[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「あとがき」と書いて「いいわけ」と読む。
ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
無理やり終わらせた感も多々ありますが、これ以上はグダグダになる一方でしたので終わらせてしまいました(苦笑)
色々不完全燃焼というか不満な所がないとは申しませんが、とりあえずENDマークを付けられたことでよしとしようかと思います。
以下、本編の解説となっております。色々補足しないとわからない物語で重ね重ね申し訳ありません。
元々「お互いを殺すことだけを考えている赤毛」を書きたくて始めたオハナシでした。最初はゲーム本編通りで、出会う度に一触即発。前触れなしで即戦闘。どうにか止めさせようとする周囲には「邪魔すんじゃねぇ!」と同時に譜術ぶっ放すような二人、という予定だったのですが、見事に予定は未定。
ルークがアッシュに攫われてばっかりで、PTメンバーと絡まなかったのが敗因ですが、赤毛が一緒にいないシーンを書くのが面倒で、ショートカットのためにルークには攫われてもらいました(笑)
それでも当初の予定よりはだいぶ伸びました。
予定では融合して落として終わりだったのですが、大爆発(ビッグバン)の解釈が独自のものになってしまったので、そのへん説明しているうちにダラダラと・・・・・・(汗)あと預言の扱いも色々特殊になっていたので、そちらはちょっと解り辛いなぁ~と思いましたが、解り辛いまま終わっています。
ってことで、書ききれなかった裏設定です(おいっ)。
「預言=人間の思いを言葉にしたモノ」ってことで。
預言士が詠む預言はその人の潜在意識にある望みなので、当然望み通りに行動しそれが実現すれば人は幸せ。預言に従いたくなるのは当然。しかも己の幸せの影で泣いている人がいるかもしれないなんてことは考えません。すべての人間が自分の望みだけを優先させた結果、世界は滅びに向かいました。
ちなみにユリアの預言はユリアが望んだ幸せな未来の形でした。しかしユリアは途中で気付きます。幸せを望んだ結果、世界が滅ぶということに。しかし一度詠んでしまった預言は譜石という形で存在しているのでなかったことにはできません。ユリアとは違う未来を夢見る人間がいればよかったのですが、ユリアの見た夢は途中までなら誰もが望む幸せの形をしていたので別の未来を夢見る人がいませんでした。そこでユリアは滅亡を詠んだ第七譜石を残しました。人類滅亡の可能性を考えながら詠めばそういう譜石も残せるということで。しかしそれを見た人々は信じませんでした。そして第七譜石を隠したのです。
ユリアが死亡した後、預言の本当の意味に気付ける人間が現れなかったため、ゲーム本編同様、預言は星の記憶という扱いになりました。
ただでさえ預言遵守ルートで救いようのない話を書いているなぁ~という自覚はあったのですが、アッシュとルークの間にずっとあった約束さえも預言に寄るもの、という救いようのないオチでした。もう、色々とスミマセン<m(__)m>
赤毛たちがベタベタしているシーンは書いていて楽しかったです。
ルークと六神将の一人―――ヴァンがアッシュと呼んだ男は服装と利き手以外のすべてが同じに見えた。
ここがどういった意味の場所であるのかとか、ルークは何故戦っているのかとか、どうしてアッシュと呼ばれた男はルークと同じ顔をしているのかとか、聞きたいことは山ほどあるのに、声を出すどころか指先をちょっと動かすことさえできない。呼吸をするのが精一杯だった。
初め二人の実力に優劣はないように見えた。
しかし経験値はルークの方が劣っているからだろう。我武者羅に突っ込んでいくルークに対して、受け止める剣には余裕があるように見えた。繰り出される技の一つ一つが同じ速さ同じ威力でぶつかり合い、相殺されていく。
永遠に続くのではないかと思われたその戦いは、ヴァンの介入で中断した。
ルークの動きが不自然に止まり、その身体が腕を中心に光り輝く。
「あれは、第七音素、ですね」
隣で息を呑むようにジェイドが呟く。
素養があるとは聞いていたが、目視できるほどの音素を集められるとは思っていなかった。それだけではない。今の戦いにしてもそうだ。いつの間にあんなに強くなったのだろう。暇さえあれば剣を振っていたことを知るガイにとっても、ルークの実力は予想を遙かに上回るものだった。
二人の戦いに水を差したヴァンに、怒気を帯びたアッシュの譜術が放たれる。
頭を抱えうずくまるルーク。
纏った光―――第七音素が弾けて、消えた。
一瞬の閃光に目が眩み、再び開けた視界の中には再びアッシュと剣を交えるルークの姿があった。
実力は、やはり互角。
口許には笑み。洩れ聞こえてくる会話は愛の囁きにも似ている。
振り下ろされた剣を受け流し、己の脇を走り抜けるルークを追いかけて振り返ったアッシュは、二歩目を踏み出すことができずに膝を付いた。
何故、と思う。
先程までの、そして今の戦いにおいても二人共殆んど無傷だ。
何がアッシュに膝を付かせることになったのか。
ルークの持つ白刃がアッシュの胸に吸い込まれていく。
ガイは「ふぅ」と大きく息を吐いた。
場を支配していた何かが霧散していく。
「ルークが、勝ったのか・・・・・・」
「そのようですね」
ルークは己の身体を赤く染めながら、静かに涙を流していた。
ヴァンの姿は何故か壁側にあり、床に寝転がった体勢のままピクリともしない。
アッシュが膝を付いた理由がわかったような気がした。
ヴァンほどの猛者を気絶させる何か。それがルークから放たれた光にあったのだとすれば、アッシュもまた気絶することはなかったにしても何らかのダメージを負っていたのだろう。
それが永遠に続くかのような思えた二人の戦いに終止符を打ったモノの正体だった。
小さな呻き声を上げてヴァンが身をよじった。それからゆっくりと立ち上がる。何が起こったのかわからぬようで、我が身を見下ろしたりあたりを見渡したりと、普段のヴァンからは想像が付かないぐらい忙しなく動く。その目が抱き合ったまま微動だにしない二人の姿を認め、驚愕の色に変わった。
悔しそうに二人を睨みつけるヴァンは一体何を思っているのだろうか?
いや、それよりも今はルークだ。
アッシュの死はガイの目から見ても明らかであったが、ほぼ無傷であったはずのルークの方にもまったく動きがないというのは、いくらなんでもおかしいだろう。
漸く動かせるようになった身体を叱咤して、ガイはルークの元へ向かう。隣でジェイドも立ち上がったようである。女性陣はまだ動けないようだった。
ガイも、ジェイドも、ヴァンも、同じ人物を目指していた。ほんの十数メートルの距離を今ほど長く感じたことはない。
目指す視線の先で、ルークが緩慢な動作で立ち上がる。
今の今まで大切そうに抱えていたアッシュの身体を無造作に床に転がして、ルークは足許に横たわるその姿を冷めた目で見下ろしていた。
先程までとは正反対の感情。いや感情と言うものがあるのかどうかさえも疑わしい。
白い上着を真紅に染めて、朱色の髪をなびかせて、視線はゆっくりと足許から上空へ。
その姿は確かにルークであるはずなのに、そこにガイのよく知る表情は欠片も見つけることができなかった。
赤い髪を地核から吹き上げる記憶粒子(セルパーティクル)になびかせて、ルークは巨大な金色の音叉を見上げていた。
いや今の彼をルークというのは間違っているのだろう。
その瞳に宿る色はルークのそれとも、アッシュのそれとも違っていた。
「貴方は、誰ですか?」
ジェイドは自分で尋ねておきながら、半信半疑のようだった。ルークではないと確信しての問いではない。確証のないことは口にしない主義の男にしては珍しいことだ。
視線がゆっくりとジェイドの姿を捉え、それと同時に表情が変わった。
「ルークだ。ルーク・フォン・ファブレ。他の誰に見えるっつぅんだよ」
それはよく知るルークのように見えた。
ヴァンがその彼に向かって手を差し伸べる。
「レプリカが被験者(オリジナル)を降すとはな。予定とは違うが、まぁいい。私と一緒に新しい秩序を作るのはおまえだったというだけのことだ。さぁ、ルーク。共に新世界の神となろうではないか」
ヴァンの言葉に彼は不快そう眉根を寄せた。それから「まだわからないのか」とヴァンを嘲笑う。
まただ。
また、変わった。
表情だけではなく口調までがルークと言うよりはアッシュに近い。アッシュをよく知るわけではないガイがそう思うのだから、ヴァンは尚更だろう。
「何がだ」
「貴様ごときの歪み、ユリアの預言(スコア)はものともしないということが、だ」
「まさか・・・」
ヴァンの顔は信じられないものを見た時の驚きの表情で固まっていた。
「何を驚くことがある? 預言とはどんなことがあっても成就するものだ。いや違うな。すべての事象は預言成就のためだけに存在している。貴様が七年前にルーク・フォン・ファブレのレプリカを創ったこともまた、今この時のための布石に過ぎなかったということだ」
二人の会話は第三者にとって到底理解できるものではなかった。「自分たちにもわかるように説明してくれ」という心とは裏腹に、思いを言葉にすることは難しかった。しかしどんなことにも例外は存在する。断片的な情報と己の持つ知識を結びつけることができた男は、導き出された答えに苦虫を噛み潰したような顔をした。もっともそれはほんの一瞬のことで、すぐにいつもの本音を悟らせない笑顔の仮面を貼り付けているから始末が悪い。
「二人の間に大爆発(ビッグバン)が起きたということですか」
理論上はとか、発生条件がとか、俯いてぶつぶつと呟いているジェイドを一瞥し、彼は感心したような表情を浮かべる。
「この状態をそう呼ぶのか? 流石は死霊使い(ネクロマンサー)殿―――いや、ジェイド・バルフォア博士。何でもよく知っているな」
「ルーク、じゃない、のか」
「ルーク・フォン・ファブレだ、って言ってんだろ。ガイにはわかると思ったんだけどな?」
コトと小石が転がるような音がした。
振り返ると、岩肌に手をついて辛うじて身体を支えたような体勢で、ナタリアが彼を一心不乱に見つめていた。
「ルーク、なのですか」
「そうだ。ナタリア。久しぶりだな」
両手で顔を覆い泣き出したナタリアに慈愛に満ちた視線を向けるその顔は、七年前に消えた憎き敵の息子をガイに思い起こさせるものだった。
その後自称『ルーク・フォン・ファブレ』―――十歳よりも前の記憶を有しているという彼は、ナタリアと交わした約束を初め、幼馴染二人の矢継ぎ早の質問のすべてによどみなく答えることで、それを証明してみせた。その際記憶を失った以降の思い出に対してもきっちり答えて見せたことで、周囲に新たな混乱をもたらしたことは言うまでもないことだろう。
ルークが記憶を、約束を思い出してくれたことを無邪気に喜ぶナタリアとは対照的に、ガイの心中は複雑だった。
何も覚えていないルークだったから、公爵家の息子とは思えない成長を遂げたルークだったから抑えることのできた復讐心が、ムクムクと膨れ上がるのが自分でもよくわかった。
無意識に剣の柄に伸びる手を認め、彼はニンマリと笑った。
それが引き金だった。
頭上より振り下ろした剣は軽々と受け止められ、身体ごと力任せに弾き飛ばされる。
踏鞴(たたら)を踏んで転倒を辛うじて免れたガイは、再び彼に向かって地を蹴った。
「ルーク、ガイ! 何をしていますの」
ナタリアの悲鳴が耳を劈(つんざ)く。
力で敵わなくても速さならば。
息をつく間も与えぬガイの攻撃。そのすべてを彼は眉一つ動かすことなく受け止める。ガイの己の特性を生かした攻撃は、しかし本人の意図する成果を上げることはできなかった。
勝者は地に立ち、敗者は地に伏す。
弾き飛ばされた剣は甲高い音をさせて遙か後方の地に落ちた。
「ルーク、何故ガイを・・・・・・」
「先に仕掛けてきたのはあいつだ」
「それは・・・・・・」
返す言葉を封じられたナタリアは気遣わしげな視線をガイに投げかけるも、彼の傍を離れガイに駆け寄ろうとはしなかった。
ルークが約束を思い出してくれる日をただ待ち続けた七年間。望んだ日がやっと訪れたのだ。今のこの状況を忘れて喜びに身を震わせるナタリアに、彼はこみ上げてくる笑いを隠そうとはしなかった。誰の目から見ても嘲笑でしかないそれを向けられたナタリアだけが、そうとは受け取らないというのはどういう皮肉だろう。あるいは恋する乙女の思考回路とはそういうものなのだろうか。
ルークの急変も、未だ地に横たわるルークと同じ姿をしたアッシュの存在も、ガイの奇行も、ヴァンやジェイドの驚きも、ナタリアの悲願の前では塵芥(ちりあくた)程の価値もない。
約束を叶えために努力することよりも、約束をしたという過去だけを心の支えにしてここまで来た少女。
約束を叶えるためだけに生き、そして死んだ少年たち。
その違いのなんと大きなことか。
彼の中で息衝く思い(こころ)の存在をナタリアは知らない。
無邪気に喜ぶ少女は気付くことはなかった。
少年が伸ばした手の先にある約束は、少女が大切に守ってきた夢とは違うということに。
誰が封印したはずの技術を復活させたのかなどどうでもよいことだった。
目の前の現実に研究者としての興味が再熱するのを必死に押さえ込む。
それでも、彼と彼を作り出した人物の声を一言一句聞き漏らすまいとしている自身を自覚し、ジェイドは忌々しげに舌打ちをした。
机上の空論でしかないと思っていた大爆発(ビッグバン)。いや、その前に彼の存在がその理論の外でも成り立つことの不思議。
それでも、彼はそこにいる。そのことを認めないわけにはいかない。内心でどんなに認めたくないと思っていても、である。
中指でそっと眼鏡を押し上げて表情を隠す。それが思考に耽る時のジェイドの癖だった。
結論を出すことを拒む心とは裏腹に、ジェイドの優秀すぎる頭脳は既に答えを導き出していた。
自分たちがルークと呼んでいた人物が、六神将の一人、鮮血のアッシュのレプリカであるということは間違いないと言ってもいいだろう。被験者であるアッシュが死に、同位体―――彼らがそうであるという証拠はないし、今となっては調べようもないことだったが、起きた事象からそうであったと推測することは容易い―――間でのみ起こる特殊なコンタミネーション現象により、被験者を構成していた音素をレプリカが吸収。被験者の精神はレプリカの精神を上書きし、レプリカの肉体の主導権は被験者のものとなる。
ジェイドがたどり着いた理論が正しければ今目の前で喋り、ガイを打ち負かした人物は被験者―――アッシュということになるはずだ。しかしアッシュであると言い切るには違和感が大きすぎた。被験者をよく知らない自分がそう思うのだから、彼をよく知るヴァンなどははっきりとその違いを感じとっていることだろう。
「己のレプリカとはいえ他人の七年分の記憶を受け取っても、それまでとまったく変わらずにいられると思ってたんなら、随分とめでてぇ頭だな」
それが違和感の正体だった。ジェイドの導き出した答えは現実では成立しない。レプリカの記憶を受け取ったことで、被験者の自我も変質したということなのだろう。それでも彼はそれを望ましい変化であると笑った。
「俺達は二人に分かれた瞬間から一つに戻る時を望んでいたからな」
そのための約束だった。
そして約束通り、ルークはアッシュの肉体を殺し、アッシュはルークの精神を喰らった。すべては一つに戻るためと通過儀礼に過ぎなかったのだ、と。
ドサっと何かが地に落ちる音が背後で響いた。
「馬鹿な・・・・・・」
振り向くと、そこには咆哮にも似た叫び声を上げながら、膝を付き地面に拳を打ち付けるヴァンの姿があった。
己の手で故郷を滅ぼした幼き日より、ヴァンは預言とそれに従う世界を憎んできた。
人間に預言を与えた第七音素(ローレライ)を恨んできた。
それを消滅させるために手に入れたはずの力(アッシュ)。彼は預言に詠まれた存在とは違うモノとなったはずだった。少なくともヴァンはそのつもりでいた。
ただ名を変えただけ。ただ存在を同じくするモノを新たに生み出しただけ。
ヴァンのやったことといえばその程度のこと。
その程度で列車の行き着く先を変えることができたと思い込めたヴァンは、ある意味幸せな愚者であった。このまま、自分の間違いに気付かぬまま終着駅に到着することができたのならば、という注釈は付くが。
しかし彼は言う。
ヴァンが七年前にやったこともまた預言に沿った行動であった、と。
「これもまた預言の強制力だというのか」
「何度も同じことを言わせんじゃねぇ。『聖なる焔の光(ルーク)』は『聖なる焔の光』としての役目を果たすためにここにいる。それが世界の求めた預言(定め)だ」
どんなことをしても違えることができないから預言というのである、と。
二つに分かれたモノが一つに戻ることを望み続けたことも。
ジェイドの頭脳をもってしても机上の空論と言わしめた現象が現実になったことも。
それがこの場所(アクゼリュス)であったことも。
すべては世界がそうなることを望んでいたからだ、と。
「おまえはそれでよいのか」
「おかしなことを言う」
預言とは世界の望み、すなわち人間(ひと)の望みである。
「そろそろ認めてはどうだ? 貴様が願ったこともまた世界の望みの一つ。預言はそれを言葉にしただけのモノに過ぎない」
自国の繁栄を望む者がいる。
人間の滅亡を願う者がいる。
二つに分かれた心が一つに戻ることを夢見て生きてきた子供は、夢は叶ったと晴れやかに笑う。
その笑顔にヴァンは返す言葉を失った。
赤い髪が吹くはずのない風になびき、彼を取り巻くように光が集まってくる様をただ眺めていることしかできなかった。
それはルークが先程集めた光とは比べ物にならないほどの量と質であった。
「何をなさるつもりですの?」
誰もが言葉を失う中、ナタリアだけが違った。
それが王女としての矜持だったのか、それとも状況を理解していないからできたことか。
「この力がキムラスカに繁栄をもたらす。国王が、おまえの父が望んだことだ」
まぁと目を丸くして、それからナタリアは他の者とは違う表情を見せた。
少女の望みは約束を思い出してもらうことだった。約束の中身よりもそちらに重点を置いていた。それでも、よい国を望んだ心に嘘はなかったから、幼き日に約束を交わした少年が大人になった今も同じ思いでいてくれたことが嬉しかったのだ。
その手が己に向かって伸ばされれば、その手に飛びつくことに一瞬の躊躇いもない。
それがナタリアの最期だった。
ナタリアの唇が「ナ・ゼ」と動いたように見えた。
何処に疑問を挟む余地があるのだろうか?
「繁栄のための贄となれたのだ。おまえも満足だろう」
その言葉にナタリアが答えを返すことはなかった。そこに答えを返すための肉体はすでに存在していなかったのだ。
掌から零れんばかりの光。
そこにいた者たちは眩しさに目を細め、その光景を眺めていることしかできなかった。
差し出した両手の上には光があった。
ナタリアを消した力だ。
その力が掌から溢れようとしている。
己の未来を悟り、絶叫を上げる者。逃げ出そうとする者。彼を諌めようとする者。狂ったように笑い出す者。何かを悟ったように静かに目を閉じる者。すべてを見届けようとする者。
その反応は様々であったが、一つだけ確かなことがあった。
もう直ぐこの場所はあの光に包まれて消滅するということだ。
それが世界の行き着く未来(終点)のための通過駅の一つだった。
キムラスカにもたらされた未曾有の繁栄。
それがどんなものだったのか知るモノはいない。
世界を覆った疫病。
その病がどのような苦しみを人間に与えたのか知るモノはいない。
何故なら、そこに歴史を記す人間はいなかったからだ。
ここにセピアに色褪せ、文字の掠れた一冊の日記帳がある。
しかしそこに何が書かれているのか知ることはできない。
何故なら、ここにそれを読むことのできる人間がこの世界にはいないからだ。
それでも世界はそこにあった。
終着駅を望む人間(ひと)がいなくなった世界にレールという概念はない。
Fin
自分たちの行く先に苦しんでいる民がいる。それが敵国の人間であったとしても、民を救うのは王族たる己の役目。ルークがいない今、彼の代わりが務まるのは己だけ。ナタリアは自らルークの代役を買ってでた。攫われたルークのことは心配であったけれど、それよりもマルクトの民を救うこと優先させた。
王の甥よりも王の娘。所詮名だけの親善大使ならば、より高位であった方がよいに決まっている。キムラスカがマルクトのために王女を遣わした、というのは何とも魅力的であるように思えた。その名代の交代劇が王命に逆らったものだったことや、キムラスカ国王より預かった本物の親善大使を見す見す攫われてしまったことが後々問題になるとはジェイドは欠片も思っていなかった。
元々命令されたから仕方なしに同行していたのだ、守るべき主を攫われたガイは本来ならルークを探しに行くべきだろうとわかっていた。あるいはキムラスカに引き返し事の顛末を報告するべきか。しかし王女は時間が惜しいと言う。ガイは王女命令を連発するナタリアを冷めた目で見つめていた。
導師はあの親善大使と一緒にいるだろう。攫ったのは六神将だ。自分ひとりで何ができるだろう。だからと言ってバチカルに戻るわけにはいかなかった。このことをモースに知られれば自分も両親も処罰されるだろう。彼らはこのままアクゼリュスへ向かうと言う。今は彼らと一緒に行動する方が得策であるような気がした。少なくとも己一人で砂漠を越えることはできそうにはなかったから。
薄紫に煙る鉱山の街。
ルークを乗せた列車は終着駅を目前に停止していた。
親善大使を欠いた一行がどういう理屈でこの地に既に到着しているのかはわからない。それでもナタリアを新たな名代としたと想像するのは容易かった。
マルクト軍人がアクゼリュスの救済を至上の命としているのであればそれでもいいだろう。
それが間違いだとは思わないけれど、攫われた親善大使やローレライ教団の導師を探すことよりもアクゼリュスの住民の方が大事であると、世間に向けて言っているようなものだと気付いているのか、いないのか。そういう扱いをされたキムラスカとダアトがどういう感想を抱くのか思い当たらないあたり、外交官としては失格だ。この男は皇帝の片腕と言われていても所詮一軍人に過ぎないということだろう。
街の入り口に立ったルークを見て、彼ら、そして彼女らは「何処に行っていたの?」と詰め寄ってきた。
何処にも何も、ルークが攫われる所を見ていたではないか。
「イオン様はどうしたの?」
これまたお門違いな質問をする導師守護役(フォンマスターガーディアン)の少女に、ルークは「さぁ」と首を傾げた。
「あんた、馬鹿? イオン様がどれだけ大事な人かわかってないの?」
その大事な人を探そうともせずにこの地を目指した自分は何だというのだろうか?
反論するのも馬鹿らしい。
ルークは守護役の少女から目を逸らして街を見渡し、お粗末過ぎる救援隊の姿を怪訝に思った。
彼らはこの状態を不思議には思わないのだろうか?
「なぁ、師匠はどこにいるんだ? 先に来ているはずだろ」
それはヴァンの行方だけを尋ねる質問ではなかったのだけれど、その妹はそうは受け取らなかったようである。
呆れた、とルークに侮蔑の視線を向ける。今は目の前で苦しんでいる人を助けることの方を優先すべきである、と。
「貴方、兄がいなければ何もできないのね」
ルークがいつヴァンを頼りにしたというのだろうか?
師と呼んでいるからか、それともガイやナタリアから何か聞いたからだろうか。
確かに屋敷に軟禁されていたころのルークはヴァンの訪れだけを心待ちにするような子供だった。しかしそれは剣術の稽古が、強くなるために師という人物が必要だったからに過ぎないのだが、そんなルークの心情を知らないガイやナタリアが誤解してもしかたがないだろう。
それを一々訂正するのも面倒だった。
もう直ぐ列車は終着駅に着く。
誤解されたままであったとしてもルークには何の支障もなかった。
坑道の入り口に立つ二つの人影に気付いたのはルークだけだった。
緑の髪の少年が一瞬だけこちらを見て、それから坑道の中に姿を消した。
大事な大事な導師イオン。
これだけ近くにいてその存在に気付かない導師守護役(フォンマスターガーディアン)。
目の前で苦しんでいる人を放っておくことができない、とそう言うのであれば、守護役なんて辞めればいいのだ。
先に着いているはずの救援隊の姿が見えないことを不思議に思わない、勝手に親善大使の名代となった王女と和平の使者であるマルクト軍人。この街の住人すべてを救うためにこの地に来たのではないのだろうか。一人二人を救って自己満足に浸りたいのであれば、国の代表などという肩書きは捨てるべきである。
ルークの護衛として親善大使一行に同行したはずの使用人は、守るべき主人が合流した後も彼の傍から離れたままだ。与えられた職務を理解していない時点で公爵家から首を言い渡されても仕方がないだろう。
彼らは救助に夢中でルークが坑道に入って行ったことに気付かない。
もっとも気付いていても救助活動に従事しないルークのことなどお構いなしだったかもしれないけれど。
「坑道の中にまだ人がいるかもしれない」と住人の一人に言われるまで、彼らは坑道があることにさえ気付いていなかった。
約束の地―――アクゼリュス。
街の中を徘徊する邪魔者の姿に眺めながら、アッシュとルークは目と目を合わせるだけで役割分担を決めた。
ルークは彼らの目を坑道の入り口から逸らすために一足先にタルタロスを降り、アッシュは導師を坑道の奥まで連れてくる役目を無理やりもぎ取った。
ダアト式封咒で閉ざされた扉の前で待ち構えていたヴァンは、連れてこられた導師の姿に満足気な笑みを浮かべ、しかし次いで現れたアッシュの姿に眉を顰めた。
「どういうことだ。アッシュ! 私はおまえにこんな命令を下した覚えはない」
そんなヴァンの態度をアッシュはフッと鼻で笑った。
「導師を連れて来いと命じた覚えならあるんじゃねぇのか」
何もかも自分の思い通りになると思い込んでいる男は、自分が乗る列車もまた引かれたレールの上を走っているだけだということに、最期の瞬間まで気付くことはないだろう。
ヴァンは戻るよう命じるが、それに従うようなアッシュではない。
この場に用があるのは何もヴァンだけではないのだ。
緊迫した空気を打ち破る新たな足音が聞こえてきたのは、アッシュが退かないと悟ったヴァンが実力行使に出ようとした時だった。
「師匠! それに導師も・・・・・・。こんなところにいたのかよ」
遅れて到着したルークの姿を認めると勝者の笑みを浮かべる。忌々しげにアッシュを見ていた時とは大違いだった。
ヴァンの中でどんな葛藤があったのかはしらない。あるいはどんなレールを引きなおしたのか。
いくら引きなおしても終点が変わることはないとも知らず、机上の空論を練り直す男が滑稽でならなかった。
アッシュはルークを見、ルークはアッシュを見る。
言葉は要らない。
約束は常にお互いの心の内にある。
後は場が調うのを待つばかりだった。
「導師イオン。この扉を開けていただけますか?」
それもまたレールの上の行動であるとも知らず、ヴァンは導師に懇願する口調で命令を下す。
扉の形をした光が一つ、また一つと消えていく様子を眺めながら、アッシュとルークは歓喜に震える心と身体を平静に保つことに必死になっていた。
聳(そび)え立つ大樹のような、巨大な音叉とそれを囲む光の輪。
「すげぇ~」
思わずルークの口から漏れた感嘆の言葉に、アッシュはクッと笑って「そうだな」と呟いた。
荘厳なる場。
なるほど、約束を果たすにはこれほど相応しい場所はないだろう。
「ふう」と同じタイミングで息を吐いて、まるで合わせ鏡であるかのようにまったく同じ仕草で顔を見合わせる。
さぁ、始めよう。
言葉はもう、必要なかった。
アッシュの口許に不敵な笑みが浮かぶ。ルークの瞳が嬉しそうに細められる。
互いの利き手が剣の柄に伸び、鞘から引き抜かれた白刃が記憶粒子(セルパーティクル)の光を反射させてキラキラと輝く。
心音がまるでカウントダウンをするかのように、時を刻んでいた。
間違える理由はない。
振り下ろされた剣を己の剣で受け止めたのか、あるいは振り上げた剣が受け止められたのか、それさえもわからないほど同じ軌跡を描く剣先。
いつしか音は消え、心音と剣と剣がぶつかり合う音だけがその場を支配していた。
威力も、スピードも、繰り出されるタイミングもまったく同じ。
決着はもしかしたら永遠に付かないのではないか、と。
心配になるよりも、この時間が永久(とわ)に続けばいいという気持ちの方が強かった。
時には拳で、あるいは脚で、その攻防はけっして剣をただ振り回すだけのような単調なものではなかったが、すべての攻撃がその纏(まと)う音素の種類や量に至るまでまったく同じだった。
「く、くく」
「はは、あはははは」
先に攻撃の手を止めたのはどちらだったのか。
地面を鞘にして剣から手を離した二人は、同時に笑い声を上げた。
このまま決着が着かないというのであればそれもまた一興である。
笑いの発作が治まるまで、ルークは、そしてアッシュも、互いの顔から目を逸らすことはなかった。
息が整ったら、それが再開の合図だ。
相手の呼吸を感じているのか、それとも自分の呼吸を確認しているのか、それはどちらでも同じことだ。
相手の利き手がゆっくりと剣に伸びるのを見ながら、自分も同じ仕草で剣に触れているのだと確信する。
さぁ、第二ラウンドの始まりだ。
アッシュの手が剣を持ち上げる。しかしルークの手は剣の柄に触れた状態で止まったままだった。
「―――愚かなレプリカルーク」
突然割り込んできた第三者の声。
永遠に続くはずの均衡が打ち破られた瞬間だった。
本人の意志を無視して動く手足。驚愕に見開かれた翡翠。
ルークの異変を感じて、アッシュは自分たちの戦いに水を差した人物を探すために周囲を見渡した。
傍観者は七人。
呆然とした表情で言葉もなく立ち尽くす六人はこの際無視してもかまわないだろう。
放っておくわけにいかないのはたった一人―――ヴァン・グランツ。この期に及んでも、レールは自分が引き直したと思い込んでいる男である。
「ここでおまえを失うわけにはいかぬ。おとなしくしているのだ、アッシュ!」
この男がルークに対して何かやったことは明らかだった。
不自然に集まる第七音素。
それは大気中からだけではなく、アッシュの身の内からもルークに向かって流れているかのようだった。
ヴァンを斬ることよりも、今起ころうとしている―――ルークが起こそうとしていることを止める方が先決であると、アッシュは判断した。
己の意識を探るように、ルークの意識を探る。
最初の時はあれほど簡単に繋がった心が遠い。
幾重にも張り巡らされた言葉の檻がアッシュの侵入を阻む。
「ヴァンの野郎」
これを仕掛けたのが誰であるかなんてことは明らかで、アッシュは怒りに任せて譜術を放った。
直撃はしなかったが、譜術を避けた拍子にヴァンの手がルークの肩から外れる。
―――捕らえた。
同時にアッシュの心とルークの心が繋がる。
「ルーク!」
確かな手応えを感じ、アッシュは思いの丈を込めてその名を呼んだ。
眉をしかめ、うずくまる。
集められた第七音素が、制御していたルークの意識が途切れるのを待っていたかのように、弾けた。
その光は直ぐ傍にいたヴァンはもちろん、ルークに駆け寄ろうとしていたアッシュをも坑道の壁に叩きつける。
凄まじい威力だった。
痛む背中に手を添えて、アッシュが身体を起こす。
ヴァンは意識を失ったようだった。
これで邪魔者はいなくなった。
さあ、仕切り直しだ。
利き手ではない方の手で押さえているのは背中ではなくて額であったけれど、自分と同じタイミングで身を起こしたルークを見ながら、アッシュは今度こそ約束が果たされることを確信していた。
永遠に続くはずだった均衡は、ヴァンの不要な干渉によってあっけなく崩れた。
初めそこに差異はなかった。
振り下ろされる剣のスピードも、受け止める剣の強さもまったく同じだ。
時折、蹲るヴァンや呆然と二人の様子を見つめることしかできない導師たちの姿が視界に入ることもあったが、戦いの邪魔をしないのであれば態々排斥する手間をかけることもないだろうと放っておいた。
「俺と戦っている最中に余所見とは、随分と余裕じゃねぇか」
襲い来るアッシュの剣を受け止めながら、ルークは心外だと眉を顰める。
「おまえしか見えてねぇって」
その答えにアッシュが満足そうに笑った。
足元の地面を抉った譜術を、ルークは大きく後ろに飛び退いて避ける。
土煙が上がり、二人の間を隔つ。
煙越しに見える紅。
土煙ごときで目標を見失うはずがない。
渾身の力を込めて剣を振り下ろす。
もちろんアッシュの方にもルークがどこから仕掛けてくるかを見誤る理由はなかった。
受け流して、返す刀でルークの剥き出しの腹を狙う、はずだった。
左へと弾かれたルークは、振り向くと同時に片膝を付くアッシュの姿を確認して、驚愕に目を見開いた。しかし躊躇っている余裕はない。今度はアッシュの胸を突くため剣を逆手に持ち替える。
避けられなかったのか、それとも避けなかったのか。
すーっと、白刃がアッシュの胸に吸い込まれていく。
一方、アッシュの剣がルークの腹に届くことはなかった。
「よくやった。それでこそ俺のレプリカだ」
うっとりと呟く。
剣がより深く胸を貫くことになることも厭わずに、アッシュはルークの身体を抱きしめる。
隙間なくぴったりと重なる身体。これが同じであるということなのだろうか。
溢れる赤がルークの身体を染め上げていく。
「アッシュ」
ルークの声にアッシュの閉ざされていた瞼がわずかに震えた。
頬をなぞった手が力なく身体の横に垂れ下がり、そうして、その瞼は二度と持ち上がることはなかった。
ルークは根本まで突き刺さった剣の柄から手を離し、アッシュの背中を強く掻き抱く。その度に傷口からは真っ赤な血が溢れた。
「俺は約束、守ったんだからな。おまえも、守れよな」
―――あぁ。
その声は、耳ではなく、心に響いた。
ルークは満足そうに笑って、そして目を閉じた。
―――起きろ。
目覚めを望んでくれている。
何故? 自分は約束通り殺されたのではなかったのか?
―――約束はもう一つあったはずだ。
あぁ、そうだな。
ルークは重たい瞼を持ち上げて、「ほう」と息を吐いた。
この天井に見覚えがあると感じるのは気のせいだろうか?
「無事なようだな?」
「ヴァン、師匠(せんせい)・・・」
気だるい身体はここで自分の身に何かがあった証拠。
しかし、その何かがわからない。
身を起こし、あたりを見回す。
何に使われるのかわからない譜業装置だらけの部屋。その中央で硬い台に座っている自分。
己を見下ろす空色の瞳。
この色は違う、と本能が告げる。
「まさか、おまえがこの場所にいるとはな」
この声は違う、と記憶が告げる。
何かに導かれるようにルークは立ち上がり、歩み始めたが、その足は数歩も進まぬうちに、己に伸ばされたいくつもの手によって阻まれることになる。
己の無事を喜ぶ声を遠くに聞きながら、ルークは身の内に直接呼びかけてくる声にのみ耳を傾けていた。
ルーク捜索のためにマルクトの地を彷徨っていたガイは、タルタロスから脱出したジェイドとティアが、リグレットから導師イオンを取り戻そうとする場面に遭遇した。
ティアの姿に見覚えのあったガイは、彼女からルークの行方に関する情報を得るため、イオン奪還に協力。ルークが六神将の一人―――鮮血のアッシュに連れ去られたことを知る。
リグレットがアッシュの単独行動に文句を言っていたらしいから、彼女にルークの居場所を問うたところで行方を知ることはできないだろう。
ガイはタルタロス内の捜索を諦め、バチカルに向かうというジェイドたちに同行を申し入れた。
護衛は一人でも多い方がいいと、ジェイドはそれを承諾。
共にカイツールの国境まで来た時点で新たな問題が発覚する。
誰も旅券を持っていなかったのだ。
そこに現れたのが別ルートでルークを探していたヴァンである。
ガイは鮮血のアッシュがルークを連れ去ったことをヴァンに伝える。
コーラル城―――ヴァンが何故そこにルークがいると思ったのかはわからないが、ヴァンの確信は当たっていた。
ルークはそこにいた。迎えにきたガイたちを見て、嫌そうに眉を顰める。
ガイはルークが嫌悪する者の中に己も含まれているとは微塵も考えてはいなかった。
一癖も二癖もある部下の中でも、ひときわ異彩を放つ男。
格好が奇抜であれば、言動も奇抜。
その男が己の命令に従わないことは常であったが、今回も命令を無視して何やらしていたのだろう。
締まりのない顔で浮遊椅子を走らせている所に遭遇できたのは行幸だった。
少し鎌を掛ければあっさりとルークの居場所を白状した。
アッシュがコーラル城に連れてきたという。
「おかげでよいデータが取れました」
ホクホク顔で走り去る男の背を見送りながら、ヴァンは何のためにアッシュがルークをコーラル城に連れて行ったのか、それだけが気になっていた。
何かが狂い初めているような気がする。
光の都―――バチカル。
天を目指すかのように作られた街。
己を出迎えた金色の姫は「お帰りなさい」と言う前に、「約束を思い出してくださいましたか?」と、お決まりの台詞を口にする。
彼女にとってそれは、朝に「おはようございます」と言うのと同じぐらい習慣付いたもの。だからルークも「おはよう」と返すのと同じように、同じ台詞を返した。
「俺は約束を忘れたことなんてないよ」
「約束約束」と繰り返す彼女に、自分が殺すべき相手だと思った。自分を殺してくれる人だと思った。
身に纏う色は違ったけれど。
ルークにとって「約束」と言えばそれだけだったから。
足りない力で彼女を殺そうとした。そうすれば彼女が自分を殺してくれると思った。
けれど、彼女はそうはしなかった。
ただ、哀しそうな顔で首を振った。
「何もかも忘れてしまったのですね。かわいそうなルーク。でも、いつかきっと思い出せますわ」
貴女がかわいそうだと思っているのは誰?
ルークは己をかわいそうだと思ったことはなかった。
約束を忘れたことなどなかった。
ただそれが彼女の求める約束ではなかったというだけのことだった。
鉱山の街―――アクゼリュス。
その地を詠んだ預言(スコア)を朗々と詠み上げる女の声。
レールはそこに向かっているらしい。
終点で待っているモノを知らないとは、なんと幸せなことだろうか。
行き先を変えることも、降りることも叶わぬ列車。
死に向かう車両に騙されて乗せられた供人たち。そして自分から進んで乗り込んできた金色の姫と導師守護役(フォンマスターガーディアン)の少女。
彼ら、そして彼女らはこれが死出の旅路であるとは知らず、先を急げとルークの背中を押す。
「何で親善大使の俺がこんな犯罪者みたいな真似をしなきゃならねぇんだよ」
廃工場を抜けてバチカルを出ると聞かされたルークは、盛大に文句を言った。
それに対して呆れたような、あるいは嫌悪感を隠そうともしない目を向ける同行者たちは、ルークの言った言葉の本当の意味に気付いていないようである。
キムラスカとマルクトの和平が成立したことを世間に知らしめるための親善大使一行ではなかったのだろうか? こんな風にコソコソしていて証の役目は果たせないだろう。マルクトはそれでいいのだろうか。もっともキムラスカの真意はその先にあるようだったが。
気付いているモノは約束にしか興味のないルークのみ。
彼らを乗せた列車は着実に定められたレールの上を進んでいた。
饐(す)えた溝の臭いと、古くなった油の臭い。
もっとも悪臭などとは無縁の生活を過ごしていたルークにとって、それに「嫌な臭い」ということ以上の認識はない。
油と埃に塗(まみ)れた廃工場。
道中の魔物を無表情に切り捨てて、黙々と出口を目指す。
バチカルの外は雨が降っていた。
分厚い雲が陽光を遮っていたが、廃工場の暗さに慣れた目には眩しいぐらいである。
遠くに陸艦が見えた。
「イオン様」
導師守護役(フォンマスターガーディアン)の少女が、ルークの直ぐ後ろで何か叫んでいる。
緑の髪の少年―――行方不明の導師である―――だとか、彼を連れて行こうとする六神将の姿だとか、確かに見えているはずなのに、ルークの目には映っていなかった。
求める赤がある。
それだけがすべてだ。
それ以外に必要なものなど何もない。
気付いた時にはルークはその赤に向かって走り出していた。
走りながら、剣の柄に手を掛ける。
背後からの攻撃を、赤は最初からそこに来るとわかっていたかのように、振り向くと同時に受け止めた。
弾き返すのではなく、力比べのような押し合いになったのは、お互いがそれをのぞんでいるからか。
鍔が触れる程近くで剣を交え、視線は同じ色の翡翠から逸らされることはない。
この赤をこんなにじっくり見るのは初めてだった。一瞬だったり、涙で滲んだ視界だったりで、強烈過ぎる赤の印象だけで何も残っていなかったから、ここまで同じだとは思わなかった。
ギシギシと重なる剣が嫌な音を立てる。
永遠に続くかのような均衡を破ったのは、導師の肩に手を掛けた六神将と、ルークの背後に迫った親善大使一行の声だった。
「何やってんの。行くよ」
イラつきを隠そうともしない少年兵の声。
「ルークが、二人・・・」
金色の姫が驚愕に震える声で呟く。
「邪魔すんじゃねぇ!」
ルークは叫んでいた。
やっと約束を果たすことができるのだ。
それは赤も同じだったのだろう。
―――仕方がない。場所を変えるぞ。
突然頭に響いた声。そして頭痛。立っていることも困難な痛みに、ルークは剣を取り落とし蹲る。その背に添えられた暖かな手。それは雨に濡れた冷たい身体には熱いぐらいだった。
「ルーク!」
悲壮なガイの声を聞きながら、ルークの意識はゆっくりと闇に沈んでいった。
濡れた髪を拭う手はどこまでも優しい。
しかしその口を吐いて出る悪態の数々は、聞く者を怯えさせかねない迫力があった。
「ディストの野郎・・・」
確かに多少レプリカの方に負担が掛かるかもしれないとは聞いていた。多少ならば、と了承したのはアッシュだ。その際レプリカの意見を確かめなかったことについては、目覚めないこいつが悪い、と眼を瞑ったのも事実だ。しかし気絶するほどの負担だとは聞いていなかった。
「次に会う時を覚えているんだな」
ディストにとって幸いなことに彼らの未来に交わる点は用意されていなかった。もっともそれはこの時点のアッシュが知ることではない。
髪が粗方乾くころにはレプリカの顔から苦痛の色は消えていたので、アッシュは「ほう」と安堵の息を吐いた。
朱色の睫毛が振るえ、翡翠の瞳が焦点を結ぶ。
そこに歓喜の色を見つけ、アッシュは確信した。
「俺がわかるか」
「知らねぇよ。初対面、だろ」
厳密に言えば三回目、いや四回目ということになるのだが、しかし過去のそれはどれも意識がはっきりしていなかったり、一瞬だったりしたのだから、レプリカが初対面と認識しても不思議ではない。
望む答えが返されなかったことにアッシュが眉を顰めると、レプリカはフッと不敵に笑った。
伸ばされた手がアッシュの頬に触れるか触れないかの位置で止まる。
「でも、一つだけわかることがあるんだ。おまえは俺が殺すべき相手だ。で、俺を殺すのはおまえだ。―――あってんだろ?」
「あぁ、正解だ。―――俺を担ぎやがったな」
してやったりと笑うレプリカに、しかし訪れる感情は悔しさよりも満足する気持ちの方が強い。だからといって負けっぱなしでいるようなアッシュではなかった。
「褒美をやらねぇとな」
覆いかぶさるように、まずは額に一つ。
あんぐりと口を開けて呆けるレプリカに、今度はアッシュがしてやったりとばかりに口角を上げた。
真っ赤になって、それでも気丈に睨みつけてくる翡翠。
アッシュは自然とこみ上げてくる笑いを抑え、抑揚のない声で問う。ここで感情を見せるのは何だか負けのような気がするのだ。
「なんだ、不満か?」
レプリカはニンマリと笑った。顔色はまだ真っ赤なままだったが、そこに先程までの焦った様子はない。
「あぁ、不満だね。どうせなら、こっちにくれよな。ご褒美、なんだろ」
人差し指で自分の唇を指差す。
今度はアッシュが絶句する番だった。だがそれも一瞬だ。
「上等じゃねぇか」
レプリカの顔の両脇に肘を付いて、アッシュはゆっくりとその身を倒していった。
持ち上げては、掌から零れ落ちる感触を楽しみ、また掬い上げる。
「飽きないのかよ」
枕に顔を押し付けたまま、ルークはさっきから同じ動作を繰り返す半身を見上げた。
素肌をすべる己の髪の感触がくすぐったかったのだが、彼の顔を見ていると「やめろ」と制止することもできず、したいようにさせていた。それでもいい加減、髪だけじゃなくて自分を構えと思わなくもない。もっともルークにはそれを言葉にできるような素直さはなかった。
彼はそれには答えず、今度はその一連の流れに更なる動作を加える。朱色から金色に変わる毛先を手から滑り落ちる前に掴んで、己の唇へと持っていったのだ。その間視線はルークの顔から逸らされることはない。
「なっ・・・・・・」
ルークは頬に熱が集まるのを感じた。
その光景を直視していられなくて寝返りを打つ。冷たい枕の感触が火照った頬に気持ちが良かった。
忍びきれない笑いが背後で響く。
彼は相変わらず同じ動作を繰り返しているのだろう。時折緩く髪を引っ張られる感触が何よりも雄弁にそれを物語っていた。
枕を通して伝わる陸艦の駆動音が眠気を誘う。
「寝ていていいぞ」
「俺が寝ている間、ずっとそうしているつもりかよ」
その質問に彼が答えを返したかどうか、ルークには記憶がなかった。
ただいつになく幸せな気持ちで眠りについたことだけを覚えている。
もう直ぐ約束を果たすことができる。
それが何よりもルークに安眠をもたらすのだった
行こう。約束の地(アクゼリュス)へ。
二つに分かれたレールを一つに戻す場所はそここそが相応しい。
≪注意事項≫
相も変わらず、読む方を選ぶ内容となっております。
以下の警告をよく読んだ上、ご覧になるかどうかご判断ください。
・アッシュとルークが敵同士(?)のお話。
・敵同士だけどアシュルク(+か×かは読まれた方の判断に委ねさせていただきます)。
・お互いに本気で殺し合っている。でも、相手が自分以外の誰かに傷付けられるのは我慢ならない。そんな赤毛二人。
・国を思うアッシュや、世界のために命を捧げるルークがお好きな方はご覧にならないことをオススメします。
・仲間に厳しめというか、仲間は空気。
・あとHAPPY END好きさんも止めておいた方がよいかもしれません。
・死にネタです。「預言遵守ルート」とも言います。
・流血注意!
・救いはまったくありません。
以上、大丈夫そうな方のmoreよりご覧ください。
【それで世界が滅ぶとしても~約束、あるいはそれを定めと呼ぶ~】
何もかも、どうでもよかった。
この国に生まれ、この国のために生き、そして死ぬこと。
予め定められた未来。
預言と呼ばれる死の国に向かうレールの上を走れと言われた。無視していたら強固な檻付きの列車に乗せられた。この列車にブレーキは付いていないらしい。脱線でもしない限り止りそうにないから、アッシュ―――その当時は別の名前で呼ばれていた子供は、列車の中で不貞寝を決め込んでいた。
止まるはずのない列車が止まったのはアッシュが十歳の時である。
脱線でもしない限り止りそうにない列車は、一人の男の手によって脱線させられたのだ。
男はアッシュを別のレールの上を走る列車に乗せた。
その列車もまた死の国に向かっていることにアッシュが気付くのは、列車が走り出して直ぐのことである。
この列車には前の列車と違うことが一つだけあった。
アッシュを閉じ込めて置くための檻がついていなかったのである。
それは檻を準備する暇がなかったからか、それともアッシュが逃げ出すことはないと高を括っているからか。
だが列車を降りたところで何になる。
すべてのレールは死の国に向かっている。
この星を乗せた列車が向かっている先もまた、然り。
ゴロリと横になって、車窓を流れる景色に目を向ける。
そこに見慣れぬ朱があった。
水槽の中で朱が揺れる。
これはアッシュが降りた―――降ろされた列車に乗せるためのレプリカであると男は言った。
なるほど、あの国は脱線した列車を再びレールに戻すつもりか。その時そこにアッシュが乗っていないというのは拙いのだろう。すでにアッシュを別の列車に乗せてしまった男がどうするつもりかと思ったが、最初から身代わりを用意していたらしい。
しかしあの男は何やら勘違いしているようだ。
アッシュはけっして前の列車に未練があるわけではない。もちろん今の列車を気に入っているわけでもなかったが。
戻る場所はないのだと、そうわからせるためにこれの存在をアッシュに明かしたかっただけなのだろうけれど。
「これからはこれが『ルーク』だ。おまえは、そうだな。燃えカス―――アッシュというのはどうだ」
自分の思いつきが余程ツボだったのか、男は高らかに笑った。笑いながらアッシュを残し部屋を出て行った。
扉の閉まる音を背後に聞きながら、翡翠の双眸は目の前の朱から逸らされることはない。
指先が培養槽のガラスに触れる。思った以上に硬く、冷たい感触。
アッシュは培養槽で漂うレプリカをガラス越しにそっと撫で上げた。
「生き残れ。そして俺を殺しに来い」
目覚めないはずのレプリカがうっすらと目を開ける。
そこにはあったのは想像していた通りの翡翠だった。
自分の姿を認めニッコリと微笑んだレプリカにアッシュは満足そうに笑った。
「おまえは俺が殺してやろう」
それがアッシュとレプリカのたった一つの約束だった。
何かにとりつかれたように剣を振る。
剣術の稽古は好きだ。
強くなって殺さなければならない人がいる。
それが誰のことかわからなかったけれど、会えばわかるはずだとルークは確信していた。
ルークには十歳までの記憶がなかった。
誘拐され戻ってきた時には赤子のようになっていたのだと、その当時を知る者は言う。
覚えていたのは目の覚めるような鮮やかな赤と、一つの約束。それから『ルーク』という名前。
花の赤も、夕陽の赤も、己が纏う赤も、どの赤を見ても違うと感じる。一番近いと感じた赤は己の流した血の色だったが、それも似ているだけで求めている色とは違った。
求める色はこの世のどこにもないのではないかと、挫けそうになる度にルークは剣を振るった。
約束を果たすために強くならなくてはいけない。
いつか出会う赤のために、ルークは剣を振るい続けた。
ルークの日常が急変したのは、ND2018・レムデーカン・レム・二十三の日のことである。
屋敷に侵入してきた神託の盾(オラクル)兵の制服を身に着けた女―――後にルークの剣の師としてファブレ家に出入りしていた神託の盾主席総長ヴァン・グランツの妹と判明する―――ティア・グランツと擬似超振動を起こし、白い花畑に飛ばされたのである。
初めて見る外の世界。
壁の向こうに広がっていたのは無限だった。
ここになら求める赤があるかもしれない。
ルークはこの偶然に感謝した。
家に送ると言う女を従えて、渓谷を下る。
道々襲ってきた魔物を一刀の下に切り捨てて、流れる赤に口角を上げた。
綺麗な赤。
だけど求める色とは違う。
似ていることは慰めになったが、それにルークが満足することはなかった。
不法入国を理由に連行されマルクト軍保有の陸艦タルタロスの一室。
この状況で「協力」とは笑わせてくれる。
和平への協力を願い出たマルクト軍人とローレライ教団の導師の言葉に、ルークは失笑を禁じえなかった。
「いいだろう。協力してやるよ」
突然笑い出したルークに、「不謹慎だわ」と喚く女にも、言われるままに膝を付く軍人にも、嬉しそうに礼を言う導師にも。
興味なんてものは最初からなかった。
己を殺すのは目の前の軍人でも、聖職者でもない。
だったらそれはいないも同然ではないか。
ルークの中にあるものは目の覚めるような鮮やかな赤と、約束。ただそれだけだったから。
約束を果たすまでは死ぬわけにはいかない。
だから彼らの申し出を受け入れた。
受け入れた先にある和平が偽りだろうとなかろうと、己が生きていればそれでよかった。
艦内に響く警報と、緊迫した声。
乱れる足音を遠くに聞きながら、ルークは艦橋(ブリッジ)を目指して走っていた。
甲板に出ると、さっきまでまとわりついていた咽返るような血の臭いがしなくなった。
ルークは「ふう」と大きく息を吐く。
自分が思っている以上に緊張していたのだろうか。
「貴方はそこで見張りをしていてください」
ルークが抗議の声を上げるよりも早く、ジェイドはティアを伴って艦橋の中に消えた。
二人の軍人が消えた扉を背にして、天を仰ぐ。
青い空を背景に赤い髪が風に舞っていた。
「見つけた」
それは求めていた赤い色。
その色は本当に存在していたのだと、嬉しさに身の内が震える。
ルークは自分に向かって降り注ぐ氷の刃を避けることもせず、その赤に見惚れていた。
間抜け面をして固まっていやがる。
アッシュは数年ぶりに見る朱に、口角を上げた。
まさかこんな所で再会するとは思わなかった。
その朱がどんな風に成長しているのか確かめたくて、氷の刃を見舞う。
服が、腕が裂け、朱色が散った。
避けることもせずに自分だけを見つめる翡翠。
そこに怯えはない。
なるほど、身体が竦んで動けないわけではないようだ。
ククッと、喉を鳴らす。
眼前に飛び降りて、左腕で抱きしめる。右手は朱の剥き出しの腹に沈んだ。
「うっ」と小さく呻いて、全体重を己に預けてくる身体を抱きしめながら、アッシュは狂ったように笑い続けた。
重なる心音。
頬に触れる頬の滑らかさ。
掻き抱いた背中で指に絡まる朱色の髪。
何もかもが心地よかった。
艦橋の扉が開き、人影が二つ飛び出してきた。
「彼を放しなさい」
小さな舌打ちを一つして、アッシュはルークを抱えたまま襲い来る槍を避ける。
自分とレプリカを引き離そうとする存在に、アッシュは怒りも顕に譜術を放った。
その譜術に一人は気を失ったようだったが、もう一人は無傷でそこに立っていた。
まずい、と死霊使い(ネクロマンサー)がつぶやく。
「今の騒ぎで譜歌の効果が切れたようですね」
神託の盾(オラクル)兵が数人走ってきて、彼らを取り囲んだ。
次の指示を仰ぐように自分を見る部下に、アッシュは「殺せ」と短く命じると、ルークを抱えたまま艦内に足を向ける。
「アッシュ! 閣下のご命令を忘れたか?」
その背を女の鋭い声が追いかけてくる。六神将の一人、魔弾のリグレットだ。
二つの相反する命に固まる神託の盾兵たち。
誰かの指示がなければ行動できない部下。
ヴァンの言葉に従うことしかできない女。
どちらもうんざりだ。
「好きにしろ」
アッシュは振り返らなかった。
彼らを捉えるように命じるリグレットの声を背中に聞きながら、艦内にその姿を消した。
人気のない船室の硬いベッド。
無邪気に眠るレプリカの首にそっと手を掛ける。
このまま力を込めれば、コレの命の火を消すことができる。
親指にちょっとだけ力を入れると、ルークは苦しげに眉根を寄せて、身を捩った。その拍子にアッシュの手が外れた。「げほっ」と小さく咽返って、朱色の睫毛に縁取られた瞼が震える。
「俺を殺すのか?」
「そういう約束だ」
焦点の定まらない翡翠の瞳。
うっすらと水気を含んだ宝石が室内を照らす音素灯の光を受けてキラキラと輝く。
「ゴメン。俺はまだおまえを殺せない。殺せる程強くなってない」
何がそんなに哀しいのだろうか。
静かに涙を溢れさせる翡翠に、そっと唇を寄せる。
その拍子に首筋に添えられた手に力が入ってしまったのは、アッシュの意識するところではなかった。
翡翠は既に瞼の下だ。
それを物足りないと思いながら、アッシュは身を起こした。
大きく上下する胸を見てほっとしている自分を自覚して、「ちっ」と小さく舌打ちをする。
眦に溢れた涙を指で掬い、頬、首筋、肩と掌で辿る。
握り締めた同じ形をした掌。
己と同じ場所にある剣胼胝(けんだこ)を指でなぞって、アッシュは満足そうに笑った。
「努力は認めてやるよ。まだまだなようだがな」
その手に唇を寄せて、剣胼胝を食(は)む。
味などしないはずのそれが、酷く甘いような気がした。
アッシュは己のレプリカを抱えたまま懐かしい場所に来ていた。
レプリカが生まれた場所。
自分とレプリカのレールが交わった場所である。
点滅を繰り返す譜業の光。
あの日とよく似た情景。
目覚めぬレプリカを連れてタルタロスを降りた。
ヴァンの命令を全うすることしか頭にないリグレットの目を盗むのは、それほど難しいことではなかった。
あれからレプリカは眠ったままだった。
見たいと思った翡翠が見られぬことに不満が募る。
だから、この場に連れてきた。
不本意ではあったが、ディストも呼びつけた。
自称薔薇のディスト。他称は死神だったり、洟垂れだったりするが、この男がレプリカを創った張本人であることに間違いはない。
「心配はいりませんよ。眠っているだけです。目覚めないのは本人が起きたくないと思っているからでしょう」
何を思って目覚めを拒否するのか?
アッシュは沸々と湧き上がる怒りを抑えきれず、怒鳴っていた。
「無駄です。聞こえてはいませんよ」
どうにかしろと詰め寄ると、ディストは同調フォンスロットを開くことを提案してきた。
聞こえないのであれば、直接脳に話しかければよい、と。
被験者(オリジナル)とレプリカ―――完全同位体の間でしかできないことらしいが、理屈に興味はなかった。
大事なことは、できるか、できないか、だ。
望む答えを返すディストに、アッシュは満足そうに笑った。