいかないと、シンクがリグレットとラルゴを言い包めて警護のためにダアトに残した。団員たちに一通りの指示をした後、アリエッタに借りた魔物を使いシンクもまたリグレットとラルゴを追った。ダアトに残るよりもタルタロスの方が楽しそうだから、というのはどこまで彼の本音だったのだろう。
第六師団はヴァンに嫌われて以来辺境警備に従事していた。今回のことも師団長であるカンタビレの耳には届いていないと思われる。
特務師団はダアトを立つ前に導師イオンとアッシュから事情を聞かされており、モースやヴァンが何か誤解しているとラルゴやリグレットに訴えたのだが取り合ってもらえず、とりあえず現状をアッシュに報告するために導師奪還部隊に加わったのだった。
そうなることは予想済みであったとはいえ、皆の心中は複雑だった。特にアッシュ、ティア、ナタリアの三人は苦虫を噛み潰したような表情になる。
「さあさあ皆さん。パーティーの始まりですよ。忠告を無視したらどういう事になるか教えてあげましょう」
「そうですよ。ちょ~と、痛い目に遭えば考え直すかもしれないじゃないですか」
ジェイドとアニスが楽しそうなのは、ディストとアリエッタが改心(?)済みだからだろうか。
第一・第四師団に追いついたアリエッタは、魔物たちにダアトに戻るように命じた。乗り手の命令とアリエッタの命令の違いに混乱する魔物たちの統率は乱れ、失速していく。特によく訓練された魔物ほどそれは顕著だった。そのためラルゴとリグレットが乗る魔物は他団員たちから見る見る引き離されていった。それでも振り落とされないのは流石と言うべきか。
タルタロスに到着した第一陣は一般兵のみだった。彼らはタルタロス到着と同時に自分を運んできたグリフィンたちにより昏倒され―――乗り手がいなくなった魔物たちはアリエッタの命令に従順だった―――ジェイドが退避を命じておいたマルクト一般兵に護送されタルタロスを下船させられた。一部の事情を知る神託の盾(オラクル)兵―――特務師団員たちは自主的に撤退している。その時たまたま隣にいた他の師団に所属する同僚を強制的に連れて降りる者もいた。
現在上空に待機しているのは、リグレットとラルゴ、それから第一陣から漏れた憐れな神託の盾兵数十名だけだった。
「彼らには目撃者になっていただきましょう」
ジェイドが何を企んでいるのか、薄ら寒いものを感じて一歩引くのはアッシュ・ティア・ナタリア・アニスの四人である。無事アリエッタと再会できたことを無邪気に喜ぶルークとイオン、それからミュウはジェイドの表情の変化に気付くことはなかった。ある意味幸せなお子さまたちである。