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ジェイドとアスランの努力の賜物か、あるいはピオニー自身が頑張ったからなのか、かつてよりも早くピオニーはマルクト帝国皇帝となった。ちなみにピオニーも逆行していたということは即位して初めて明かされた事実である。ピオニーの方はジェイドとアスランの自身の即位に関わる活躍から彼らが未来を知るモノであるとの当たりはつけていた。
ジェイドのキムラスカ亡命計画はピオニーが身を挺して阻止したようである。
「おまえが亡命するっていうなら、俺もついていくからな」
皇帝自ら他国に亡命してはまずいと、ジェイドであっても諦めざるを得なかった。
そしてもう一つジェイドがマルクトに留まらなければならない理由が出来てしまったのだが、もしかしたらそちらの方が影響力があったかもしれない。
ピオニーがネフリーを諦めていないのである。
ルーク誕生以降預言を詠むことが難しい世界になったため、ネフリーの結婚に関する預言も詠まれていなかった。かつてのネフリーが不幸だったとは思わないが、自分の方がもっと幸せにする自信があると、オズボーン子爵との結婚話をピオニーが握り潰したのである。
「職権乱用も甚だしいですね」
ジェイドの嘆息も何のその。そんな事でめげるようでは幼馴染なんてやっていられるか、とピオニーは強気だった。
「俺はネフリーと結婚するぞ」
ジェイドにそう宣言して秘奥義を食らおうとも、ピオニーの決意は揺らがなかった。
「その件に関してはすべての問題が片付いてから考えましょう」
ジェイドも最終的には結婚を許すことになるだろう―――ピオニーのことだからジェイドが許さずとも勝手に結婚するだろう―――とわかってはいた。色々終わってからと問題を先送りにするぐらいしかジェイドにできる抵抗はなかった。ヴァンやモースのこと、レプリカ、障気、等々よりもジェイドにとっては頭の痛い問題が生じた瞬間だった。
「ネフリーの婚期が遅れるのは不本意なのですけどね」
ジェイドが胸の内をピオニーに明かすことはないだろう。知った瞬間にピオニーが結婚式を挙げかねないからである。
一方ピオニーの目下の悩みはジェイドを「兄さん」―――あるいは「兄上」「兄貴」でも可である―――と呼ばなければならないことだけだった。
さてここで、今までの経緯をおさらいしておこうではないか。
まずはマルクトである。
逆行しているのはジェイド、ピオニー、アスラン。
協力者はネフリーぐらいだろうか? アニスの両親はマルクト国内にいるが、現時点では協力というよりジェイドの保護下で立派な親となるべく更生中である。マルクト軍は逆行組三人が掌握しているので、事情は知らずとも協力せざるを得ない状態だった。もちろん反対勢力がいないわけではない。貴族院の一部や預言遵守派などが目障りだったが、ピオニーは象に集る蟻ぐらいにしか思っておらず放置していた。
「蟻を放置して取り返しの付かないことになっては困りますからね」
しかしジェイドは蟻にも容赦がなかった。
ほら白蟻なんか放置しておくと家を壊すこともあるじゃないですか、まぁ白蟻は蟻じゃないですけど。
次にダアトである。
逆行しているのはアッシュ、ティア、アニス。
協力者はオリジナルイオン、アリエッタ、ディスト。アリエッタはイオンによって引きずり込まれたようである。ディストも協力者と言っていいものだろうか? 利用? まぁ本人幸せそうなので問題はないだろう。
時々ルークが遊びに来ているようだった。本人はアッシュのふりをしているつもりなのだが、事情を知るモノにとってその違いは明らかである。
ルークがアッシュのレプリカであることは未だイオンには内緒だったが、レプリカイオンたちの誕生の時期が迫っていることもあり、そろそろ打ち明けようかとアッシュたちは考えていた。
ヴァンとモースがイオンのレプリカを作ろうとしていることなどはティアとアニスが探ってきたということにしておけば誤魔化せるだろう。レプリカイオンたちに会いたい逆行組はどうやってイオンを丸め込もうかと必死だった。ヴァンとモースの企みを阻止することは難しい、なんて理由でイオンは納得してくれるだろうか?
とりあえずレプリカに対する間違った知識をヴァンやモースから植え付けられる前に、ルークがレプリカであるということを教えることにした。イオンがレプリカをどう思うか、すべてはそれを確認してからである。
アッシュとルークの関係を見ていた所為か、イオンのレプリカに対する認識に偏見はなかった。いやちょっと別な方向に偏見があるような気がしないでもない。
「レプリカというのも悪くないね。むしろ面白そうなんじゃないの」
何が面白そうなのか色々と不安になるが、気付かないふりをしていた方が賢明だろうか。
ジェイドが立てたイオンに死の預言が詠まれたことの仮説も隠すことなく説明した。この三年近くジェイドもディストも頑張ったのでレプリカ情報採取時の危険性などはかなり低くなっているはずである、と。
「今なら死の預言が詠まれることもないだろう。なんなら試してみるか?」
その確信はどこからくるのだろう。アッシュはけっこうチャレンジャーだった。仮説が間違っていて死の預言がまだ残っていたらどうするつもりだったのだろう?
「少し考えさせてもらうよ」
本当に少しだった。
自室に篭って一時間もしない内に出てきたイオンは晴れ晴れとした笑顔でレプリカ情報の抽出に同意したのである。
死の預言はもう詠まれていなかったのだろうか? それとも預言を詠むために篭ったのではないのだろうか? イオンが自室で何をしていたのか明かすことはなかったので、そこは謎のままである。
一連の作業は他の研究者やヴァンやモースを締め出し、ジェイドとディストが行うことになった。
ピオニーの皇帝即位後、ジェイドは時々ダアトを公式訪問していた。キムラスカ亡命の野望が断たれた今、ルークに会える可能性があるのはここだけだったので、無理やり用事を作っていると言っても過言ではないだろう。
ジェイドのダアトでの肩書きはピオニーの即位式で知り合った高名な医者ということになっていた。グランコクマ訪問時に世話になりイオンに気に入られ主治医に任命されたのだ。もちろんアッシュたちの口添えがあってのことである。
マルクト軍所属なのでイオンに付きっ切りというわけにはいかなかったが、月に一度は診察のためにダアトに訪れていた。ジェイド的にはイオンに付きっ切りでもよかった―――ダアトにいる方がルークに会える可能性が増すし、ダアト常駐ならローレライロードを使ってのファブレ家訪問も容易いからである――――が、ピオニーが阻止したのだ。ジェイドがいないと困るからというよりも、「おまえにだけいい思いをさせてたまるか」というのがピオニーの本音だった。
最後はバチカル組である。
逆行しているのはルーク、ガイ、ナタリア、ジョゼット。
協力者はシュザンヌ、ペール、ファブレ家のメイドたち、新白光騎士団(仮)。
捏造した預言を信じたクリムゾンは、白光騎士団やラムダスたち供なってベルケンドに駐留していた。
インゴベルトや預言遵守派の重鎮に関してはナタリアが頑張ってはいたが、芳しい成果は得られていなかった。最終的にモースよりも自分を選ばせるために、ナタリアはインゴベルトとの素敵な親子関係を築く努力を怠ったりはしていないが、以前のような何も知らない無邪気な王女様を演じることはできなかったので、国政にも首を突っ込めるだけ突っ込んだ結果、国民の王女人気は以前よりも上昇していた。その所為で国の重鎮の中にはナタリアを煙たがる人間も多くいた。しかしナタリアはめげなかった。今回は王女様のままごと政治ではないので邪魔しようにも簡単に邪魔できるものでもないだろう。
ガイとジョゼットが従姉弟同士、つまりガイの本名がガイラルディア・ガラン・ガルディオスであることはシュザンヌにのみ明らかにされた。宝刀ガルディオスはシュザンヌに返還してもらい現在ファブレ家に飾ってある剣はイミテーションである。
アッシュは暇があれば、というより無理やり暇を作ってはローレライロードを使ってファブレ家に帰省していた。ルークに勉強や譜術を教えるためだとか、剣術の稽古のためだとか言っているが、本音はルークとシュザンヌに会いたいだけではないか、と。いやガイやナタリアにも会いたいとは思ってはいるだろう。優先順位が低いだけで。
アニスも時々アッシュにくっついてファブレ家を訪問した。
ティアも非公式に訪問する時はローレライロードを使用していたが、ナタリアの要請で公式訪問することも度々あった。
ティアとナタリアはルークの治癒術の師匠(せんせい)である。アッシュも時々教わっているのだが、不本意だということがありありとわかる顔だった。それでもルークから教わるよりはマシなのだろう。最初は便利連絡網でこっそり勉強風景を覗いていたのだが、ローレライに盗み聞きしていることをバラされて諦めたのである。アッシュとルークが治癒術を勉強しているのは第七音素を無尽蔵に使えるのは自分たちのみなので、自分が覚えなければいけないと思ってのことだった。
少々マルクト組には不便であったが、逆行組の作戦本部はファブレ邸となった。
バチカルとダアトはローレライロードで直通である。またローレライロードを使わなくてもティアだけは比較的自由にバチカルに出入りできた。ティアとナタリアの友人付き合いはインゴベルトも認めていることであるからだ。
どちらかを選ぶというのであれば、敵の多いダアトよりもある意味治外法権となっているファブレ邸がよいだろう。クリムゾンを追い出した後のファブレ邸はインゴベルトやクリムゾンをどうしても拒めなかった時のために色々な改造―――ローレライの力と創世記時代の技術、ジェイドの譜術、ディストとガイの譜業、ピオニーの実績を惜しみなく使用している―――を施しているためさながら忍者屋敷のような有様だった。隠し部屋や隠し通路は当然標準装備である。
マルクト組への連絡はダアト組が請け負った。
ジェイドとイオンの主治医と患者の関係が公式なものだったので、検閲なしで伝書鳩のやり取りが可能だったのだ。緊急時にはアリエッタの魔物も使用してジェイドをダアトに招くことも可能である。アニスも両親がグランコクマにいるので、両親宛に見せかけて手紙を送ったり、里帰りと称してグランコクマを訪れたりしても、モースたりに怪しまれることはないだろう。
アッシュ、ルーク、ローレライには便利連絡網もあったし、ティアはローレライを召喚して赤毛二人に言葉を伝えてもらうことができたが、直接会えるようになってからはそれらが使われることはあまりなかった。
イオン十二歳の年、予定通り―――というか、かつて同じに―――イオンのレプリカたちが作られることになった。
かつてと違うことは作られたレプリカは三体のみであることと、オリジナルが無事だということである。しかしモースとヴァンには第七音素の不足を理由に成功したのは一体のみ、オリジナルはレプリカ情報採取のショックで死亡と報告しておいた。
イオンのレプリカである三人は予想通り全員逆行していたので、できたでほやほやから自我があった。刷り込みは不要だったがヴァンたちには刷り込みをしたと伝えておけば問題ないだろう。
レプリカイオンやフローリアンは現状を説明され協力を快く承諾。シンクは思いっきり抵抗したが、結局はオリジナルイオンに丸め込まれて協力することになった。オリジナルイオン最凶伝説はここでも健在である(笑)。
レプリカイオンはかつてと同様導師に就任した。預言を詠むことはできるが、身体が弱いので過度の使用は控えるようにと注釈をつけてモースに引き渡したのだが、まぁそれでも無茶をさせるのがモースである。ぶっ倒れたイオンの介抱はアッシュの役目だった。
「彼が傍にいると身体がとても楽なんです」とレプリカイオンはアッシュを傍に置くことを望んだ。不思議なこともあるものだが、そういえばオリジナルも似たようなことを言っていたことをモースは思い出し、そういうこともあるかもしれない、と思った。モースは預言さえ詠めるのであれば細かいことを気にしなかったのだ。なので、導師が入れ替わった後もアッシュは導師付きのままである。特務師団もイオンの私兵のまま据え置かれることになった。
オリジナルイオンはローレライロードを使ってバチカル・ファブレ公爵家へ避難した。一緒に行きたがったアリエッタはイオンの願いでダアトに残ることになった。ローレライロードを使ってファブレ家に入り浸るつもりでいたアリエッタだったが、それはアッシュも同様である。二人はどっちがファブレ家に行くかで毎日揉めてばかりだった。二人揃って不在は目立つだろうし、レプリカイオンの護衛やらヴァンたちの動向の監視やらとダアトでやらなければないことも山積しているので、どちらかは残る必要があったのだ。
フローリアンはジェイドと一緒にグランコクマへ行き、アニスの両親に預けられた。アニスの里帰りの回数が増えたのは言うまでもないだろう。
(アニスはレプリカイオンとフローリアンの間で板挟み状態だった。頑張れアニス! → 解決策は考えていません。自力で頑張ってもらいましょう/苦笑)
シンクはディストに引き取られた。折を見てヴァンにその存在を洩らし、六神将入りする予定になっていた。
「失敗作なので研究用に私が引き取ったのです。何か問題がありますか?」
ヴァンがシンクを受け入れるかどうか、それはすべてディスとの演技力にかかっている(笑)
ヴァンは相変わらずファブレ家への出入り禁止状態にあった。
やたらと自分に協力的なティア―――もちろん演技である―――からルークの状況は教えてもらえていたが、このままではルークに暗示をかけることはできない。
立派な監視者となってしまった―――少なくともヴァンの目にはそう見えた―――ティアに預言にないことをしようとしていることを明かすことはできなかった。預言成就のためと言えば、ルークをアクゼリュスに連れて行くことまでは協力してくれるだろう。しかしそれ以降のことは難しいのではないか。
ファブレ家に復讐のために潜入しているガイの方が己の共犯者には相応しいのではないか。
ヴァンは自分の考えが間違っているとは微塵も思っていなかった。
ガイはヴァンたちの動きを知るために共犯者になったのである。
ファブレを憎むガイの顔が演技であるなんて欠片も疑っていないヴァンに勝機などあるはずがなかった。
預言遵守派―――インゴベルト、クリムゾン、モース―――はファブレ家内の様子、特にルークの状態を知りたがっていた。
ナタリアの出入りは自由だったが、ファブレ家の様子を尋ねてもどこかズレた答えしか返さないので内情を探る上では不向きだったのだ。それは一応ナタリアなりの演技らしいのだが、ナタリアは素でもズレていたので演じなくても問題はなかった。ティアはナタリアと一緒であればファブレ家に出入りできたが、そうちょくちょくバチカルに来られるわけではないので、やはり不十分である。
メイド、コック、執事、家庭教師、警備兵、医者、曲芸師、音楽家、と手を変え品を変えファブレ家へ送り込んでみたがすべてシュザンヌに門前払いされてしまったのだ。
「そろそろ剣術の稽古を再開してはどうだ」という夫と兄の言葉もシュザンヌにより却下されていたので、以前ルークの剣術指南役としてファブレ家への出入りを許されていたヴァンも現在は出入り不可能だった。
そこでヴァンはガイに執り成してもらうことにしたのだ。
ガイはファブレ家でシュザンヌの信頼を勝ち得ていたので、シュザンヌも彼の提案を受け入れルークの稽古は再開されることになった。
ヴァンには恩着せがましく報告しておいたガイであるが、もちろん真相は遥か掛け離れたところにある。いや、ガイは確かに信頼を勝ち得ていたし、シュザンヌがそのガイの提案を受け入れたのも事実であったが、ヴァンのファブレ家出入りを許可したことには裏があるのである。
シュザンヌの態度が軟化した理由を預言保守派が知ることはなかったが、ヴァンを送り込むことができただけでも御の字と彼らがそれを追求することはなかった。もし追求していたのであれば、彼らの勝機も少しは残されていたかもしれないが、今となってはそれも後の祭りだった。
そしてヴァンもまた己の剣術指南役復帰がガイの執り成しのおかげであると信じていた。
「そろそろルークとヴァンの接点を設けもよい頃合かもしれませんね」
それもまた逆行組の計画(遊び)の一部であることを彼らが知ることはないだろう。
ヴァンの指南役復帰を最後まで反対していたのはアッシュである。
ルークは手放しで喜んでいた。
出入りが許されたからといっても、ヴァンにファブレ家内での自由はない。稽古の日は予め連絡しシュザンヌの許可が必要であった。突然訪ねて行っても「今日はお約束の日ではありません」と素気無く却下されてしまうのである。門から家屋までは白光騎士が、屋敷内ではメイド―――メイド姿をしているだけで中身は腕利きの女騎士である―――が付きっ切りである。もちろん玄関、応接室、中庭以外は立ち入り禁止なので、ヴァン来訪時はオリジナルイオンやココにはいないはずのモノたちは隠れて様子を窺っていた。ヴァンが来初めた頃はアッシュもルークを心配し毎回ファブレ家に来ていた。
「殺気を飛ばすなよな。師匠(せんせい)に気付かれたらどうするんだよ」
ルークに叱られ、それでも殺気を抑えることはできなかったため、ヴァンが来ている時はファブレ家に来ることを禁止されてしまった。
ナタリアは欠かさず同席していた。庭の片隅でシュザンヌとお茶しながら―――背後に護衛の騎士を従えて―――見学しているので、ヴァンも滅多なことはできない。ティアも時々同席している。
それでもルークが懐いてくれたからよしとしようなんて、ヴァンは意外と楽観主義者だった。
旅立ちの日まであと少し。
カウントダウンはもう始まっていた。
念願のローレライロードか開通し、ナタリアとガイにその存在がバレたアッシュは、気兼ねなくファブレ家に入り浸っていた。
そんなある日、シュザンヌに二人でいるところを見つかってしまい、誤魔化しようがないと悟ったアッシュは、彼女にルークがレプリカであることや預言の真実をぶちまけることを選択した。彼女は王族ではあったが、それ以上に母親だった。アッシュにもそれがわかっていたからこその選択である。それでも自分たちが人生を繰り返していることまでは言わなかった。もっともこれは単に説明が面倒だという理由に過ぎない。
最初こそ混乱していたシュザンヌだったが、色々思い当たることもあったのだろう。
夫と兄に激怒。その結果どうにかしてファブレ公爵を屋敷から追い出せないものかと、彼女の天秤は夫よりも息子の方が重かった。それでも離婚ではなくて別居を選択するあたり、怒ってはいてもまだ愛情は残っているのだろう。離婚を選ばなかったのは王族の離婚が簡単ではないから、なんてそんな理由ではないと思いたい。特に公爵のためにも。
その日も公爵が留守なのをいいことにシュザンヌはアッシュを呼び寄せた。もちろんアッシュに否などあるはずはなく、朝からダアトの自室にしっかり鍵を掛けてバチカルを訪れていた。表向きは具合が悪いということにして。
「面白そうな相談をしているね。そういうことなら僕が何とかできると思うよ」
公爵の目を盗み公爵を追い出す理由を相談していたアッシュ・ルーク・シュザンヌ・ガイ・ナタリアの五人は、六人目の声にギョッとして振り返った。
クローゼットから出てきたのは緑の髪の少年だった。
「導師・・・イオン」
彼の顔に直ぐに思い当たったのはアッシュのみである。
ちょくちょくダアトから姿を消すアッシュをいぶかしみ、イオンはアッシュの後をつけルークのクローゼットに潜んでいたのだ。当然今までの会話はすべて盗み聞きしていた。
夫婦喧嘩程度では一日二日追い出すことができたとしても、クリムゾンを完全に屋敷から追い出すことは難しそうだった。特にルークの誘拐騒動があった後であれば尚更である。かといって他にいい手も思いつかず頭を悩ませていた人々にとって、イオンの発言は光明であると言えよう。イオンに知られてしまったことなどどうでもよくなるぐらい、彼らはこの発言に食らいついた。
預言を詠めばいいと、イオンは言う。
「光の都の焔を絶やさぬために、王家に連なる男、南西へと旅立つ。その地を守り抜くことで、約束の日まで焔は光の都を照らし続けるだろう」
詠うようにイオンは言葉を噤む。それはあたかも本物の預言であるかのようだった。
イオンの言葉は誰の耳にも『ルークを守るためにクリムゾンはベルケントを守らなければならない』とそう聞こえるだろう。特に預言信奉者であれば尚のことである。そして国王も公爵も間違いなくその預言信奉者であった。
今のイオンの言葉を預言として伝えればいい。後は勝手に判断し勝手に居住を移してくれるだろう。
唯一不安があるとすれば、この預言は捏造されたものであるから譜石が存在しないということだった。譜石がなくともイオンがこんな嘘を吐く理由に思い当たる節はないはずなので疑われることはないと思うのだが。
「彼らなら道端に落ちていた小石でもありがたがるだろうね」
まったく、大した導師様である。
しかし本当にそこらで拾った石を譜石と偽るわけにはいかなかった。譜石の状態であれば第七譜術士でなくとも解読可能であるということは、この第七音素の減少した世界であっても読めるということである。
「その件に関しては俺に心当たりがある」
「アッシュ?」
「ヤツならどうにかできるだろう」
できないと言ってもやらせる気満々である。
「そうか」とルークが満面の笑みを浮かべて頷く。ヤツがローレライのことであると気付けるのはルークだけだった。
譜石を捏造する技術がどういうものかはわからない。それでもローレライロードの存在を知るモノたちにとって、自分たちの知らない技術を持つ協力者がいることは信じられることだった。
イオンが立ち聞きしたのは公爵を追い出すための作戦会議のみである。この時点ではルークがアッシュのレプリカであることは知られてはいなかった―――イオンがレプリカという存在を知るのはもう少し未来の話である―――ので、アッシュは公爵によりファブレ家から追い出されダアトに預けられた子供で、母や弟―――兄には見えないのでルークの方が弟だろうと想像とイオンは思っていた―――は公爵を追い出してアッシュとここで暮らそうとしているのだと思い込んでいた。イオンのこの想像は概ね正しいといえるだろう。
預言の効力は絶大だった。
このルークの部屋で行われた秘密の会合から数日後、クリムゾンがベルケントへと移り住むことが正式に発表された。
夫に詠まれた預言を知ったシュザンヌは、白光騎士団全員を連れて行くように公爵と王に進言した。半数はバチカルに残すつもりでいたクリムゾンであったが、「バチカルよりもベルケントを守るべきであると預言に詠まれているのでしょ」と言って全員連れて行かせることに成功したのである。
「ラムダスもお連れください。貴方に屋敷のことを取り仕切れるとは思いませんので」
ラムダスも押し付けて、シュザンヌによるファブレ公爵家の大掃除は無事完了した。
ファブレ公爵家に残された使用人は、シュザンヌが信頼する数名のメイドとガイとペールのみだった。他に適任者がいないので執事職はメイド長が代行していが、これは後にガイの仕事となる。
女と子供と老人だけでは危ないと、夫と兄が色々送りつけてくるがシュザンヌはこれをすべて却下した。どう考えても夫や兄のスパイでしかないものをどうして受け入れることができるだろう。
懲りずに警備兵を送りつけてくる夫と兄の「屋敷の警備が手薄だ」という言い分は確かに事実だったので、シュザンヌは自身で新しい騎士団を編成した。新白光騎士団(仮)の団長に就任したのはジョゼット・セシルである。
自分が知らないことが起きていることに、ジョゼットは困惑していた。その前に自分が過去に戻っているらしいことに困惑したのだが、それをどうにか乗り越えて、戻ってしまったのなら調度良いから色々変えてしまおう、と開き直ったところだったのだ。自分の他にも未来を変えようとしている人間がいるのではないかと考えたジョゼットは、自らシュザンヌの元へ出向いたのである。かつてセシル家再興のためにクリムゾンに直訴した時よりも余程緊張していたとジョゼットは思う。
シュザンヌがジョゼットを選んだのは、ルークやナタリアが「彼女がいい」と言ったからだった。この時はまだはジョゼットも逆行仲間であるとは知らなかったのだが、結果としてその選択は最良だったと言えよう。
団員はすべて女性である。彼女たちが甲冑姿で警護することはなく、ほとんどが軍服姿、中にはメイド姿の者さえいたが、その実力はクリムゾンがベルケントに連れて行った白光騎士団たちに勝るとも劣らないものだった。
屋敷内に男はルークとガイとペールのみである。ガイの女性恐怖症はきっと悪化することだろう。
屋敷内が女性だらけなのはガイ苛めではないはずである。女主人と子供しかいない状態の屋敷内に使用人とはいえ男がいるのはまずいのではないかと配慮してのことである。ガイはこの当時まだ子供であったから、ペールは老人なので、男子禁制からの男子から除外されたようである。
アッシュとティアとアニスが鉢合わせした場所は神託の盾(オラクル)本部だった。
互いに逆行していることは知らなかったのだが、ティアがこの時期にこの場にいるのはおかしいことからアッシュとアニスはティアが逆行していることに気付き、アッシュが導師付きをしていることでティアとアニスはアッシュが逆行していることに気付いたようである。
しかしアッシュとティアはアニスが神託の盾騎士団に入った時期と導師守護役になる以前の経歴を知らなかった。なので、二人とも疑ってはいたが確証を得ることができないでいた。
先に行動を起こしたのはアニスの方だった。
時と場所は選んで欲しいと思うアッシュとティアだった。アッシュとティアが共にいたのはお互い確信があったので情報交換をしていたからなのであるが、近くにイオンがいるにも拘らず、二人が一緒にいるところにアニスが突撃してきたのである。
「三人は知り合いだったんだね」
三人は互いをよく知っているようではあるが、アッシュが少女たちに好意を持っているようには見えない。少女たちの方もまた然りである。三人の関係を面白がったイオンはティアとアニスを特務師団に任命。
モースとヴァンは反対しなかった。
モースはアニスを自分の手駒だと認識していたので、導師の動向を探るのに調度良いとさえ思っていた。金さえ積めばなんでもやる守銭奴である、と。懐は痛んだが、それに見合った働きをする者であると、と。アニスに対するその認識は概ね正しい。しかしどんな大金を積まれても譲れない一線がアニスにもあることをモースは知らなかった。
ティアも色々言い包めて兄の信頼は勝ち取っていたので「導師とあの赤毛の男の子のことがそんなに気になるのなら、私が探ってきてあげるわ」と言って兄の許可を取った。
導師勅命なのでモースとヴァンの許可など必要ないのだが、円満であることに越したことはないだろう。
三人はアニスからジェイドとアスランが、アッシュからルークとガイとナタリアとジョゼットが逆行しているということを知る。
何人巻き込む気でいるんだ、ローレライ。
アッシュは自分の与り知らぬところで増えていく仲間の存在が頼もしくもあり、また疎ましくもあった。ちなみに疎ましい理由はルークの独占が危ぶまれるからである。
ティアはローレライからヴァンに大譜歌を詠わせないようにしろと厳命を受けていることを明かし、アニス自身から喉に良くない料理や飲み物のレシピを、アニス経由でジェイドとディストから怪しげな薬を入手した。
この日からヴァンが飲む紅茶の味が変わったのだが、ヴァンがその理由に気付くことはなかった。
アッシュからジェイド、ティア、アニスも逆行していることを聞いたルークたちは彼らに会いたがった。
ルークは外出不可なのでローレライロードを通じてこっそりファブレ家で会ったりしていたのだが、「公式に接点を作った方がよろしいのではなくて」とナタリアが提案。ダアトを表敬訪問しティアとアニスと知り合うというシナリオを作成。ナタリアの本音はアッシュのダアトでの働きぶりを一度ぐらい見たいというだけである。
ともかくダアトを訪れたナタリアは、大人たちが難しい話をしている間暇だった。
「退屈ですわ。どなたか教団内を案内してはいただけませんか? あら、あの子がいいですわ。ちょうど年も同じぐらいのようですし」
偶然を装って案内役にティアを指名。
キムラスカの王女の公式訪問なので当然アッシュはヴァンにより軟禁中か、適当な命令を受けてダアトを離れているか。ナタリアの真の目的が果たされることはなかった。現在のアッシュはイオン付きだったので、キムラスカの使節団と接触しないようにヴァンが仕組むのは色々と大変だったことだろう。
さてナタリアにはもう一つダアトに行きたかった理由があった。
ラルゴの存在である。
ナタリアはラルゴに対しては色々複雑な思いがあった。
「まずは会ってみなければ何も始まりませんわ」
彼女は意外と行き当たりばったりな性格だった。
「ラルゴに、いいえバダックに聞かなければならないことがあります」
ティアの案内で教団内の見学という名の捜索をし、途中アニス合流するところまでは予定通りだったが、結局ラルゴには会えないまま一回目のダアト訪問は終了した。
その後もダアトを表敬訪問する機会を設けたが、一度としてナタリアがラルゴと出会うことはなかった。
ラルゴが逃げ回っていたのか、ヴァンの差し金か、たぶんその両方なのだろう。
ナタリアの友人という立場を公式でも手に入れたティアは、度々バチカルを公式訪問するようになった。
ナタリアの紹介もあってファブレ家に出入りするようになったのだが、これをインゴベルトが許可したのはナタリアの懇願だけでなく、ファブレ家の内情を知りたいヴァンやモースの口添えがあってのことだった。
ティアはヴァンたちに対してはルークの様子を探っていますという顔をしているが、もちろんヴァンに提出する報告書は捏造満載、嘘八百である。
【ラルゴに関する考察(ゲーム本編とキャラクターエピソードバイブルを読んで思うこと)というか、逆行ナタリアが何を思っているのかを捏造中】
バダックがメリルを取り戻そうとしたのは一度だけでバチカル追放後は復讐に生きる。奥さんを愛していたのね、で片付けられてはナタリアがかわいそうな気がします。
バダックってばメリルを諦めるのが早すぎはしませんか?
預言に逆らう道を選んだ男が、何故国の決定に従ったのか? バチカルに入る術がなかったからなんて理由になるのでしょうか? たとえなったとしてもボランティアと称してふらふらしているナタリアならばバチカル以外のところで接触すればいいだけだと思うのですが。
ゲーム本編中でラルゴはヴァンの計画をどこまで知っていたのでしょうか?
「預言のない世界を作る」ぐらいだと思いたいのですが、レプリカと挿げ替える計画まで知っていて協力していたのだとしたらイヤだなぁ~と。
つまりオリジナルのナタリアを殺してレプリカのメリルを・・・・・・
ナタリアとしてはやりきれないでしょうね。
憎い男を父と慕うナタリアなんて自分の娘のメリルではない、とラルゴが思うのも仕方がないのかもしれませんが、オリジナルよりレプリカの方がいい、なんて。
ナタリアがラルゴとの親子関係を知るはゲーム後半ですし、逆行ナタリアにはレプリカを蔑む気持ちなんて欠片もないですが、それでも自分よりもレプリカの方がいいと言われて黙っているわけにはいきません。
いやラルゴが言ったわけではないのですが、思い込んだら一直線といいますか、思い込みが激しいのがナタリアの良いところ(ん? 悪いところなのか)。
なので、実の父であっても、いえ実の父であるからこそこのナタリアは容赦いたしません。
さてここで場面は再びキムラスカ・ランバルディア王国、ファブレ邸のルークの自室に移る。
時間はローレライロードが開通し数週間が過ぎようとしていた頃だった。
すべてはシュザンヌ・フォン・ファブレのいつもとは違う行動から始まった。
それは偶然だったのだ。
なんの伺いもせずに開けてしまった扉。
たとえ自分の住む屋敷であったとしても本来なら一人で行動したり、先振れもなしにやって来たりはしない。
それは本当に偶然だった。
自室の窓から中庭を横切るガイを見かけた、それがこっそり自室を抜け出し子供部屋を訪れることになった原因である。
誘拐され戻ってきた時には赤ん坊のようになってしまったルーク。ルークは何故かガイに懐き、ルークの再教育を一任されたガイは嬉々としてその役目を請け負った。
そのガイがルークを一人にしておくなんてことはほとんどなかったから、不思議に思ったのが半分、心配になったのが半分、メイドに様子を見に行かせるのではなく、自ら出向いてきたのはどんな気紛れだったのか。
ノックをしなかったのは中にいるのがルークだけだと思っていたから。赤子はノックに応えることはできない。
おとなしく眠っているのだろう。だからガイがルークの傍を離れた。
そんな予想を胸に抱いて扉を開けた。そうであることを自分の目で見て安心したかったのだ。
しかしそんな予想は色々な意味で裏切られることになる。
シュザンヌの目に飛び込んできたのは二つの後ろ頭。その色はどちらも赤かった。
「おい」
先に振り返ったのは突っ伏すように机に齧り付いている赤の背後に立ち、覆い被さるようにその手元を覗きこんでいた赤だった。
「母上にバレたぞ」
「え?」
もう一人が慌てて立ち上がる。
振り向いた二つの赤は同じ顔をしていた。
シュザンヌが叫ばなかったのは奇跡に近い。
もし少しでもその気配があったのならば、彼女の背後で頭を抱えているガイにより口を塞がれていただろう。ガイは中庭を歩く女主人の姿に嫌な予感がしたため、慌てて後を追ったのだが扉を開ける前に追いつけなかったのだと後に語った。彼の女性恐怖症が緊急時には発症しないこと。そしてルークの幸せが脅かされることほど彼が恐れていることはないことをシュザンヌが知るのは、そう遠くない未来のことである。
「ルークが、二人?」
シュザンヌの目が二人の赤毛の子供の間を忙しなく行き来する。
それで目を回したのか、あるいは二人のルークという状況に目を回したのか、ふらりと彼女の体がよろめいた。
「「母上」」
重なる声はまったく同じ。駆け寄る姿もまた同じ。ただ浮かべる表情だけが違った。
苦しそうな顔と泣きそうな顔。
合点がいった。
「そうでしたのね」
答えはストンと心の内に落ちてきた。
左右から覗き込む二対の翡翠の双眸。
苦しそうな顔はあの事件以前のルーク。泣きそうな顔は事件以降のルーク。
「母親、失格ですわね」
唇を噛み締めて俯く赤と涙目で頭を振る赤。
こんなに違うのに何故気付かなかったのか。
「ルーク」
どちらに謝るべきなのか。きっと両方に、なのだろう。
「愚かな母を許してください」
シュザンヌの手が皺の寄った眉間に触れる―――あなたじゃないと気付けなくてごめんなさい。
シュザンヌの手が翡翠の双眸に溜まった涙を拭う―――あの子であることを押し付けてしまってごめんなさい。
戻ってきたルークの赤い髪と緑の瞳に安心してしまったのだ。ルークの他にこの色彩を持つモノはいない、なんて。そんな保証はどこにもないというのに。
ガイは気付いていたのでしょう。だからルークが懐いた。
使用人であるガイの方がルークのことがわかっているなんて。
情けなさに涙が溢れる。
「泣かないでください。母上」
こんな愚かな自分でも母と呼んでくれるのですね。
己の背に添えられた小さな手。己の手を握り締める小さな手。
その手を頼もしく感じながら、シュザンヌは一頻り涙を流した。流れる涙の意味が変わるのを感じながら。
ふと、考える。
今までこちらのルークはどこにいたのかしら? そしてもう一人のルークはどこから連れてこられたのかしら?
シュザンヌの胸中で渦巻く疑問に答えを与えることのできる二人は、ほとんど初めてに近い母の手の温もりに夢見心地で、彼女の呟きに気付いていなかった。
「まさか旦那様が外に作った子供なんてことは・・・」
浮気男のレッテルを貼られ、ファブレ公爵の評価はどん底まで落ちていく。
その後シュザンヌは、戻ってきたルークはいなくなったルークのレプリカであるということを知るのだが、同時に教えられた預言(スコア)の真実に、彼女の夫に対する評価は下がる一方だった。
クリムゾン・ヘアツォーク・フォン・ファブレ―――彼はファブレ家の家長である。それは疑いようのない事実であるはずだったのだが、彼がファブレ家を追い出される日は近い。
目の前にいるのは二人のルーク。
一頻り泣いて、一頻り抱きしめて、少しだけ落ち着きを取り戻した。
こちらの、険しい顔をしたルークが行方不明になってしまった自分の産んだルーク。その頭を撫でると、少々眉間に皺が寄った。照れているのですね。そういえばこの子はよくこのような顔をしていましたわ。
もう一人のルークの頭も同じように撫でると、泣きそうな顔で俯いてしまった。ごめんなさいね。そんな顔をさせたかったわけではなかったの。そういえば戻ってきてからのこの子は時々このような顔をしていたわね。自分たち夫婦に向ける視線は特に申し訳なさげで、あれは思い出せないことに対してだとばかり思っていましたのに、そうではなかったのですね。本物のルークではないことに対する後ろめたさ、それがこんな小さな子供にあんな顔をさせていた。それを強要してしまったのは自分であり、このファブレ家という屋敷すべて。ただガイだけが違った。ガイだけが本当のこの子を見ていたなんて、このモヤモヤとした感情を嫉妬というのかしら。
すまないという思いと同時に、新たな疑問が浮かぶ。
この子は誰なのかしら?
ルークとよく似た相貌。並べてみれば多少色調が異なっているとはいえ、赤い髪と緑の瞳の人間なんてそう沢山いるものではないのに。
シュザンヌが生んだ子供は確かに一人だった。
出産時の記憶がないのであれば、ルークは実は双子で預言に詠まれていない子供の存在を誰かが隠してしまったと想像することもできたが、シュザンヌの出産時の記憶ははっきりしていた。聞こえてきた産声は一つ。気を失う寸前までこの手に抱いていた赤子は一人。
この子は誰?
身代わりが用意された理由を想像することは容易かった。
ルークがいなくなったことを嘆き、病の床に伏した自分を心配して公爵か国王がよく似た子供をルークに仕立て上げたのでしょう。
でも、どこから。
他人の空似というにはこの子はルークに似すぎていた。
「まさか旦那様が外に作った子供なんてことは・・・」
公爵が自分以外の女性に子供を産ませていた。自分は裏切られていたのかしら。
それとも。
「そんな、お兄様が義姉様を裏切っていたなんて」
自分によく似たルーク。ならば公爵の子であるよりも、シュザンヌの兄である国王の子である可能性の方が高いのかしら。どちらにしても元をたどれば一つの所に行き着く家系。よく似た子供が生まれる可能性は他人の空似よりは高いはず。その二人が時をほぼ同じくしてこの世に生を受けたのはどんな運命の悪戯なのか。
それならば戻ってきたルークに記憶がなかったことも頷けるというもの。中途半端に教えるよりも、何も覚えていないことにした方が演じ易かったのでしょう。
いいえ、もしかしたら本当に何も覚えていないなんてことも。薬か、催眠術のようなものを使えば可能なのではないかしら。
シュザンヌの中で公爵と兄の評価がまた一つ下がった。
こんな小さな子供になんて無体なことを。
「かわいそうに」
公爵か国王の不貞でできた子供であるという悪感情よりも、母親から無理やり引き離され記憶を消された子供に対する同情心の方が勝った瞬間だった。
抱きしめる手に力が篭る。
「この子は私が守りますから」
どこにいるとも知れない子供の実母にシュザンヌは誓った。
本当は母親の許に帰してあげたかったが、それは公爵や国王の手前難しそうだったから。
せめてこれ以上この子が、この子達が苦しまないように。
シュザンヌは二人を抱きしめる腕に力を込める。
非力だとか病弱だとか言っている場合ではありませんわね。
子供たちを守れるのは自分だけ。
シュザンヌが母親であることを自覚した瞬間だった。
その日のうちにシュザンヌのこの想像は一部訂正されることになる。
戻ってきたルークはいなくなったルークのレプリカであると。
公爵と国王の浮気男疑惑は訂正されたが、同時に秘預言にルークの死が詠まれていることを聞かされたシュザンヌの脳内を新たな想像が駆け巡った。
「子供を生贄に捧げなければ得られない繁栄なんていりませんわ。貴方たちのことは私が守ります」
やはり母は強かった。
シュザンヌは正しくアッシュの母であった。
その見事な想像力というか妄想力は二人に増えた息子とそれを取り巻く世界について、様々な仮説を脳内で検討していた。その判断基準が息子優先であるとこはわざわざ指摘するまでもないことだろう。
ルーク―――今はアッシュと名乗っているこの子を攫ったのは誰?
預言を知りキムラスカの繁栄をよしとしない誰かか、それともアッシュを死なせたくなかった夫と兄だろうか。後者であるならば二人を許そう。いやむしろ褒め称えたいぐらいである。
しかしそうだったとしたら、アッシュのレプリカ―――「ルークの名はこいつにやった」とアッシュが言うので、この子はルークである―――の存在はどう解釈すればいいのだろう。
アッシュを失わないために夫と兄が創らせたのならば、レプリカだから殺してもいいだなんてそんなことを許すわけにはいかなかった。この子はモノではない。ちゃんと心があって生きているのだから。
現在アッシュはダアトにいるという。こうやってファブレ家を訪れているのはもちろん秘密にしておかなければならないことである、と。それがファブレ家とダアトを一瞬で行き来できるように道を繋いでくれた親切な人―――その人の名を今は明かすことはできないと言うので追求することはしなかった。ただ感謝の言葉を伝えて欲しいと幾重にも頭を下げた―――との約束であるというのならば、その約束を違えて道が閉ざされるなんてことがあっては困るのだ。
シュザンヌのこの心配は杞憂でしかない。力関係を論じればローレライとアッシュではアッシュの方が上だ。特にこの件に関してはルークのお強請りという最終兵器を所持しているアッシュは無敵であると言ってもいいだろう。
アッシュを攫ったのはダアトかしら? しかし預言遵守を教義に掲げる場所が繁栄を阻止しようと思うでしょうか? ダアトも一枚岩ではないということかしら。
あるいは夫と兄がダアトに保護を願い出たのか。
それは預言からアッシュを守るため、それとも預言成就の時までアッシュを守るため。
それは似ているようでいてまったく異なる。
誰を、何を信じればいいのだろう。
親しき人の顔が浮かんでは消える。
誰も、何も残らないのではないか?
それはとても恐ろしいことだった。
信じていた人に、信じていた世界の理(ことわり)に裏切られたのだ。これから何を信じればいい? 何を頼ればいい?
預言のない世界を歩むとはそういうことなのだ。
信じるモノも頼るモノも自分で決めなければならないこと。いいえ今までのように頼っていてはいけないのだ、と。
母としての使命に目覚めた彼女は、その怖さに立ち向かうだけの強さを持っていた。
そのころ魔界(クリフォト)・ユリアシティでは、自分の現在の状況にまったく気付いていないティアが障気の復活に混乱し、怒り、ルークのことを思い、祈りを込めて大譜歌を詠った。
ローレライ召喚。
―――その歌は厄介だな。
大譜歌を詠われると引き寄せられてしまうという事実に困ったのはローレライだった。鍵がなければ契約は成立しないが、ヴァンに呼び出されるのは我慢ならないのだ。かつての記憶が甦る。地核でヴァンに取り込まれたのは、地核にユリアが沈めたローレライの鍵があったからだった。
現状が己の仕業であることを内緒にしておいて再会時のサプライズを楽しもうとしていたローレライだったが、それを諦めてでも大譜歌をどうにかすることを優先することにした。もう一人の大譜歌の詠い手であるティアに事情を説明し、ヴァンに大譜歌を詠わせないことを条件に彼女に力を貸すことを約束する。
鍵がないので正式な契約ではないが、この第七音素が枯渇し治癒術が使えなくなりつつある世界であってもティアの譜歌であれば回復が可能となった。そうはいっても、現時点での自分に詠える譜歌はないことになっている。少なくともヴァンはそう思っているだろうし、しばらくはそう思わせておく必要がある。譜術の威力が弱くなることを知っているティアだったので、「兄に棒術でも習おうかしら」と自分の戦闘スタイルを変更するのに些(いささ)かの躊躇もなかった。使えるモノは兄(ラスボス)だって使う。随分と強(したた)かな女になったものである。
さてヴァンに大譜歌を詠わせないといっても、現時点でできることはヴァンの傍にはりついていて邪魔することぐらいしかない。
手っ取り早くラスボス撃破は「遊べなくなってしまうから」ということでローレライにより却下されてしまった。
ティア自身も「(どんな形であれ)兄には生きていて欲しい」というのが本心だったためローレライに止められてあっさり引き下がったのだった。
「死ななきゃいいのよね」
その分嫌がらせはいっぱいするつもりのようである。
などとこれからのことを考えていたティアだったが、ふと大切なことに気づく。
ヴァンは現在ダアト、自分はユリアシティ。大譜歌を詠われることを阻止するどころか、これでは嫌がらせ一つできはしないではないか。
そこでティアはまずテオドーロを味方に付けることにした。
思いつめた表情で祖父の懐に飛び込む。
「兄さんの様子がおかしいの」
預言にはないことを企んでいるらしいと告げるが、それは誤解だと、テオドーロはティアを諌める。
「ヴァンは確かに預言(スコア)を憎んでいた時期があった。だが今では監視者として立派に働いている」
「監視者?」
ティアにはまだユリアシティの真の姿を教えるつもりがなかったテオドーロは、ばつの悪そうな顔をして目を逸らした。
「すまない。幼いおまえに真実を告げられなかったのだ」
この街がユリアの預言を元に外殻大地を繁栄に導く監視者であること、そしてローレライ教団がそのための道具であることを告げる。
「それじゃあホドも・・・・・・」
「その通りだ」
ティアはこの場でユリアの預言の結末がオールドラントの消滅であるとぶちまけたかった。そうして、それでもユリアの預言に従うつもりなのかと問い質したかった。
それをしなかったのはテオドーロの預言に対する考え方を改めるよりも、今はヴァンを追ってダアトに行くことを優先したからである。
故郷が滅んだこと、両親を初めとする大勢の人間が死んでしまったことは哀しいが、そう預言に詠まれていたのであるならば、その死も故郷の消滅も名誉なことである、と。思ってもいないことをすらすらと言ってのけ、テオドーロから「それでこそユリアの子孫。監視者の鑑」との評価を得ることに成功した。
「兄はまだ預言を憎んでいるのかもしれません」
今にも泣き出しそうな顔でティアが言うと、まだ確定したわけではないので様子をみようではないか、と市長は祖父の顔で慰めた。
ティアはその役目を自分にやらせて欲しいと懇願する。
テオドーロからヴァンの監視のためにダアトに行くことの許可をもらったティアは、神託の盾(オラクル)騎士団に入団することを希望する。当然ヴァンは反対した。兄の反対など何のその、テオドーロの協力を得たティアは、士官学校入りを反対し自分の懇意にしている教官をユリアシティに派遣するとの妥協案も跳ね除け、ダアトの士官学校に入学するために外殻大地へと旅立っていった。
一方グランコクマでは、目が覚めたら自分がまだ若いころに使っていた自室と言う状況をジェイドは混乱することなく分析していた。
「こんなことをしそうな存在は一人しか思い浮かびませんね。あの存在を一人と称していいのかどうかという問題もありますが、今は検討している時間が惜しいですから放っておきましょう」
意外と混乱しているのかもしれない。
ルークがすでに創られた後の時間軸に自分がいることに気付いたジェイドは、どうしてそうなったかを考えるよりも、ルークを失わずに済む方法を考えることにした。音素乖離の阻止やら大爆発の回避やら研究課題は山積みである。それから障気問題もルークに頼らずに自力でどうにかできないものだろうか、と。
始まりの時まで約七年。再会までの時を思うとそれはとても長く、しかし数多(あまた)の問題の答えを見つけるための時間としてはとても短かった。
ジェイドは現在のルークに会ってみたかったのでキムラスカに亡命しようかとも考えたが、そうするとマルクトが野放しになってしまうので現時点での亡命は諦めたようである。前皇帝―――いや、今の時間軸では現皇帝と呼ぶべきなのだろうか―――はマルクトにとって毒にしかならない。せめてピオニーが即位するまでは待った方がいいだろう。いっそのことピオニーの即位は早めてしまおうか、などとジェイドが考えてしまうのは仕方がないことだろう。
ついでにダアトにいるであろうサフィールを己の手駒しようかとも考える。
「私が自らダアトに赴くわけにも行きませんし、さてどうしたものでしょうか」
眼鏡の下の赤い譜眼は楽しそうに笑っていた。
アニスの目の前には自分と家族の転落人生の始まり、その引き金を引いた男がいた。思わず手にしていた何かを投げつけた。それが何であるかなんてことはその際確かめている余裕はなかった。それでもアニスがトクナガを背負っていない状態だったのはその男にとっては幸いだった。もし既にトクナガを手に入れている時間軸での出来事であったならば、その男は秘奥義の一つも食らって昇天していたことだろう。あるいはその方が幸せだったかもしれない。
ここはグランコクマだった。
騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたマルクト兵の中にジェイドがいたのはどんな運命の悪戯か、あるいはローレライの導きだったのだろうか。
「大佐~」
「今の私は単なる一兵卒に過ぎませんよ、アニス」
男はこれから騙そうとしていたので、現時点では罪状がなかった。一方アニスは何の罪もない男に暴行を働いたわけで、子供のしたことであるし瀕死の重傷を負わせたわけでもなかったので、親子共々厳重注意ということで叱られただけで済んだ。一応一晩留置所のようなところにお泊りという形でジェイドが保護したのである。一方被害者であるはずの男は事情聴取という名のジェイドの尋問を受け、タトリン夫妻に対し詐欺行為を企んでいたことやそれ以前の悪行を洗い浚い吐かされ投獄されることになった。自業自得なので同情の必要はない。誰も指摘することはなかったが、彼はかつてとは百八十度違う人生を歩むことが確定した第一号だった。
アニスも自分と同じであると知ったジェイドは、他にも自分たちと同じような人間がいるのではないかと推測した。
「確かめる必要がありますね。可能性が高いのはかつて共に旅をした仲間、それからルークのオリジナルである彼でしょうか」
子供へのお説教だなんてジェイドを知る人間からしてみれば絶対にやらなさそうなことの一つである。しかし実際に行っているらしく、アスラン・フリングスは己の耳を疑った。
ただでさえ死んだはずの自分が生きている、それも過去に戻ったという状況に混乱しているというのに、いや過去であるということで未来であるということよりも混乱は少なくてすんだはずだ。過去に戻ったから生きているという図式が成立するからだ。まぁ成立したからといって何の解決にもなりはしないのだが。
そこにこのジェイドの奇行である。この当時のジェイドでは絶対にやらないはずの行動、当時の彼でないのであれば彼も己と同様に戻ってきているのではないだろうか? アスランはその可能性に思い当たった。さらに同僚に聞いたお説教を受けているだろう子供の特徴にも覚えがあった。そこでアスランは確信した。ジェイドもそしてその子供―――おそらくアニス・タトリンだろう―――も自分と同様未来を知る者である、と。
「子供にはジュースとお菓子がいいでしょうか」
お説教中に茶菓子を持って訪ねる方もどうかと思うが、受け入れる方もどうかと思う。
「あなたもでしたか」
アスランの奇行にジェイドも彼もまた同類であると気付くのだった。それと同時にジェイドは直前まで立てていた仮説を訂正せざるをえなくなった。
「かつて共に旅をした仲間以外にも逆行しているということは、仲間であっても逆行していない可能性があるということです」
「逆行ってなんですかぁ~」
「進むべき方向とは反対の方向に進むことですよ。我々は時間の流れを逆行した仲間ということですね。誰の仕業かと言うことはまだ推測の域を出ませんが、十中八九第七音素(ローレライ)が関係していると思います」
それを確かめる必要があった。他にも逆行している人間―――人間に限定していいものかどうかも現時点では不明である―――がいるかもしれない。未来を知るモノがすべて味方でるという保証がジェイドは欲しかったのである。
マルクトはアスランに任せて亡命しようとするジェイドをアスランは慌てて引き止めた。
「せめて陛下が、いえ今は殿下ですが。即位してからにしてください」
「わかりました。ではさっさと即位していただきましょう」
現皇帝の寿命が縮んだ瞬間だった。
「それまではアニス、あなたに頑張っていただきましょうか」
「え~アニスちゃん、大佐のスパイですか~」
「ですから、今はまだ大佐ではありませんよ」
今回もアニスからスパイの肩書きが取れることはなかった。アニスはジェイドに預けることになった両親の今後がちょっと心配になったが、ダアトに行くことを了承。
(フリングス少将がいるから大丈夫だよね)
この時点ではアスランもまだ一兵卒である。
「お給料はモースから貰ってくださいね」
二重スパイになれ、ということらしい。もちろんサフィールの引きずり込みもアニスの仕事になった。
「イオン様が生まれるまではやることないからいいですけど」
トクナガ作ってもらって、ついでに改良してもらって、ちょっといやだけどお友達になろう。ジェイドから扱い方はレクチャー済みだし優しくされるとコロリといっちゃうような人だったから、たぶんこっちの任務は簡単、簡単。
アニスの物事を深く考えない性格は健在だった。
そうして彼女は意気揚々とダアトへと旅立っていった。
アスランもそうだと知って、ジェイドは自分の負担が減ったことを純粋に喜んでいた。サフィールを手駒にする計画はアニスに任せたので、自分はフォミクリーの研究に専念することができる。アスランと共謀しピオニー即位のために暗躍するのにしばらくは時間を取られることになったが、これも将来の自由を思えばこそである。
しかしジェイドは知らなかった。
遠く離れた別の地に志を同じくする者がいるということを。その人物がジェイドに望む自由を与えるはずがないということを。